ただそこに愛があるなら

『もしもし、緋山さんでいらっしゃいますか?』

その日の午後、要の仕事用の携帯電話に、知らない番号から電話がかかってきた。

「はい、緋山ですが……」
『良かった。緋山さん、戸川です』

えっ、と要は言葉を呑み込み、さり気なく絵美梨に目を向ける。

サロンで接客中で、こちらに気づいていないのを確かめると、声を潜めて返事をした。

「ごぶさたしています、戸川社長。今日はどうされました?」
『まずはお詫びさせてください。緋山さん、この度は大変ご迷惑をおかけしました。あなたの怪我は私のせいでもあります。本当に申し訳ありませんでした』
「そんな。あなたはなにも悪くありませんから」
『絵美梨さんの心境を考えて、お見舞いも控えさせていただきました。その後、具合はいかがですか?』
「もうすっかり良くなり、もとの生活を送っております。ご心配いただき、ありがとうございました」

戸川はようやくホッとしたように、声色を和らげた。

『そうでしたか。それでは改めて、治療費と心ばかりのお見舞いを差し上げたいと……』
「いいえ、どうぞお気遣いなく。お気持ちだけいただきます」
『そういう訳にはまいりません。それと、実は申し上げにくいのですが……。今後の仕事について、緋山さんとお話をさせていただきたく。出来れば私と緋山さんだけで』

え?と要は訝しむ。

「私と戸川社長だけで、ということでしょうか? 仕事のお話なのですよね?」
『はい、そうです。その……今後も御社とはパートナーシップを続けさせていただきたいのですが、絵美梨さんはどう思っていらっしゃるのか気になりまして……』

要はもう一度サロンにいる絵美梨に目を向けた。
にこやかにお客様に接している絵美梨の横顔を見ながら、口を開く。

「戸川社長、私が松島を差し置いてあなたと二人で仕事の話をするなどあり得ません。どうぞご心配なく。松島は、ビジネスとプライベートを混同するような人ではありません。仕事のお話があるのでしたら、なにも臆することなくご連絡いただければと存じます。松島は、必ず冷静にお答えしますので」

そう言うと、電話の向こうから驚いたような雰囲気が伝わってきた。

「なにか申し伝えましょうか?」

要が促すと、我に返ったように返事がくる。

『はい、では。新たにカップル成立した弊社のお客様が、そちらのサロンで結婚式の準備をしたいとご希望です。当日の衣装とヘアメイクとブーケの手配をお願い出来ますか?』
「承知しました。松島に伝えて、本日中に折り返しご連絡差し上げます」
『よろしくお願いします。……緋山さん』
「はい」

まだなにかあるのかと思っていると、戸川はためらうように聞いてきた。

『あなたは以前、絵美梨さんが会社を立ち上げた時に秘書になったとおっしゃっていましたよね?』
「はい、2年ほど前のことです」

戸川はその答えに納得いかないようだ。

『では緋山さんのご実家も、名家でいらっしゃるのですか?』
「とんでもない。ごく普通の一般家庭です」
『そうですか。あなたがそれ相応の身分の方なら、絵美梨さんと上手くいくのも頷けますが、そうでないなら……。あなたと私は同じ普通の家庭育ちなのに、どうしてあなたは絵美梨さんのそばにいられるのかが不思議でして。申し訳ない、失礼なことを申しました』
「いえ、お気になさらず。それではまた、後ほど」

そう言って電話を切った。