第一部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

「さて、少しお話よろしいでしょうか?」
お嬢様がゆっくりと立ち上がり、柔らかく微笑む。

「なにかしら」
ナナ嬢は少し警戒した表情だ。

「なんだ、言ってみろ、妹よ」
マルク様もお嬢様に注目している。

「まず、こちらのバラですが……濡れていますね。
こちらは花瓶に入っていたのでしょうか?」

「ええ、そうよ」

「持ってきたバラは誰が花瓶に入れたのですか?」

「それはうちの使用人にやらせた。令嬢たちの手を煩わせるわけにはいかないからな」
マルク様は少し紳士的に答える。

「ただ、少し化粧室にと目を離した隙にこの有り様だったのよ」
ナナ嬢が説明する。

「そうでしたか。ところで、今日はとても良いお天気ですね」

「は?まあ、そうですわね」
ナナ嬢は急に話題を変えたお嬢様に怪訝な様子を見せる。

お嬢様は冷静に周囲を見渡し、言葉を続ける。
「雨も降っていないので、地面も濡れていません。

なのに――どうしてナナ嬢のドレスの裾は濡れているのでしょう?」

ユウリは息を呑む。
お嬢様の言葉はまるで、ただの観察ではなく論理の刃のように空気を切り裂いていた。
誰もが視線を下げざるを得ない――お嬢様の洞察力が、この一瞬で場を支配したのだ。

確かにナナ嬢のドレスの裾は泥で少し汚れている。

「あとそうですね……まるでバラのトゲに引っかかったような傷もドレスに見られますね」

お嬢様の指摘に、ナナ嬢の顔が青ざめ、慌てふためきだす。

「こ、これは少し……お茶をこぼしましたのよ!
あとドレスの傷は、馬車から降りる時にできたものですわ!」

無理のある言い訳を必死に並べるナナ令嬢。

「では、この手はなんて説明しましょうか?」
お嬢様はナナ嬢の手を取り、手袋を外す。
指先にはバラのトゲでできた傷がくっきりと見える。

「な、なにを……」
ナナ嬢は息を詰める。

「そうですね、ユウリ。そちらのユリア嬢の手も確認してくれるかしら」

「は、はい。失礼します」
ユウリがそっとユリア嬢の手を見ると、手袋はしていないにも関わらず、傷ひとつない綺麗な指先がそこにあった。

ユウリの胸に、答えは明らかだ。