ただそこに愛があるなら

絵美梨の屋敷から徒歩10分のマンションに帰ってくると、要はネクタイを緩めてドサッとベッドに身を投げる。

大きく息を吐くと、天井を見ながら物思いにふけった。

旧財閥の1つである松島家に生まれた絵美梨は、生粋のお嬢様。

要は、自分の父親が幸一郎の秘書であることから、生まれた時から絵美梨のことを知っている。

9歳年下の絵美梨は、幼いながらも育ちの良さがにじみ出る、愛らしい子だった。

2歳の時に母親を病気で亡くし、毎日泣き続けていた絵美梨を、要はずっとそばで励ましてきた。

名門の私立幼稚園に入ると、絵美梨は仲の良い友達と一緒に元気に駆け回るようになり、15歳の要も微笑ましく見守っていたのだが、ある日父に呼ばれて驚きの事実を聞かされる。

絵美梨が、実は危険な目に遭っていたという
のだ。

同じ幼稚園に通っているのは、いずれも名家の子どもばかり。
だが中には松島グループのライバル企業の社長や、幸一郎を妬み、なんとかして陥れようとする親もいた。

絵美梨の幼稚園バッグに盗聴器が仕掛けられたり、「絵美梨ちゃん、うちに遊びにおいで」と誘われて、友達の車で一緒に連れて帰られそうになったり……。

それに気づき、何度も阻止したのが要の父だった。
話を聞いて、幸一郎は頭を抱える。

「なんとしても絵美梨を守れ。だが怖がらせないよう、絵美梨にはこのことは知らせるな。更なる危険が及ばぬよう、周りを刺激してもならん」

そう命じられた要の父が考えついたのが、要に絵美梨を守らせることだった。

絵美梨は物心つく前から要を慕っており、周囲も、要と絵美梨がよく一緒に遊んでいるのを知っている。

要なら、絵美梨のそばにいても怪しまれず、絵美梨も警戒することはない。

「いいか、要。いずれはお前がボディガードとして、必ずや絵美梨お嬢様をお守りするのだ。今はどこへ行くにも私がお嬢様を車で送迎しているが、これから先お嬢様が成長するにつれて、お一人での行動時間が増える。身代金目的で誘拐される可能性だってあるのだ。決してお嬢様を危険な目に遭わせるな」

そう言われ、高校1年生だった要は、護身術を習い始めた。

もともと長身で体格も良く、運動神経も悪くなかったことから、ボディガードとしては充分な技を身につける。

時間がある時には絵美梨と一緒に遊び、不審な大人が接触してこないかを注意深くうかがった。

大学を卒業すると、本格的に絵美梨の護衛を務め、絵美梨の通学に付き添う。

だが中学生の絵美梨は思春期真っただ中で、同級生に「絵美梨、彼氏来てるよー」と冷やかされる度に「単なる秘書だから」と答え、要のことを、それまでの「要くん」ではなく「緋山」と呼ぶようになった。

要もそれに合わせて「絵美梨ちゃん」から、「お嬢様」と呼び方を変える。

絵美梨が高校生になると、さすがにいつもそばにいるのははばかられ、絵美梨から「監視しないで」と強く言われたこともあり、離れたところから密かに見守ることにした。

細心の注意を払っていたにもかかわらず、絵美梨は要の尾行に気づき、ある時いきなり全速力で走って要を振り切ろうとしたのだが、もちろん要に敵うはずはない。

追いかけて捕まえると「バカバカー! 要くんのバカー!」と、ポカスカ拳で胸を叩いてきた。

久しぶりに「要くん」と呼ばれたことと、絵美梨の目に涙が浮かんでいることに驚いて、思わず要は絵美梨をギュッと抱きしめた。

「すみません、お嬢様。こうするしか……。私はなんとしてでも、あなたをお守りしなければいけないのです」
「お嬢様じゃない! 私は絵美梨で、あなたは要くんなの!」

そう言って腕の中で泣きじゃくる絵美梨を、要はただ抱きしめ、頭をなでることしか出来なかった。

そしてその日を最後に、絵美梨は要に涙を見せることはなかった。