◇
彼の家に戻って時計を見ると、二十三時半を回る少し前だった。
「お風呂、ためるから……先どうぞ」
少し裏返った声をごまかすように、彼がコホンと咳払いをする。
「あ、ハイ……」
その緊張が私にもうつってしまい、またぎこちない返事をして洗面所をお借りした。
鏡の前でメイク落としシートで化粧を拭き取りながら、ふと手が止まる。
(あ……メイク落とすと、子供っぽく見えるかな……)
中学校の同級生である彼には、化粧をしていない顔を知られているわけだけど。
大学生になった今、すっぴんを見せるのはなんだか恥ずかしい。
そして、いろいろなことが気になり始める。
私が何か気をつけることはあるんだろうか。
全部祥ちゃんに任せていいのかな……。
この後、祥ちゃんがお風呂に入ってる間に、スマホで検索しようかな……。
でも、その間に髪を乾かしておかなきゃいけない。
そういえば祥ちゃんは髪が短いけれど、ドライヤーなんて持っているのだろうか。
頭の中でそんな考えが次々に渦巻いて、落ち着かない。
お湯を張ってくれた湯船に少しだけ浸かったものの、自分の家のお風呂とは勝手が違うこともあり、色々と手間取ってしまった。
(あ! 0時にプレゼント渡して祝うんだから、早く出なきゃ……!)
時間のことを思い出して、私は慌ててお風呂から上がった。
洗面所に彼が置いてくれていた大判のバスタオルで髪を拭く。
その瞬間、ふわりとシャンプーの香りとタオルの柔軟剤の香りが混ざり合った。
たしかに、いつも彼からする香りに近い。
彼と同じ香りに包まれていることが、なんだか宝物のように感じられて、胸がドキドキするけれど、同時に心がほぐれていく感覚もあった。
パジャマの代わりに借りたのは、祥ちゃんのグレーのスウェットだ。
当然ながらダボダボで、袖も裾も余っている。
鏡を見て考える。
(なるほど、これが世に言う『彼服』というやつか……)
世の中的には男子をキュンとさせるアイテムらしいけれど。
私が着ると、大人の服を間違えて着ちゃった子供のように、ちんちくりんに映らないだろうか。
少しの不安を抱えながら洗面所を出た。
「……お風呂、ありがとう」
祥ちゃんはお礼を言った私を一目見るなり、サッと目をそらして「……うん」とだけ短く答えた。
耳がほんのりと赤い。
「あの……ドライヤーあったら、借りてもいい?」
「あるよ」
彼が洗面台の下から黒いドライヤーを出して渡してくれた。
「俺、入ってくるから。ゆっくり使ってていいよ」
そう言って、祥ちゃんはそそくさと洗面所へ消えていった。
(よし、先に髪を乾かして、今のうちにネットで……)
そう思って準備を始めたのに。
私の髪が乾き切る前に、バタッと洗面所のドアが開いた。
「……速いっ!」
思わず声が出た。烏の行水にもほどがある。
「あ、ごめん。ゆっくりでいいから、終わったらそれ貸して」
そう言って、ドライヤーに目を向けた。
首にバスタオルをかけた祥ちゃんは、少し濡れた髪のまま冷蔵庫へ直行し、麦茶の二リットルペットボトルを取り出した。
そして、口を付けずに、少し離したところから滝のように直接自分の喉へと流し込んでいる。
(お風呂上がりの祥ちゃん……カッコいいし、なんだかあどけなくて可愛い……)
私はドライヤーの手を止め、その喉仏が動くのをじーっと見つめてしまった。
「……あ、ごめん。ついいつもの癖で」
私の視線に気づいた祥ちゃんは、飲み方をジロジロ見られていたと思ったのか、照れくさそうに笑って、私のコップにも麦茶を注いでくれた。
自分の髪を乾かし終え、私はコードを巻きながら思いついた。
「……祥ちゃんの髪、乾かしたいな」
「えっ? ……じゃあ……お願いします」
少し驚きつつも了承してくれた彼を床に座らせ、私はソファベッドに腰掛けた。
人の髪を乾かすのは初めてだ。
スイッチを入れ、そーっと手ぐしで整えながら温風を当てていく。
指に触れる祥ちゃんの髪は、私の細い髪とは全然違う。
芯がしっかりとしていて、一本一本が太くて黒い。
けれど毛先にはちょっと丸みがあって、柔らかい。
しっかりとした男らしさを感じつつも、今、私に大人しく乾かされている彼の少し丸まった背中に、たまらない愛おしさが込み上げてきた。


