見えなくても、君を見つけた

その日が来ることは、ずっと前から分かっていた。

「来月から、転校だ」

父の声は低く、感情がない。
それは“相談”ではなく、“決定事項”を伝える声だった。

「……政略結婚の、ためですよね」

桐生 澪。
名家の一人娘。昔から「美人だ」と言われてきたけれど、今はもう鏡の中の自分を見ることもできない。

父は小さくうなずいた。

「相手は同い年だ。高校二年生。
お前が相手の学校に転校した方が、生活面でも合理的だろう」

合理的。
父はいつも、その言葉で私の人生を決めてきた。

娘の将来=家の安定。
感情より条件。
不確かな幸せより、確実な未来。

「……分かりました」

そう答えた声は、驚くほど落ち着いていた。
本当は、怖いのに。

――もう、“普通の恋”はできないんじゃないか。
――誰かの人生の邪魔になる存在なんじゃないか。

視力を失ったのは、中学三年生の夏。

あの日から、世界は光を失い、代わりに音や匂い、空気の温度でできたものになった。

それでも私は、恋を諦めた覚えはない。

偶然出会って、惹かれて、気づいたら一緒に歩いている。

そんな運命の出会いを、今でもどこかで信じている。

高校生のうちに、自由恋愛ができるなら、したかった。


「……でも私は、政略結婚はしません」


そう告げると、父は小さく息を吐いた。


「会ってから決めなさい。失礼のないように」


それで、この話は終わった。






お見合いの日。

ホテルのラウンジは、グラスの触れ合う音と、低く抑えた会話で満ちていた。

案内された席に座ると、向かい側に気配がひとつ。

同じ年くらいの男の子と聞いていた。


「……初めまして」


彼が言った。

落ち着いた、少し低めの声。

不思議と、耳に残る。


「初めまして。お越しいただき、ありがとうございます」


形式通りの挨拶。

そのまま、父同士の話が始まる。

会社のこと。将来のこと。

私と彼が、まるで“条件の一部”であるかのように。

後は若いお二人で、そう言葉を残し父たちがいなくなる。

何分経っただろう。

あまりの沈黙に耐えきれず、私は口を開いた。


「……あの」


相手がどんな想いでここにいるのか分からないが私の気持ちは変わらない。

私は人を好きになって結婚がしたい。


「私は、今回のお話をお断りするつもりで来ました」


静かだったラウンジの空気が、わずかに揺れた。


「理由を聞いても?」


驚いてもいない、彼の声だった。

淡々としていて、どこか冷たいと感じてしまう。

少しだけ、驚いた。


「私は……運命の出会いがしたいんです」


正直すぎたかもしれない。

でも、嘘はつきたくなかった。


「政略で決められた結婚じゃなくて。

ちゃんと、誰かを好きになりたい」


沈黙。


――きっと、呆れている。

高校生にもなって、見えなくなったくせに、夢みたいなことを言うな、と。

そう思ったとき。


「……それで?」


彼は、否定しなかった。


「もし、運命の出会いがあったら。

君は、それをどうやって見分ける?」


その質問に、私は少しだけ笑った。


「分かりません。でも……」


私は胸に手を当てる。


「きっと、分かります。

見えなくても」


彼の呼吸が、わずかに乱れた気がした。


「……相手の顔が、分からないのに?」

「だから、です」


私は即答した。

「声とか、距離とか。

一緒にいて、安心できるかどうか」


しばらくして、彼が小さく笑った。


「変な人だな」

「よく言われます」


そう返すと、また沈黙。

その沈黙は、不思議と居心地が悪くなかった。

――この人は、どんな顔をしているんだろう。

そんな考えが浮かんで、すぐに振り払う。

顔なんて、関係ない。

そう、思っていたはずなのに。


「……もし」


彼が言った。


「君の運命の出会いが、見つかるまで」


少しだけ、声が低くなる。


「俺が、君の目の代わりになると言ったら?」


心臓が、跳ねた。


「……どういう意味ですか?」

「君が世界を見るのを、手伝う。

君が言う、運命の相手が見つかるのか気になった

それだけ」


私は言葉を失った。

これは、政略結婚のお見合いだ。

そんな提案をされる理由は、ない。

それなのに――


「……考えておきます」


そう答えた私の声は、

自分でも驚くほど、揺れていた。





転校初日。

校門の前で、私は白杖を握りしめる。


「……ここが、新しい学校」


緊張で、指先が少し震えた。


「行くぞ」


背後から聞こえた声。

私は今、

決められた人生の途中で、

まだ見ぬ“運命”に向かって歩き始めた。