わたしは朝、学校に着くと、全力疾走はせずに、客観的に見て「速いかな」くらいの速さで教室へ向かう。
無論、人にこの身体能力がバレないようにである。
小走りで廊下を進む。そこで誰かにすれ違い、肩がぶつかるのも毎日のこと。
わたしの通う高校は、全校生徒数が全国的に見ても多いのだ。
「すみません、前方不注意でした」
わたしは謝りながら、その場を後にする。
「あ、女子か」
「思ったよりごついっていうか……」
「なんか重機みたい」
「さすがロボット女」
わたし——永瀬美久乃は名前に似合わぬ武道家だ。
実際、武道を他人から習っていたわけではない。
全て独学で勉強しているのだ。
親にバレないように道具を集め、夜、親が寝た瞬間を狙って修行をしていた。
そもそも放任主義の両親で、特に母親は一人っ子のわたしに無関心だった。今は別居している両親だが、自分をここまで育ててくれた分には感謝している。
アニメを観るのが大好きだったわたし。
「好き」の果ては、「好きなものになりたい」だとわたしは気づいた。
わたしの『推し』でわたしのヒーローである、アニメキャラ、白凪昇太朗。
彼に憧れて、彼の職業である、『アサシン』——いわゆる殺し屋、暗殺者になりたいとまで思うようになってしまった。昇太朗は科学の力と自らの戦闘能力を活かして戦う天才型。彼が登場するアニメの中でもかなり人気のキャラクターである。
しかし、殺し屋の仕事はかなりの身体能力を欲するもの。だからわたしはムキになって鍛えた。両親の目に入らぬところで、汗水垂らして努力したのだ。
その結果、熊とタイマンで戦っていい勝負になるくらいの戦闘力が身についたのだ。いや、アニメの力ってすごいね。
しかしそのことが周りにバレたら恥をかくだけになりそうなので、誰にも内緒にしている。まず殺し屋なんて現代にいないだろうし。
だが、なぜか堅物みたいな性格に育ったわたしについた異名——
それは【ロボット女】。
そんなわたしを呼ぶ何者かの声が廊下から聞こえてきた。
「永瀬。何してたん?」
「あ……」
わたしは口を噤む。身長は低いものの、可愛らしい動物を想起させる顔立ちの美青年。染めている金髪が窓から差し込む太陽の光で輝いていた。
幼馴染——ではないけれど、わたしとは昔からの付き合いである申巻啓介くん。彼はもう引っ越したものの、昔同じマンションに住んでいたので、彼とは深い仲。小学生の頃からの腐れ縁と言っても過言ではないだろう。
バレー部の期待の新人として、教師からも一目置かれている申巻くん。わたしは彼が少し羨ましかった。
そんなこと知る由もない申巻くんは、わたしを睨みつける。
「今日の朝、男子抱いてたろ」
「あ、いや……」
小学校、中学校と同じ学校で、マンションが同じだったからかクラスも同じになることが多かったわたしと申巻くん。しかし申巻くんは昔からわたしに嫌がらせばかりしてきた。
机に落書きしたり、わたしの幼馴染の男子をいじめたり、その子と喧嘩したり、わたしのスカートをめくったり。
中学生になってからは、無視したりしてくることがかなり増え、関係を切ることも容易かったが、今までいじめてきた彼なのに、今まで仲良くしていた頃もあったことを思い出して、なかなか縁を切れずにいた。
ずる賢い申巻くんでも、顔はいいからか、地味にモテていた。それがまた腹立つ話である。
そして、問題は今日の朝の出来事だ。
「あれは、抱いてたんじゃなくて……」
「は?お姫様抱っこしてたくせに」
「いや……なんていうか」
彼の思っている「抱いた」とは別。それは確かだ。
今朝、わたしは家を出て、いつも通りの通学路を歩いていた。大きなマンションの並ぶ都会に住んでいるので、車通りも激しい通学路。わたしはいつも念入りに警戒しながら学校へ向かうのだ。最近は痴漢とかも多い。その辺には徹底していかないといけないのだ。
そんなとき、見てはいけないものを見たのだ。
『……あれ?』
同じクラスの男子。中くらいの身長で、絹糸のような黒髪を揺らしている長めのマッシュヘアの男子だ。かなりの色白美人で顔も整っている。そして何よりも視線が持っていかれるのは、右目の眼帯。指やら首にも所々ガーゼや絆創膏が貼ってある。要するにとても痛々しい青年。クラスの中でも見た目だけならだいぶ目立っている。
……が、名前が思い出せない。
でも、あだ名ならいくらでも思い出せる。
中でも有名なあだ名。
それが、【不運王子】。他にも疫病神だったりひどいあだ名ばかりついている。
そんな不運王子の、不運を目の当たりにしてしまったのだ。
横断歩道。ふらふら歩いている不運王子はその信号が真っ赤に光っていることに気づいていない。大型トラックが今にも突撃してこようというのに。
『やばい、轢かれる』
そう思った時、わたしの体は勝手に動き出していた。目にも止まらぬスピードで走り出し、不運王子の体を宙に浮かせる。トラックのルーフを蹴り上げ、王子様を抱いたまま、横断歩道を超えた先に着地した。周りから拍手が起こる。
不運王子は目を輝かせて腕の中からわたしを見た。
『大丈夫?僕これでも60キロあるよ?』
こんなに細いのに60キロ!?目が回りそうになる。
『ありがとうございます』
『あ、はい』
わたしにお礼をすると、彼は前を見ずに歩き出した。すぐに電柱にぶつかる。
「は?だから何?」
今のことを説明しても、申巻くんは納得しなかった。
言っちゃ悪いが、今わたしに友達がいないのも、申巻くんのせいだと思う。彼のせいで、女子からは嫉妬され、男子からは軽蔑の目で見られる。
だから、最初に彼の姿を入学式で見つめた時は、心底絶望した。
女子からモテるからか、彼は自分の顔に自信があるのだろう。
「俺の彼女にしてやってもいいって言ったのに。なんだよその有様」
そちらこそその態度はなんだ……と言い返しても無駄なので黙っておく。
クラスが一組と九組で別れたことだけが、神の救いだったのだろう。
いや、違うな。
わたしだって一部の女子から人気があるのだ。自分が孤独なわけではない。本当に孤独なのは……
「永瀬さんとはどんな関係なの!?」
「付き合ってるの?ねえ、教えてよ!!」
同じクラスの【不運王子】だ。
な、何事……。
わたしは教室のはじに集まる女子たちを遠い目で見ていた。すると女子たちの中の一人がわたしの存在に気づき、大声を上げて近づいてきた。
「永瀬さん!ふ……じゃなくて、犬飼さんとはどんな関係なの!?」
「はい?」
わたしは耳を疑う。何を言い出すのだ。まず犬飼って誰だ。
「あばばばば……どうしよう」
あ、あれか。わたしはすぐに犬飼がどの人か理解する。
流れるような輪郭。美しい肌。大きな涙袋。眼帯と黒髪……って、不運王子?
不運王子に不運王子以外の名前があったとは……いや、疫病神っていうあだ名もあったか。
「ねね、どうなの?付き合ってるの?」
「ご、誤解です!!」
色々説明しようと思った時、教室のドアが開いて、破滅の声がした。
「はいみなさん席につきなさい」
担任の深川の声で全部が終わった気がした。誤解されたまま、朝が始まるのか……。

