放課後、ボクらは無重力。



校内放送室へ侵入する。
そこは、埃と機械の匂いが支配する閉鎖空間だった。
無数のスイッチ、フェーダー、モニターランプ。
それらが、沈黙した巨獣の内臓のように静かに並んでいる。

彼は迷いのない手つきで機材を操作した。
パチン、と乾いた音がして、赤いランプが灯る。
マイクのスイッチが入った。

彼はマイクの前に座ると、わざとらしいほどの美声で語り始めた。

「Hello, Hello. そしてGood bye, World. 地上という重力圏《グラビティ・フィールド》に縛り付けられた、哀れで滑稽な有象無象の諸君、ごきげんよう。 聞こえているかい? いや、聞こえているはずもないか。君たちの貧弱なアンテナでは、この高高度からの電波は受信できない。だが敢えて語ろう。 これは宇宙からの定期放送、我らが『無重力ラジオ』の時間だ」

朗々とした声が、狭い室内に響き渡る。
あまりの堂々とした芝居がかりっぷりに、唖然とする。

「今日のDJを務めるのは、君たちの頭上30メートル、成層圏より遥か高みから見下ろしているこの僕、墓場零だ」
「ちょ、ちょっと先輩!? なに言ってるんですか!?」
「静かに。オンエア中だ。リスナーへの冒涜になる」

彼はわたしの制止を意にも介さず、滑らかに言葉を紡ぐ。

「さて、今日の最初のニュースだ。1年A組の蜂屋《はちや》さんとお友達の皆様」

蜂屋という言葉に、心臓が跳ね上がる。

「君たちの語彙力はチンパンジー……失敬、あまりにも霊長類《プライメート》に対して失礼だったな。訂正しよう。君たちの言語野の発達程度は、脊椎動物ですらないアメーバ相当だと評判だぞ? 友人の不在を肴に笑うその顔、鏡で見たことはあるかい? ……ああ、重ねて失敬。鏡に映らないほどの薄っぺらい魂だったかな?」
「や、やめてくださいっ……! 校内放送しちゃってるんでしょう!?」
「平気さ。何を言っても連中には聞こえない。僕たちを無視している連中には、何を言っても聞こえない」

彼はニヤリと笑う。
その笑顔は、共犯者を誘う悪魔のように魅力的だった。

「世界からつまみ出されたのを逆手にとって、遊ぶのさ。どうせ届かないなら、何を叫んでも自由だろ? 叫ぶという行為に意味があるのなら、叫ばぬという選択肢は愚行だ」
「……」

息を飲む。
届かないから、自由。
その逆転の発想が、常識を根底から揺さぶる。

「君も、喋ってみるか?」
「えっ」

「言えよ。あれだけのことをされて、黙って引き下がるのか? 言いたいことの一つや二つ、あるだろう? 溜め込んだまま腐らせるより、空へ向かって解き放つ方が精神衛生上よろしいと、僕は思うがね」

マイクをわたしの方へ向ける。
銀色のマイクヘッドが、鈍い光を放っている。

「…………」

恐る恐るマイクに近づく。
心臓が早鐘を打っている。
銀色の網目に向かって、唇を開く。

「……蜂屋さんの、バカ」

小さな声。震える声。
静寂。

「そんなもんなのか?」

先輩が冷ややかに笑った。

「君の絶望は、その程度の可愛い愚痴で解消されるほど安っぽいのか? なんだ、がっかりだな。期待外れだ」

奥歯が鳴った。
違う。
そんな綺麗な言葉じゃ足りない。
もっと、今のこの胸のつかえを、腹の底に溜まった真っ黒なヘドロみたいなものを、全部吐き出さなきゃ嘘だ。

大きく息を吸い込んだ。
肺が痛くなるほど、埃っぽい空気を満タンまで溜め込んで。

「……蜂屋、摩耶ぁぁぁぁ!!」

喉が裂けてもいいと思った。

「あんたの方が、性格最悪! 靴隠すとかキモい! 暇人! 消えろ! 地獄に落ちろ!! バーカ!!!」

絶叫が、狭い放送室で飽和する。
声帯が擦り切れそうなほどの暴言。
普段のわたしなら、絶対に口にしない汚い言葉。
世界は何も変わらない。
誰も振り返らない。誰も怒らない。誰も傷つかない。
それでも。

透明人間だけの特権。
今のわたしの精一杯。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

肩で息をする。
あんなに重かった胃の塊が、嘘みたいに軽くなっていた。

「言うじゃないか。実に悪くない響きだ」

先輩が満足そうに頷く。
ふと掌を見ると、いつの間にか手にしていたカステラがあった。
体温で温まり、自分の手汗と脂で少し潰れている。
それが、愛おしかった。

「……これ、食べていいですか」
「もちろん。君の戦利品だ」

カステラを口にする。
叫んだ後の乾いた喉に、強烈な甘さが染み渡る。
卵と蜂蜜の濃厚な風味。
ザラメのシャリッとした食感。
掌に押し付けられたまま持ち歩いていた、あの共犯のかけらが、今は涙が出るほど美味しかった。

「……美味しい」
「だろ? この世の真理だ」

彼と顔を見合わせ、どちらからともなく小さく笑った。