先に踏み込むのは椛のはずだったのに、その前に標的のほうから声をかけられてしまった。
鋭い殺し屋は、同業者の気配に敏感だ。まだ殺気すら出していない椛の気配に、店の中にいて気付いたのだろうか。
予定が狂い、動揺した。
(どうしよう……いっそのこと、このままひと息に襲いかかってしまおうか……)
冷静な判断ができなくなり、隠した懐刀を手で探る。それを引き抜こうとしたその瞬間、
「どうかされたの? 暁さん」
暖簾の奥から若い女が姿を見せた。
上質そうな着物を纏った綺麗な人だ。唇に乗った、やけに鮮やかな紅の色が、椛の記憶を刺激した。
赤は苦手だ。特に、血の赤は――
不知火家に生まれた者として致命的だが、鮮血のような赤色を目にするとどうしてもあのときの恐怖が蘇る。
六年前、目の前で母を奪われたときの記憶が――
懐刀を抜こうとした手が震え、うまく息ができなくなる。吸っても吸っても満たされない。冷や汗と激しい動悸で、周囲の音も聞こえない。
胸を押さえて蹲ったとき、何かざらっとした感触のものが口元にあたった。
「大丈夫。すぐに治る。まずは落ち着いて、ゆっくりと息を吐け」
耳元で穏やかな低い声が響く。
「吐いて、吐いて……そう、上手だ」
声に導かれるままに、椛は意識して少しずつ息を吐いた。誰ともわからない大きな手が、椛の背中をさすってくれる。そうしているうちに、次第に呼吸がラクになっていった。
「落ち着いたか?」
口元に当てられていたのは麻袋。それを握りしめて顔を上げると、心配そうに目を細めた赤髪の男と目が合った。
「あっ、く……あっ……」
黒羽の赤鴉――
驚きのあまりに言葉が詰まり、無様にも後ろのひっくり返る。それを見た赤髪の男は、ほんの一瞬目を瞠り、それからふっと息を零した。
――笑った、のだと思う。男の眼光がわずかにやわらぐのがわかった。
「次々とせわしないな。大丈夫か」
男の手が椛の手をつかみ、助け起こしてくれる。団子屋の店主にしては、ずいぶんと固い手のひら。その感触に、どぎまぎとした。
「あ、ありがとうございます……」
口の中でモゴモゴとお礼を言う椛の頭の中で、いくつもの思考が浮かんでは消えていく。
標的に助けられるなんて、不知火の恥。父や兄姉たちに知れたらどれほど呆れられるか。
最初に考えていた作戦はもう使えない。一度引いて、作戦を練ってから出直した方がいいだろうか。
けれど、黒羽の赤鴉に顔を知られた。
それなら、今ここで、一気に刀を抜いて喉を掻っ切れば——
決断がつかないままに懐刀に手を伸ばす。



