ただそこに愛があるなら

「緋山、お薬を塗るわ」

風呂上がりに要が部屋で横になっていると、絵美梨が救急箱を手にやって来た。

「塗り薬を塗って、ガーゼを新しいものに換えなくちゃ。緋山、うつ伏せに寝てくれる?」
「いえ、そんな。自分で出来ますから」
「嘘おっしゃい。背中なのよ? 手が届く訳ないわ」
「大丈夫です。届きますから」

頑なに拒むと、絵美梨はムーっとふくれっ面になる。

「じゃあやって見せてよ」
「あとでやりますから」
「ほら、やっぱり出来ないんでしょ」
「出来ますよ」
「それなら早くやって」

要は仕方なくうつ伏せになり、右手を背中に回してTシャツの下でゴソゴソと探った。

なんとかガーゼに手が届き、ベリッと力任せにはぎ取る。

傷口が傷んで、思わず顔をしかめた。

すると絵美梨がベッドのそばにひざまずき、そっと要のシャツをめくる。

塗り薬を手に取ると、優しく背中の傷口に塗り込んだ。

「お嬢様、きれいな手が汚れてしまいます」
「なにを言うの」
「ですが、醜い傷跡をお見せするなど……」
「この傷は、私が受けるはずだった傷なのよ。あなたは身を挺して、私をかばってくれた。醜いだなんて、そんなことあるはずないわ。でも……傷は残ってしまうってお医者様が。本当にごめんなさい」

丁寧に指で薬を塗られて、要は心まで癒やされる。

「お嬢様の身体に傷がついていたら、私は一生自分が許せないところでした。これは言わば、男の勲章です」

冗談めかして絵美梨に笑いかけると、絵美梨は切なそうに微笑んだ。

「ありがとう。この傷を見る度に、私はあなたに感謝します」
「お嬢様……」

絵美梨がそっと新しいガーゼを当てて、サージカルテープで留めると、要は身体を起こした。

「ありがとうございます、お嬢様」
「いいえ。これくらいしか出来なくて……」

絵美梨の目がみるみるうちに涙で潤み、要は驚く。

「お嬢様? すみません。やはり傷跡がお見苦しくて、怖がらせてしまい……」
「違うの!」

首を振った絵美梨の瞳から、とうとう涙がこぼれ落ちた。

「お嬢様……」
「私、本当に申し訳なくて。要くんにも、お嫁さんにも」
「お嫁さん?」
「だってあなたは、いつか好きな人と結婚する。お相手の方に、この傷を見られたら……。ごめんなさい。その時は私からきちんとご説明しますから」

思いも寄らない話に、要はしばし言葉が出て来ない。
絵美梨はますます身を縮こめた。

「あなたのお嫁さんに、心からお詫びします。大切な人を傷つけてしまって、本当にごめんなさいと」

大粒の涙をこぼす絵美梨を、要はたまらず抱きしめた。

「お嬢様、あなたはなにも悪くありません。そんな誰とも分からない相手に謝らないでください」
「誰とも分からない相手ではないわ。要くんの大切な人よ」
「今、私が心から大切にしたい人はあなたです、お嬢様」
「え?」

顔を上げた絵美梨に、要は優しく微笑んで、そっと指でその涙を拭う。

「最後にお嬢様の涙を見たのは、あなたが高校生の時でした。でもこの間から、急に涙もろくなりましたね。まるで可愛い頃のお嬢様に戻ったようです」
「それは暗に、今は可愛くないと言いたいの?」
「どうしてそうなるのですか? 今も、いつも、いつまでも、あなたは可愛くて美しい人です」

絵美梨は再び目を潤ませて、要にギュッと抱きついた。

「要くん、私が未来のお嫁さんになってはだめ?」
「……えっ?」

要は真顔に戻って固まる。
今なにを言われたのかと、必死で頭をフル回転させた。

「私のせいであなたに大怪我を負わせてしまった、その責任を取りたいの」
「はっ? いやいやいや、なにをおっしゃいますか。ご冗談もほどほどに……」
「冗談なんかじゃないわ! 私がお嫁さんになって、毎晩あなたの傷に薬を塗ります」
「いえいえいえ、この傷はそんなに何年も薬を塗らなくても……」
「だめなの? 私では、あなたのお嫁さんになれない?」

うるうると上目遣いに見つめられ、要はなにも考えられなくなる。
思わず強く抱きしめて絵美梨の頭をなでてから、ようやくハッと我に返った。

「お、お嬢様、いけません。なにをおっしゃるんですか? あなたは松島家のご令嬢。然るべき地位のある方と結ばれなくては」
「そんなこと、誰が決めたの?」
「誰って……。生まれ持ってのあなたの運命ですから」
「そんなの知らない! 私には、あなたに怪我を負わせた責任があるの」
「ですから、あなたが身分違いの私にそのようなことをおっしゃるのが間違っているのです。そもそも私は男ですよ? 女性が男の傷の責任を取るなど……」
「今の時代に男も女も関係ないわ」

要は困り果てて頭を抱える。

「お嬢様……、お願いですからこれ以上は。第一、結婚とは好きな相手とするものですよね?」
「じゃあ私はあなたが好きです」
「じゃ、じゃあ?」
「それならいいでしょ?」
「良くありません! まったくもう……」
「まったくもうって、なによ! この私とは結婚なんて考えられないってこと?」
「ええ、そうですとも。私がお嬢様と結婚なんて、冗談でもあり得ません」

絵美梨はグッと唇を噛みしめると、すっくと立ち上がる。

「要くんのバカ! 絶対に諦めないからね!」

そう言い残し、怒りに任せて絵美梨は部屋を出て行った。