恋は手のひらの上で

─────あれ?
帰らないのかな。


そう思った瞬間、視線が合う。

椎名さんは、少しだけ迷ったみたいに視線を外した。
それから、なぜか小さく息を吐く。

「西野さん」

名前を呼ばれる。いつものように。

「はい」

返事をしたのに、そのあと言葉が続かない。


短いようで、長い沈黙。

エアコンの音だけが、やけに静かに聞こえる。


私は、なぜか資料をバッグにしまえないまま立っていた。


椎名さんが、ゆっくり立ち上がる。
そして、ほんの少しだけ近づいた。

距離が急に変わったように感じた。
それだけで、胸の奥がうるさくなる。


椎名さんは、ドアの方を一度だけ見た。
それから私に視線を戻す。


「…少しだけ」

椎名さんが言った。

「会議室、もう少し使えますか?」

「あ…はい。大丈夫です。このあと予定は入ってないはずなので」

頭の片隅に、会議室のスケジュールを思い出す。
この会議室の使用は、私たちの打ち合わせのみだったはずだ。