青バラの画家がわたしを守るために天国からやってきましたっ!?

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 屋上に吹きすさぶ風は、ぼくとオディロンの頬を冷たく吹きつけた。
オディロンは気球から落ちたようだけれど、やはり、キズはひとつもついていない。
 だけど、やはり最後に出した、ぼくの絵の影響は大きかったみたいだ。
オディロンは眼帯をしている右目を強くおさえながら、ぼくの胸ぐらにつかみかかってきた。
「くそう。宇野さくらを逃がしたじゃないか! キサマのせいで!」
「いや、ぼくは彼女を守れといわれているからねえ」
「いい子ぶるやつが、ワガハイはいちばんきらいなのだ。キサマ、さっき何をした?」
「気球や巨人に大きな目がついていたので、朝日を浴びてもらいました。さくらさんを守るためです。きみの行動は、ずいぶん乱暴でしたから」
「絵の話をしているんだ。キサマ、睡蓮の画家ではないのか」
「ぼくの描くものは睡蓮だけではないってことです」
「キサマの絵など知らん。ワガハイは孤高の芸術家なのだから」
 オディロンは、つまらなさそうにくちびるをとがらせた。
「はあ、そうですか。さっきの光は、ぼくが描いた『印象・日の出』という絵です。港に浮かぶ船、そして淡い赤で描いた太陽。光にあふれた一枚です。きれいだったでしょう」
 さくらさんから遠ざけるため、オディロンにモクタンをふってもらったはいいものの。
 人間界は久しぶりだ。ここはどこだろう。
 近くにさくらさんの気配は感じるから、ひとまずは大丈夫そうだけれど。
「くそっ。ワガハイはまだまだ戦えるが、今日はひとまず退散だ。宇野さくらの神のちからはもうないからなあ」
「え、なぜですか?」
「クロード……キサマ、知らんのか! なんと厚顔無恥なやつなのだ!」
「いいからさっさと教えてください」
 ヘルメス。あの自己愛の強い、ファナティック観察官め。
 肝心なことをぼくに教えていないようだ。
「宇野さくらの神のちからは、まだまだ未熟なのだ。ゆえに、〝青いバラの芸術家〟の作品を一日三作品にしか、奇跡を起こせない」
 奇跡。つまり、さっきのオディロンやぼくのように、絵を現実のものとすることができる。
 それが、芸術の神・ミューズの最大の奇跡。
 今はなぜかそのちからが、宇野さくらに宿ってしまっているのだ。
「なぜ、キサマに親切に説明せねばならんのだ!」
「いや、助かった。感謝する」
「だまれー! 今に見ていろ。我が主・ピカソは宇野さくらの神のちからを手に入れるため、キサマらに次々と刺客を送りこむだろう!」
 一気に、ぼくの顔が引きつった。
 そうか。敵はやはり、ピカソか。
 また、今回みたいに面倒そうなやつだったら嫌だなあ。
「ふん! せいぜい、あの女のことを守ってやるんだな! ハ-ッハッハッハ!」
 オディロンはぼくに背を向け、すたすたと屋上を出て行った。
 屋上に、静けさがもどる。
「うーん。パブロ・ピカソか。これは強敵かも知れないなあ……」
 戦いは得意じゃない。
 ぼくは、のんびりと絵を描いていられればよかったのに。
 ああ、面倒だ。
 だが、このままさくらを放っておくわけにもいかない。
 ぼくは、光の画家と呼ばれている。
 ぼくが描いた絵たちに恥じないためにも、いい人でい続けなければ。

 🫧

 さっきの夢が忘れられなくて、わたしはまだ、なんとなく学校に残っていた。
 行く当てもなく廊下を歩いていると、図画工作室にたどりついた。
 あれ、カギが開いてる。ええい、入っちゃえ。
 たくさんの机とイス。使ったことのない道具たちに、画用紙の山。
 そして、低学年が作ったらしい作品たちがロッカーの上にならんでいる。
