翌日。
「体育……だる」
ジャージに着替えた犬飼さんが突然こんなことを言い出した。
「運動苦手なの?」
「苦手ですね……足も遅いですし」
足、遅いんだ。さすが不運を振り撒くドジっ子さん。
足の速さとかなら自信はあるけれど、できる限り学校ではそのことを隠しておきたい。
完全に負のオーラが漂っている彼の背中をさすりながら、わたしは運動帽をかぶる。そんなわたしをやつれた彼が見つめていた。
「昨日寝た?」
「えっ……あ……はい……」
「はあ、わかりやすすぎ」
わたしが怒ると、彼はシュンとしながら口を噤んだ。
「勉強していたんです……」
「苦手な数学の勉強?」
「いえ……その……とびっきりの筑前煮の作り方を……」
この瞬間、わたしの脳内で何かがブチッと切れた気がした。
「アホなんですか!!徹夜で筑前煮の作り方を勉強するって!!!!」
「ええぇっ……」
どうしてそうなるの。なんでそんなに筑前煮にこだわるの。
色々な種類の怒りがわたしを襲った。
「どうしても、喜んでもらいたかったんです。あまりにも永瀬さんの笑顔が素敵なもので……」
わたしは何も言い返せなかった。
「ダメですか……?」
笑顔が素敵と言ってもらえるのは嬉しいけれど、素直に喜んでいいのかわからない。
「そういえば、鳥越くんは?」
どうしても話を誤魔化したくて、わたしは話を変えた。
犬飼さんの表情が少し曇った気がしたけれど、わたしの自意識過剰だろう。
「風邪を引いたそうです」
「あちゃー風邪か……」
「「…………」」
静まり返る二人だけの廊下。
気まずい……。
「今日の体育、なんでしたっけ?」
口火を切ったのは犬飼さんだった。わたしは助け舟に乗るように、彼の質問に答える。
「クラス対抗ドッヂボールだよ。一組と九組だっけ?」
「九組か……あんまり戦いたくないな」
「そうなの?」
「はい。なんというか……苦手な方がいまして」
犬飼さんは気難しそうな表情をうっすら浮かべる。わたしは彼の顔を覗き込んだ。
「ほら、シャキッとしないと。うまくいくこともいかないよ!」
わたしは犬飼さんの手を握った。突然手を掴まれた犬飼さんは目を大きく開いている。
「申巻啓介……彼、永瀬さんを壊そうとしているので。そのこと努努忘れないでくださいね」
彼の言葉に固まるわたし。しかし犬飼さんはいつもとは違う冷ややかな視線でわたしを冷たく見ているだけだった。
去りゆく彼の背中を、わたしは急いで追いかけた。
「……すみません。少しお手洗いに……」
そう言いながら、犬飼さんはトイレに消えていってしまった。

