ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの両片思い。不器用な二人が、東京で0センチメートルになるまで~

中学時代の私にとって、瀬川くんの背中は「勇気の象徴」だった。

私が打ち込んでいた走り高跳びは、常に自分との戦いを強いられる孤独な競技だ。

助走位置に立ち、遥か高くに設定されたバーを見上げる瞬間、周囲の歓声も風の音も消え去り、世界には自分とバーだけが残る。
失敗すれば、その責任はすべて自分一人にのしかかってくる。

言いようのないプレッシャーに押しつぶされそうになる時、私はいつも、隣のグラウンドにあるマウンドに視線を向けていた。

夏の乾いた風が砂埃を巻き上げる中、期待という重圧を背負い、逃げ場のない場所で腕を振り続ける彼。
ミットにボールが収まる「パーン」という気持ちの良い音が、遠くの助走板まで響いてくる。

(私と同い年の男の子とは思えないくらい、凛としているな)

その立ち姿を遠くに認めるだけで、不思議と足が前に出た。踏み切るための勇気が、足の裏から湧き上がってくるようだった。


中学最後の、夏の大会。
私の腰は、蓄積された疲労とヘルニアで悲鳴を上げていた。
息をするだけで鈍い痛みが走り、医師からは出場を止められ、両親にも反対されていた。
私自身、悔しくも棄権する方向で心を決めていた。
ぼんやりと通院を繰り返す日々――そんな時。
人づてに彼の怪我の一報を聞いた。

偶然、病院の前にある公園で彼の背中を見かけた時、私は思わず声をかけていた。

男の子と喋るのは得意ではないし、親しいわけでもない私からの言葉なんて、彼にとっては意味をなさないかもしれない。
ましてや、今は彼が一番辛い時だ。元気づけようなんて、おこがましい。

それでも声をかけずにはいられなかったのは、無意識に足が彼の方へと向いてしまったからだ。

彼と短い言葉を交わした後、私は、舌の奥に苦味が残る強い痛み止めを飲み込んで、最後の大会に出場することを決めた。

私が跳ぶことで、彼の無念を晴らそうなんて大それたことではない。
ただ、志半ばで白球を手放さざるを得なかった彼を思うと、私は自分の足で、最後まで「跳び切りたかった」のだ。
ただの自己満足だとは分かっている。
けれどそれは、彼から勇気をもらい続けた私なりの、ちっぽけで、譲れない意地だった。

痛みで思うように踏ん張りがきかず、大会の結果は、三年間目指してきたものには到底及ばなかった。

けれど、不思議と心は晴れやかだった。

マットに沈み込んだ視界いっぱいに広がった初夏の青空は、私の心とそのまま重なっているように見えた。