 わたしはランドセルをおろし、机の上に置くと、壁に飾られた絵を見上げた。
パステルカラーで描かれた、きれいな睡蓮の花。
光にあふれた池に、白い花が浮かんでいる。
 わたしが好きな絵。描いた人の名前は、もちろん知っている。
「クロード・モネ」
 今、いおうとした名前を先にいわれ、わたしは驚いた。
 ふりむくと、そこに知らない男の人が立っていた。
 ショートカットのツーブロックに、ブラウンのベレー帽をかぶっている。
 カッターシャツの上から、絵の具まみれにニットベストを着ている。
 ベージュのチノパンに、茶色のサンダル。
 見るからに図工の先生って感じだけれど、こんな人、知らない。
「この睡蓮の絵は、モネが描いた二百点以上ある睡蓮の絵のうち、一九〇五年に描かれたもののレプリカさ」
「モネさんって、二百点も描いてるんですか。睡蓮の絵を……」
「ずいぶんと、親しげに呼ぶんだね。クロード・モネのことを」
「は、はい。ファンなので、つい」
 夢の中で会っただけなのに、仲がよさそうに呼ぶのはおかしいよね。
 恥ずかしいことしちゃったな。
 でも、あまりにもリアルな夢だったから、つい。
「私は、ツルハシ。明日から、この学校の絵本クラブを教えることになったんだ」
 やっぱり先生だったんだ。
 しかも、わたしが所属してる絵本クラブの先生だったなんて。
 わたしの通う小学校には、科学実験クラブや遺跡発掘クラブなど、個性的なクラブ活動が多いんだ。
 だから、学校の先生だけでなく、地域のボランティアで先生をしてくれている人が大勢いる。
 ツルハシさんもそのひとりだったみだい。
「わたし、絵本クラブなんです。明日から、よろしくおねがいします!」
 元気にあいさつしたつもりだったんだけど、なぜかツルハシさんは悲しそうにまゆをハの字にさげた。
「この絵が好きなの?」
「はい、きれいですよね」
「さっきもいったが、これは本物の絵じゃなく、レプリカ。ニセモノだ。本物は、外国で三十四億円の値段がついたそうだよ」
「お、億!」
 芸術ってすごい。そんな買い物、わたしは一生しなさそう。
 コンビニのアイスの三百円で、ずっと悩んでる人間なんだもん。
 そもそも、三十億が入る財布って、どのくらいの大きさなのかな?
「きみ、名前は?」
「宇野さくらといいます!」
「そうか。きみだったのか」
ツルハシ先生の目が、ひやりとわたしを射抜く。
ぞわり。わたし、また何かいっちゃったのかな。
「これから、よろしく。絵本クラブ、楽しみにしているよ」
 あれ。怒らせたかな、と思ったけれど、今は笑顔だ。
 何だったんだろう。
「は、はい。わたしも楽しみにしてます」
「宇野さん」
 ツルハシ先生に、ジッと見つめられ、わたしの心臓がドキンと高鳴る。
「もっと、色んな経験をするといいよ」
 それはまるで、音楽のようにわたしの耳にすっと入ってきた。
「色んな経験?」
「うん。本を読んだり、あと、美術館に行ったり」
「美術館ですか。モネさんの絵、飾ってあるかなあ」
「もちろん。モネだけじゃなく、たくさんの画家の絵があると思う。それじゃあ、また明日。絵本クラブでね」
 ツルハシ先生はそのまま、ふりかえることなく教室を出て行った。
「なんだか、ミステリアスな先生だなあ」
 でも、とても絵にくわしそうな先生だった。
 あの夢を見たせいかな。
 もっと絵のことを知りたいと思っていたから、すごい偶然。
ツルハシ先生に、絵のことをたくさん教えてもらいたいな。
 わたしは、明日の絵本クラブで描く物語を考えながら、ランドセルを背負った。

 

 クロード・モネ。
 オディロン・ルドン。
 夢で出会ったふたりのことを思い出すと、胸がドキドキした。
