人質令嬢、第二王子と国家反逆を狙う

「先程の謁見の間、不思議な香りが充満していませんでしたか?」


 私が言うと、モルドレッド殿下はわずかに目を細めた。


「香り?」

「はい、香を焚いたような香りが、室内に満ちていました」

「俺は気づかなかったな。でも、香みたいな匂いか。……もしかして、少し花っぽい感じ?」

「そんな気がします」


 殿下は手を口元へ当てたまま、伏せるように視線を落とした。

 そして小さく、「んー、でも……」「いや、まさか」と独り言のように呟いた。


「殿下?」

「ごめん、ジニー。君にごまかしても仕方ないし、話しておくよ。少しだけ、心当たりがあるというか……」

「はあ」


 殿下の視線が右上へ泳ぎ、次いで右下へ落ち、また右上へ戻る。

 口元へ当てていた指を、いつの間にか噛んでいた。まだ血は出ていないようだけれど……。


「殿下、傷になってしまいますわ」

「あ……ごめん」

「いいえ。ですが、なにか懸念されていることがおありなんですね?」


 そう尋ねると、殿下は渋い表情のまま口を閉ざした。

 膝の上で握りしめられた手には白く骨が浮いていた。

 薄い唇が一文字に閉じられていた。

 春先のまだわずかに冷たい風が、殿下の前髪をさらりと揺らした。


 モルドレッド殿下は視線を窓の外へ向けた。すると補佐官が音もなく歩み寄り、机の上の書類へ静かに文鎮を置いた。

 私もつられるように窓の外を見たけれど、眩しい春の日差しと、風に揺れる木々の影しか見えなかった。


「少し、考えてもいいかな」

「はい」

「心当たりはある。懸念もある。ただ……それを断定していいのかわからなくて」


 殿下の口元が、不安そうにわずかに下がる。


「承知しました。お待ちしております」

「えっ、いいの、そんなあっさり」


 何度も瞬きをしながら、殿下がこちらを見つめ返した。

 安心させるように、できるだけゆっくり微笑み返した。


「いつかは、教えてくださるのですよね?」

「そうしたいと思ってる」

「でも、今は言っていいかわからないのですよね?」

「……うん」


 殿下は眉を下げ、口をへの字に曲げていた。幼い頃、二人で庭園で迷子になったときと同じ顔だった。


「でしたら、お待ちしております。私には先ほどの香りに心当たりがございません。だからこそ、殿下のお考えをお聞かせいただきたいです。でも、まだ言えないことを無理に聞き出したくはありません」


 私はソファから立ち上がって、向かいのソファの隅に腰を下ろした。

 深い緑の瞳が、静かに私を見つめている。

 硬く握られた拳に、指先で触れた。


「ねえ、ルディ」


 それは、モルドレッド殿下が幼い頃に呼ばれていた愛称だ。

 いつからか誰も呼ばなくなっていたけれど、私はこの呼び方が嫌いではなかった。


「そんな顔、なさらないで。あなたがそうしてくれたように、私はいつだってあなたの味方よ」

「……うん。ありがと、ジニー」


 うつむいてしまった殿下の肩の震えが収まるまで、私は隣で静かに春の風を受けていた。

***