放課後、ボクらは無重力。

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放課後のゴミ集積所。
カラスの鳴き声が、湿った空気の中に不吉に響いている。

意を決して、巨大な可燃ゴミのコンテナを覗き込んだ。
鼻を突くのは、腐敗した生ゴミと、誰かが飲み残したカフェオレの、酸っぱくて甘い饐《す》えた臭い。
それは、都市の排泄物の臭いだった。

そのゴミの山の裂け目から、見覚えのある「白さ」が、無惨に汚れた状態で顔を出していた。

顔を背けながら、それを指先でつまみ上げた。
かつては真っ白で、唯の清潔な日常を支えていたはずの上履き。
それは今、茶褐色の液体をたっぷり吸い込み、ずっしりと重い「残骸」に成り果てていた。
つま先に油性ペンで丁寧に書いた『1-A 水瀬』の文字が、まだかすかに読めた。

水曜日の体育の前に、ちゃんと洗って干した自分の上履き。
それが四日後に、ただの汚物になった。

「……ありましたね」

靴の底から、糸を引くように汚泥が滴る。
それはわたしがこれまで必死に守ろうとしてきた「真面目な女子高生」という偶像の死骸のようにも見えた。

さらにその奥。
上履きがあった場所のさらに下層から、泥水を吸って膨れ上がった布の塊が見えた。
見覚えのある紺色の巾着袋。口紐がちぎれ、中から赤白帽が舌のように飛び出している。

「あ……」

体操着だ。
上履きよりも酷い。生ゴミの汁気を一身に吸い、見るも無惨な色に変色している。

「…………」

言葉が出なかった。
体操着は自分だ。自分の皮膚だ。
胃の腑が熱くなる。
自分が腐った生ゴミの一部になったような錯覚。

「…………」

逃げ出したかった。
でも、足が動かない。重力に縫い付けられたように。

「元はといえば、上履き探しを提案した僕の責任だな」

声がした。
先輩は少し離れたところで、わたしを見つめていた。
その声には、いつもの傲慢な響きはなく、剥き出しの悔恨が混じっていた。
沈黙が二人の間に横たわる。影が長く伸び、校舎を朱色に染め上げていく。

「みっともないですね。こんな目に遭って」
「みっともないのは連中だ。君はむしろ勇敢だ」
「えっ」
「君はてっきり逃げだしたいのかと思って教室から連れ出したんだが、ここに行くと言い出すとはね。僕の想像を超えていた。僕は君をみくびっていたというわけだ」
「……それ、褒めてるんですか?」
「褒めてはいけないか?」
「もっとわかりやすい方がいいです。でも、ありがとうございます」
「すまないな。ぼっち歴が長すぎて、慰め方がよくわからん」
「先輩って、本当にぼっちの先輩だったんですね」
「バカにしてないか? きみ」
「どうでしょう」

笑った。
涙が出そうだったけれど、笑った。

「感謝してるんですよ、本当に」
「ん? 何にだ?」
「先輩、最初の言葉、覚えています?」
「ああ、飛び降りかと勘違いしたことか? 失礼だった。心から謝罪する」
「当たってました」

わたしは屋上のフェンスを見上げた。
金網の向こうの空は、ここよりもずっと高くて、綺麗だった。
あそこから落ちれば、きっと楽になれたはずだ。
でも、今は。

「先輩が声をかけてくれなかったら、わたし、飛び降りてたかもしれません」

口にしていた。
みじめで、みっともなくて、誰にも知られたくなかった思いが、心の奥にしまって永遠に隠しておこうと思っていた思いが、するっと、言葉になっていた。
先輩の言葉を聞いているうちに、わたしを縛り付けていた鎖がどんどんと崩れ、ほどけ、なくなって、心がすうっと空に浮きあがっていた。重力から離れて、宇宙に飛び出すみたいに、心が、言葉になっていた。

言いたかったのだ。
否定されない誰かに。
聞いて欲しかったのだ。
受け止めてくれる誰かに。

「…………」

先輩は何も答えなかった。
わたしをじっと見つめ、目を逸らさず、しばし、熟考するように唇を結び、そして。

「行くぞ」
「えっ、どこへ?」
「放送室だ」

先輩は走り出した。振り返らずに。
黒い背中が、夕陽の中で揺れている。

ついてこい、とは言わなかった。
でも、わたしは走り出していた。

引力。

先輩の言葉が、不思議なほど強く、わたしを動かしていた。

***