恋は手のひらの上で

その瞬間。
椎名さんの指が、ほんの少し動いた。

その指が、私の指先をかすめて─────
ほんのわずかに、押さえた。


びくっとする。
私の心臓も強く脈打った。

…捕まった?


急いで離れなきゃいけないのに、身動きできなかった。
手、離さなきゃ。起きたらまずい。

でも、体が動かない。
息を飲む。


…起きた?

おそるおそるまた近づいて、彼の顔を覗き込む。
椎名さんは目を閉じたまま、寝息もさっきと変わらない。


私はようやくため込んでいた息を吐く。

ゆっくり手を離して、自分の手を見つめた。
さっきまで触れていた場所が、まだ少し熱い。


気を緩めていたその時、椎名さんが急に体を起こした。

「あっ、すみません」

何度も瞬きしたあと、そばに立っている私に気づいたのか目が合った。
その顔は完全に目が覚めている。

「寝てました」

真面目な顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。

「少しだけでしたよ」

「いや」と、椎名さんは腕時計を見る。

「たぶん、完全に寝てたな…」

本人も、不本意なうたた寝だったに違いない。
私は急いで首を振る。

「椎名さん、ずっと付き合ってくれてるじゃないですか。絶対、見えない疲れがあるんですよ」

一瞬だけ私を見た彼は、それから少しだけ視線を落として言った。

「仕事だから、と言いたいところですけど」

え、違うの?
少し目を見開いてしまった私に、彼は迷いなく微笑んだ。

「俺が、最後まで見届けたいから」


その言い方は静かだった。
なんの計算もない、見返りも求めない、そんな言い方。

どう反応していいか分からず、視線だけが宙に浮いた。

椎名さんが資料の束にぽん、とやさしく手のひらを置く。
さっきまで私が上に重ねた、あの手だ。

触れたことなんて、きっと気づかれていない。
なのに、胸の奥だけがまだ落ち着かない。


「明日、通しましょう」

それから、ふっと笑った。
さっきまで見せていた表情とは、少しだけ違う。

柔らかい、最近よく見せてくれる顔。


その笑顔を見た瞬間、胸の奥の緊張がすっとほどけた。