 もう一度見たいな。
 ハラハラしたけれど、わくわくもする夢だった。
 もう一度、夢でモネさんに会えたらいいのに。
 そんな妄想をしていたら、いつのまにか家に着いていた。
 そういえば、お母さん、今日はお仕事で少し遅くなるっていってたっけ。
 お父さんは、いつも夜の九時半ごろに帰ってくる。
 家はシーンと静まり返っている。ひとりの家は、いつもさみしい。
 リビングのソファにランドセルをおろすと、自分もそこにドカッと沈みこんだ。
「はあ、また会いたいな」
「ほう、誰にですか?」
 わたしは、ソファでのけぞった。
 聞き覚えのある声、安心するような優しい口調。
 そして、頭にのせられた、大きな手。
「おかえりなさい、さくらさん」
 ぽんぽんと頭をなでられる。
 同じだ。今日見た夢と。
 もしかしてわたし、また夢を見ているのかな。
「く、クロード・モネ、さん!」
「覚えてくれていましたか。嬉しいですよ」
 嬉しくて、嬉しくて、わたしはなんといっていいのか、わからなかった。
 また会えてうれしいです。あれは夢じゃなくて現実だったんですか。これは、夢じゃないですよね。
 いいたいことがありすぎて、口をぱくぱくさせていると、モネさんが「そうそう」と思い出したようにいった。
「さくらさん。レディがあのように、はしたなく座るのはいただけませんな。淑女のたしなみは、まだ勉強中でしょう。ぼくがレッスンしてさしあげましょう」
「はいっ?」
「さあ、立って」
「ほあっ?」
 無理やり立たされる、わたし。
「さあ、スカートにしわがよらないように、そろえて。足もひざを合わせて、スマートに。そのまま、優雅に腰をおろして。そうそう……」
 とすん。ソファにゆっくりと沈んでいく、わたし。
 何が起こっているのかわからないけれど、こんなに上品にソファに座ったのは、人生初だよ。
「美しさは、内面からあらわれるもの。心を健やかに、清く正しく。それが、人柄にも、絵にも表れるのです」
 うわあ。モネさんってけっこう口うるさい系男子なのかな。
 優しい紳士だと思ってたのに。夢が壊れていくう。
「さて。これから、ぼくはきみをよからぬものから守らなければならない。そのためにも、きみには、守られるものとしての礼儀や作法を知ってもらわなければいけない。まずは、ぼくから離れないこと。そして……」
「いやいや、それって夢の話の続き? わたし、何が起こってるのかさっぱりわからなかったよ。なのに、礼儀や作法とかいわれても困るんだけど!」
 あの時は、わけもわからず逃げてただけ。
 ルドンくんから狙われていることだけはわかったけれど、何で狙われているのかは、はっきりとはわからなかった。
「神のちからってなんなの?」
「覚えていましたか。よろしい。説明いたしましょう」
 モネさんは、ていねいにわかりやすく、これまでのことを教えてくれた。
 目の前にいるモネさんが、わたしの知っている睡蓮の画家、クロード・モネで間違いないこと。
 実は、天国のタマシイで、わたしにしかそのすがたは見えないこと。
 そして、ミューズさまのちからがなぜかわたしに宿っていて、それを狙って、ルドンくんがおそってきたこと。
「つまり、ミューズさまから青いバラをもらった芸術家は、わたしに宿っている神のちからで、自分の作品を本物にして、あやつれるようになるってこと?」
「その通り。さくらさんは賢い子ですね」
 にこにこと、わたしの頭をなでてくれる、モネさん。
 嬉しいけれど、今は喜んでいるばあいじゃない。
 これ、まだ夢なんじゃないんだよね。現実、なんだよね。
 わたし、これから神のちからをねらう芸術家たちに、おそわれるかもしれないってこと?
