***
コンビニの看板が、また一つ見えた。
先輩は迷いなく店に入った。
自動ドアが開いて、蛍光灯の白い光が漏れ出す。
わたしもついていく。
店内には店員が一人。レジの奥で、あくびを噛み殺しながらスマホをいじっていた。
先輩はバックヤードの方へ歩いていった。
コンテナをかたわらに置いて店員が作業をしている。
透明なビニール袋に入った弁当やサンドイッチ。廃棄用だ。消費期限のシールの上に、赤いバツ印が太いマジックで引かれている。
先輩はコンテナを通り過ぎざま、唐揚げ弁当を一つ、堂々と引き抜いた。
「なっ――」
声が出かけて、慌てて口を押さえた。
店員は気づいていない。
気づけない。
わたしたちは認識されていないのだから。
でも、それとこれとは話が違う。
店の外に出てから、小声で詰め寄った。
「それ、ダメですよ! 泥棒じゃないですか!」
「僕は救命士だよ。廃棄される食物の命を、胃袋という名のシェルターに避難させているためのね」
「そんな屁理屈……」
先輩はビニール袋を破りながら、平然と言い放った。
「食わなきゃ死ぬぞ。死なないために食え。それは倫理を超えた生存権《サバイバル・ライツ》の行使だ」
お腹が鳴った。
盛大に。逃げ場のないほど、正直に。
しまった、と思った。
夕飯を食べていなかったのだ。
帰宅したとき、両親の喧嘩のせいでキッチンに近づけなかった。その後は夢を見て、起きて、母親に――
思い出しかけて、強制的に意識を切った。
先輩が、ワゴンから拝借してきたサンドイッチを差し出していた。
卵サンド。
三角形のプラスチックケースに、黄色い中身が見えている。
消費期限のシールの上に、あの赤いバツ印。
手を伸ばした。
迷ったのは、ほんの2秒くらいだった。
自分でも驚くほど、自然に。
ガードレールに腰掛けて食べた。
深夜の国道沿い。
遠くにトラックのヘッドライトが流れていく。エンジンの低い唸りが、アスファルトを伝わってお尻に届く。
卵サンドのパンは少しだけパサついていた。
消費期限ギリギリの、あの独特の乾燥。
マヨネーズの酸味が舌に広がる。卵のぼそぼそした食感。
「……おいしい」
そう言ってから、自分の声に驚いた。
本当においしかったのだ。
空腹と罪悪感と、深夜の湿った空気と、隣に座っている先輩の体温が混ざり合って、この消費期限切れの卵サンドを世界でいちばんおいしい食べ物に変えていた。
「共犯の味がするだろう」
先輩は唐揚げ弁当の蓋を開けながら言った。
「罪悪感は最高の調味料だ。道徳の教科書では絶対に教えてくれない真理だがね」
笑ってしまった。
声を出して、笑ってしまった。
おかしかった。
深夜に、コンビニの廃棄弁当を盗み食いしている。
ヨレヨレの学生服で、踵のはみ出したサンダルを履いて。
隣には学ランの変人がいて、唐揚げを箸で摘みながら「生存権の行使」とか言っている。
何もかもが滅茶苦茶で、何もかもが間違っていて、何もかもがくだらない。
日中あれだけ追い詰められた心が、こんなくだらないことで、ほんの少しだけ軽くなっている。
卵サンドの残りをひと口で頬張った。
頬が膨らんで、上手く噛めなくて、マヨネーズが唇の端についた。
先輩はそれを見て、何も言わなかった。
ただ、トラックのヘッドライトが二人の顔を一瞬だけ照らして、すぐに闇に戻った。
***
コンビニの看板が、また一つ見えた。
先輩は迷いなく店に入った。
自動ドアが開いて、蛍光灯の白い光が漏れ出す。
わたしもついていく。
店内には店員が一人。レジの奥で、あくびを噛み殺しながらスマホをいじっていた。
先輩はバックヤードの方へ歩いていった。
コンテナをかたわらに置いて店員が作業をしている。
透明なビニール袋に入った弁当やサンドイッチ。廃棄用だ。消費期限のシールの上に、赤いバツ印が太いマジックで引かれている。
先輩はコンテナを通り過ぎざま、唐揚げ弁当を一つ、堂々と引き抜いた。
「なっ――」
声が出かけて、慌てて口を押さえた。
店員は気づいていない。
気づけない。
わたしたちは認識されていないのだから。
でも、それとこれとは話が違う。
店の外に出てから、小声で詰め寄った。
「それ、ダメですよ! 泥棒じゃないですか!」
「僕は救命士だよ。廃棄される食物の命を、胃袋という名のシェルターに避難させているためのね」
「そんな屁理屈……」
先輩はビニール袋を破りながら、平然と言い放った。
「食わなきゃ死ぬぞ。死なないために食え。それは倫理を超えた生存権《サバイバル・ライツ》の行使だ」
お腹が鳴った。
盛大に。逃げ場のないほど、正直に。
しまった、と思った。
夕飯を食べていなかったのだ。
帰宅したとき、両親の喧嘩のせいでキッチンに近づけなかった。その後は夢を見て、起きて、母親に――
思い出しかけて、強制的に意識を切った。
先輩が、ワゴンから拝借してきたサンドイッチを差し出していた。
卵サンド。
三角形のプラスチックケースに、黄色い中身が見えている。
消費期限のシールの上に、あの赤いバツ印。
手を伸ばした。
迷ったのは、ほんの2秒くらいだった。
自分でも驚くほど、自然に。
ガードレールに腰掛けて食べた。
深夜の国道沿い。
遠くにトラックのヘッドライトが流れていく。エンジンの低い唸りが、アスファルトを伝わってお尻に届く。
卵サンドのパンは少しだけパサついていた。
消費期限ギリギリの、あの独特の乾燥。
マヨネーズの酸味が舌に広がる。卵のぼそぼそした食感。
「……おいしい」
そう言ってから、自分の声に驚いた。
本当においしかったのだ。
空腹と罪悪感と、深夜の湿った空気と、隣に座っている先輩の体温が混ざり合って、この消費期限切れの卵サンドを世界でいちばんおいしい食べ物に変えていた。
「共犯の味がするだろう」
先輩は唐揚げ弁当の蓋を開けながら言った。
「罪悪感は最高の調味料だ。道徳の教科書では絶対に教えてくれない真理だがね」
笑ってしまった。
声を出して、笑ってしまった。
おかしかった。
深夜に、コンビニの廃棄弁当を盗み食いしている。
ヨレヨレの学生服で、踵のはみ出したサンダルを履いて。
隣には学ランの変人がいて、唐揚げを箸で摘みながら「生存権の行使」とか言っている。
何もかもが滅茶苦茶で、何もかもが間違っていて、何もかもがくだらない。
日中あれだけ追い詰められた心が、こんなくだらないことで、ほんの少しだけ軽くなっている。
卵サンドの残りをひと口で頬張った。
頬が膨らんで、上手く噛めなくて、マヨネーズが唇の端についた。
先輩はそれを見て、何も言わなかった。
ただ、トラックのヘッドライトが二人の顔を一瞬だけ照らして、すぐに闇に戻った。
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