ふたつの弧が重なるとき ~交わらなかったふたりの、遅すぎる初恋がはじまるまで~

「え、ちょっと待って。整理させて」
正人がジョッキをテーブルにドン、と音を立てて置いた。
その勢いで中身が少しこぼれたが、彼は気にする様子もなく、僕と、目の前の彼女――森さんを交互に指差した。
「つまり、祥太郎と森さんは、福島の同じ中学出身。お互い同じ大学に入ったことも知らなかったのに、今日この東京のど真ん中、しかも同じサークルの新歓で再会したってこと?」
森さんは、小さく頷く。僕も烏龍茶を飲みながら答える。
「……そうだな」
「すっげー! なにそれ! ドラマじゃん!」
正人の大声に、隣のテーブルの学生たちが何事かとこちらを向く。森さんは少し居心地が悪そうに、手元の紅茶のストローを触っている。
もしかして、こういう場は、苦手なのかもしれない。
それか、人見知り?
いや、正人の声がでかすぎて驚いているのかも…。
「正人、声でかいぞ」
「すごーい!それって運命じゃない?」
近くで話を聞いていた先輩たちの冷やかしに、森さんが慌てて手を振る。
「本当に偶然で…!」
その否定の仕方がやけに一生懸命で、僕は少しだけ胸がチクリとした。
わかってる。彼女にとって僕は、ただの同級生Aに過ぎない。そこはきちんとわきまえている。
「二人は接点あったの?」
僕は喉の渇きを覚悟して口を開いた。
「いや、ほとんどなくて。森さんはなんていうか……有名だったから、俺は知ってたけど」
『ずっと目で追っていたから知っていた』という事実は、手元にあったキンキンに冷えた水と一緒に飲み込んだ。
焦って汗をかいているのか、喉が渇く。
すると、森さんが不意に顔を上げて僕を見た。
透き通った瞳が、居酒屋の薄暗い照明の中で揺れている。
「……瀬川くんも、有名だったよ」
予想外の言葉に、心臓が跳ねる。
「え?」
「地元でも話題になるくらい、すごいピッチャーだったし。……私、瀬川くんの練習、友達とよく見てたから」
ドクン、と脈が耳の奥で鳴った。
見ていた? 彼女が? 僕を?
マウンドの上、泥だらけで投げていたあの姿を、あの「高嶺の花」が見ていたというのか。
「マジかよ祥太郎! お前、隅に置けねーな!」
正人がニヤニヤしながら僕の肩をバシバシと叩く。痛い。けど、今はその痛みがありがたかった。でなければ、顔が熱くなっているのを悟られてしまいそうだったから。
「あ、でも!」
森さんが慌てて付け加える。
「そういうんじゃなくて、なんていうか、尊敬……みたいな? ひとりで投げててすごいなって。……あ、ごめん、変なこと言っちゃった」
しゅん、と小さくなる彼女。
「ハハ!いずれにせよかっけーな祥太郎!あ、森さん。枝豆食べたら?」
正人はカラッと笑いながらさりげなく枝豆に話題をすり替えた。
「……うん。ありがとう」
差し出された枝豆を、森さんがリスのように小さく口に運ぶ。
その姿を見て、僕は改めてこの現実が信じられなかった。
中学時代の彼女は、僕の中で「聖域」にいる存在だった。
汗をかいても美しい、笑顔は太陽、完璧な美少女。
でも今、目の前にいる彼女は、人見知りで、焦ったりして、枝豆をもぐもぐと食べている。
(なんだか……)
高嶺の花が、急に地面に降りてきたような。
いや、違う。
僕が勝手に偶像化していただけで、彼女も普通の女の子だったんだ。
その事実に気づいた瞬間、緊張の糸がほんの少しだけ緩んだ。
同時に、かつてとは違う種類の、もっと温かくて柔らかい感情が、胸の奥で芽吹き始めるのを感じた。
「……あ、俺も枝豆もらっていい?」
「あ、どうぞ。……美味しいよ、これ」
森さんが皿を少しこちらへ押し出してくれる。
一体これは、どういう状況なんだ。
枝豆を噛みながら、混乱した頭を落ち着かせようと試みる。
僕の人生に、急に再び彼女という光が現れた夜だった。