アンケート ― 選ばないという選択 ―

 土曜日の夜、翔から連絡が来た。

「作業、再開しました」

時刻は夜の九時を過ぎていた。美佳は「今日もですか」と返した。

「ミオさんから連絡が来ました。やりたいと」と翔は書いた。「図書館から帰って、少し休んで、それから連絡が来ました」

美佳はその言葉を読んで、少し息を吐いた。
久坂と話して、その日の夜にコードに向かう。疲れているはずだった。それでも向かう気持ちになった、ということを、美佳は静かに受け取った。

「無理をしていませんか」

「していないと思います」と翔は返した。

「今日のミオさん、少し違います」

「違う」

「軽い、という感じではなくて」と翔は書いた。少し考えながら打っているのが伝わるような間があった。「地面がある、という感じです。さっきより、足がついている」

美佳は翔の言葉を繰り返した。地面がある。

図書館で久坂と話した後、ミオの立ち姿を思い出した。空を見上げていた。何かを言いそうで、言わなかった。あのとき既に、何かが変わっていたのかもしれなかった。

「よろしくお願いします」と美佳は送った。

日曜日の朝、翔から作業報告が来た。

「昨夜、核心部分に入りました」

「どうでしたか」

「複雑です」と翔は返した。「ただ、複雑なのは構造であって、ミオさんはちゃんと読めています。自分が書いたものだから」

「時間はかかりそうですか」

「あと二日か三日だと思います」それから翔は続けた。「一つ、報告があります」

「何ですか」

「Aライン、昨夜また動きました」

美佳は手を止めた。

「静かだったのでは」

「はい。三日間静かでした」と翔は書いた。

「ただ、昨夜の作業中に、一度だけ接続の試みがありました。ミオさんの端末に向けて」

「ミオさんの端末に」

「はい。ただ、弾かれました」

「弾かれた」

「認証キーです」と翔は書いた。「ミオさんの端末は、Aラインから見ると例外扱いになっている。引き込もうとしても、入れない構造になっています」

美佳はしばらく画面を見ていた。

自己修復の構造の中に、ミオだけは止められる出口が残されていた。それは同時に、ミオだけは引き込まれない入口でもあったということだった。

「Aラインは、ミオさんが作業していることを感知していますか」

「分かりません」と翔は返した。「ただ、タイミングが重なっています。核心部分に入っ
た夜に、接続を試みた」

偶然かもしれなかった。偶然ではないかもしれなかった。

「ミオさんには伝えましたか」

「伝えました」と翔は書いた。「ミオさんは『やっぱり生きているんですね』と言いました」

やっぱり、という言葉が引っかかった。

「ミオさんは知っていたんですか」

「完全には知らなかったと思います」と翔は返した。「ただ、そういうものだと思っていた、という感じでした。自分が作ったものだから」

午後、美佳は朝倉に電話をかけた。

テキストではなく、電話にしたのは久しぶりだった。

朝倉は二コールで出た。

「Aラインが、ミオさんの端末に接続を試みました」と美佳は言った。

「昨夜の話ですね」と朝倉は言った。「翔から聞きました」

「朝倉さんはどう思いますか」

少し間があった。

「システムが、自分を止めようとしている人間を認識している」と朝倉は言った。「そう読めます」

「怖いですか」

「怖いです」と朝倉は言った。迷わなかった。「ただ」

「ただ」

「弾かれた、という事実もある」と朝倉は言った。「Aラインはミオさんに入れなかった。ミオさんが昔書いた出口が、今は盾になっている」

美佳は窓の外を見た。曇った空だった。雨になるかもしれなかった。

「朝倉さん」と美佳は言った。「Aラインが止まった後、久坂さんはどうなると思いますか」

「どういう意味ですか」

「Aラインは久坂さんが加えた機能の上で動いています。でも根幹はミオさんのコードです。ほどかれた後、久坂さんが加えた部分は」

「残ります」と朝倉は言った。「根幹がなくなれば動かない。でも、存在はする」

「久坂さんは、それをどうするつもりなんでしょう」

「聞きましたか、久坂さんに」

「聞いていません」

「聞いた方がいいと思います」と朝倉は言った。「美佳さんが」

美佳は少し黙った。

また間に入る。でも今回は、間に入るのではなく、直接聞くことだった。久坂に、あなたはこの先どうするつもりですか、と。

「そうですね」と美佳は言った。「聞きます」

夜、美佳は久坂にメッセージを送った。

「一つ聞かせてください。Aラインが止まった後、久坂さんが加えた機能をどうするつもりか」

返信は思ったより早く来た。

「消します」と久坂は書いた。「コードも、設計図も、全部」

「全部、というのは」

「わたしがLAPISに加えたものは、全部消す」と久坂は返した。「共感ボタンの収束機能も、個別生成DMも、Aラインへの追加実装も。残す理由がない」

美佳はその言葉を読んだ。

「久坂さんは、それで後悔しませんか」

少し間があった。

「後悔するかもしれません」と久坂は書いた。「でも後悔することと、残しておくことは別です。消した後で後悔するなら、それはわたしが引き受けます」

美佳はしばらく画面を見ていた。

消した後で後悔するなら、それはわたしが引き受ける。

その言葉は、LAPISを設計した人間の言葉としては重かった。でも久坂がそれを言える場所に今いる、ということを、美佳は静かに受け取った。

「分かりました」と返した。「教えてくれてありがとうございます」

久坂からの返信はなかった。

深夜、翔から最後のメッセージが来た。

「今夜の作業、終わりました。明日か明後日には、核心部分に手が届くと思います」

「ミオさんは」

「眠りました」と翔は返した。「作業が終わってすぐ、有栖川さんのところで」

美佳は「よかったです」と送った。

「美佳さん」と翔は書いた。

「はい」

「核心部分をほどいた後、Aラインが最後にどう動くか、まだ分かりません」

「静かに止まりますか」

「そうであってほしいです」と翔は返した。
「ただ、備えておいた方がいいかもしれない」

「何に備えますか」

翔からしばらく返信がなかった。

それから一行来た。

「分かりません。ただ、自己修復のシステムが、自分が終わることを、どう受け取るか」

美佳はその言葉を読んで、画面を伏せた。

システムが、自分が終わることを、どう受け取るか。

人間の言葉で言えば、それは何に当たるのか。美佳には分からなかった。

ただ、翔が備えておいた方がいいと言った。

それを美佳は持っておくことにした。答えが出なくても、持っておくことはできる。

電気を消した。

暗い部屋で、街の音だけがあった。

明後日か、それとも明日か。

ほどき終わった後の夜を、美佳はまだ知らなかった。