「さくらさんはまだ未熟なので、一日三作品にしか、奇跡は起こせないそうですよ。そのへんは助かりました。無限に奇跡を起こされたら、収拾がつかないですから。悪いことに使われたら、大変なことになります。そういう危険な絵も、たくさんありますからね」
「そうなんだ……」
 わたしの話なのに、まるで別の人の話みたい。
 自分に神のちからが宿っていて、そのせいで狙われているなんて。
「不安そうですね」
「いや、まあ。こんなの初めてだし」
 するとモネさんは、きゅ、とわたしの両手をにぎってきた。
 ドキン、と心臓が飛びはねる。
「ななななな、なにッ?」
「くもった顔は似合いませんよ。笑ってください」
「ううう、うん。ありがとう……」
 ふふふ、フランス紳士、おそるべし。
 胸が破裂しそうなほどに、ドキドキしてる。
 心臓がいくつあっても足りないよ。
 不安だったのが、一気に吹き飛んじゃった。
 まるで、モネさんの絵みたい。やっぱり、描いた人に似るのかな。
「あのね」
「はい」
 急に、伝えたくなった。
 だってまさか、絵を描いた人に会えるなんて、思ってもみなかったから。
「モネさんの睡蓮の絵が、ずっと好きなんだ。あの絵を見ると心がすーって、きれいに洗われていくようで。ちょっと嫌なことがあっても、すぐに立ち直れたの。だから、わたしも絵を描いてみたいなって思って、絵本クラブに入ったんだ。でも、本物のモネさんに会えるなんて夢にも思わなかった。会えて、すごく、すごく嬉しいよ!」
 モネさんは驚いた顔をして、少し黙ったあと、長い息を吐いた。
 そして、わたしの手をにぎる力を、少しだけ強めた。
「さくらさん」
「はい」
「絵を描きはじめて、何百年たった今でも、自分の絵をほめられるというのは、嬉しいものですね」
 わたしを見つめるモネさんの瞳は、睡蓮が浮かぶ池のように透きとおっている。
 おだやかな水面を凪ぐように、モネさんがほほえんだ。 
「きみのその思い、決して裏切ることはできない。きみが愛する、ぼくの睡蓮のためにも」



 絵本クラブの日。
 グループで机を四つあわせ、わたしはもくもくと絵を描いていた。
「これが、さくらさんの絵ですか。愛らしいタッチですね」
 モネさんが、話しかけてきた。
「そう? ありがとう」
「ええ。このネズミも、なかなかアジがあります」
「ウサギだよ」
「おや、なんと」
「絵がヘタで悪かったわね」
「ヘタならうまくなればいいんですよ」
「練習してるもん。がんばってるもん」
「レディに対して、とんだ失礼を。これは失敬」
 モネさんは、そそくさとうしろに下がって、消えてしまった。
 もちろん、わたしたちはちょくせつ会話しているわけではないよ。
 心のなかで会話しているんだ。
 モネさんは、タマシイだから他のみんなには見えない。
声に出してしゃべったら、わたし、おかしな目で見られちゃうもんね。
 天国では、心のなかで会話をするのは、当たり前のことなんだってさ。
 やってみたら、なぜかわたしにもできちゃったの。
 これも、神のちからなのかもね。
 黒板の前には、ツルハシ先生が立っている。
 ぱち、と先生と目が合った。
 はずかしくなって、あわてて目をそらしてしまう。
 絵本作りに集中しようと、色えんぴつを手にとった。
 その時、ぽんぽんと誰かに肩をたたかれた。モネさんかな。
 ふりかえると、ツルハシ先生がいた。シーッと、くちびるに指をあてている。
 そして、一冊の本を手渡してきた。何だろう、この本。
 本を受け取り、「これは何ですか」と聞こうとしたけれど、先生はさっさと黒板のほうへともどって行ってしまった。
 黄色の表紙に、金色のタイトル。
 英語だから、なんという意味のタイトルなのかは、わからない。のタイトルだった。
 アップルとか、ハローなら知ってるけど、これはさすがに無理。
 パラパラとめくってみると、色んな絵が載っていた。
 このひまわりの絵、なんだかすごい迫力があるなあ。
あっ。もしかして、これって。
 ツルハシ先生がいってた「たくさん、経験しろ」ってやつなのかな。
 でも、いきなり英語の本を渡されても、どうしたらいいのかわからないぞ。