モルドレッド殿下が玉座の間の扉を開けた。
その途端、むせかえりそうなほど濃密な香りが、廊下にまで流れ出してきた。
アーサー殿下が“扇動”の能力を使うときの、妖精の香りだった。
しんと静まり返った玉座には、国王陛下がぐったりと座り込んでいた。首は力なく垂れ下がり、土気色の顔は遠目にも異様なほど血の気を失っている。
周囲には何者の姿もない。
「父上……」
殿下のかすれた声が、静まり返った室内に重く落ちた。
後ろからついてきた貴族の方々も国王陛下の様子に息を飲んだ。
「陛下……」
「お加減が優れないとは聞いていないが?」
「お顔の色がまるで土のようではないか……」
「なんとお労しい……」
モルドレッド殿下は、張りつめた空気を踏みしめるように玉座へ歩み寄った。
けれど、玉座の前の階段に足をかけたところで立ち止まった。
……玉座の後ろから、アーサー殿下が顔を出したのだ。
「アポイントはなかったはずだけど」
玉座の間にはまるでそぐわない、穏やかで朗らかな笑みだった。
背後で、貴族たちが一斉に息を飲む気配が広がった。
モルドレッド殿下の背中には不思議なほど力みがなかった。けれど、左手だけは白い骨が浮くほど強く剣の鞘を握り締めている。
私も剣の柄に手を添えておく。
「兄上、なぜこのようなことを?」
殿下の声は穏やかなものだった。
怒りも悲しみも戸惑いもない、静かで落ち着いた声が室内に響いた。
アーサー殿下は集まっていた貴族たちをゆっくりと見まわし、次に私を見てから、モルドレッド殿下へ視線を向けた。
瞳が細められる。
「僕はね、君たちが怖かったんだ」
「俺たちが?」
「ああ、そうだよ。モルドレッドとヴォーティガン嬢の二人が、いつかこうして剣を突き付けてくる日が来るに違いないって、ずっと警戒してたんだ。だって、父上のやり方じゃあね。このまま腑抜けの王の跡継ぎになんてなりたくなかったんだよ」
そう言って、アーサー殿下は笑顔のまま肩をすくめた。
胸の奥で怒りが一瞬にして煮え立った。
剣の柄が手に食い込むほど強く握り締める。
「辺境伯の備えに怯え、腑抜けの王の跡継ぎになりたくなかったというのは結構です。だからといって、モルドレッド殿下とわたくしを逆賊に仕立て上げたのですか!」
剣を抜く前に、モルドレッド殿下が言葉を続けた。
「兄上の方が余程逆賊じゃないか……」
私の後ろに控えていた父も、一歩前へ進み出て声を張った。
「そんな理由のために、国防へ命を懸ける我らと、我が娘を危険に晒したというのか?」
背後から一人の貴族が前に出た……第二王妃殿下の兄君だ。
「西海岸辺境伯として申し上げる。国王陛下を洗脳し、政を操るなど、ブリテニア王国の恥そのものだ……! 一歩間違えば、我が妹も命を落としていたやもしれぬ状況だったのだぞ……っ」
「僭越ながら、我が領も同意させていただく」
次いで声を上げたのはアグラヴェイン卿だった。
「このようなことをなさらずとも、ウーサー陛下の過ちは、アーサー殿下がその政の手腕でもって正すべきでした。このような事態になっては、誰もお味方にはなれませぬぞ」
低く押し殺した声には、失望と怒りが滲んでいた。
アーサー殿下はわずかに眉を下げ、アグラヴェイン卿を見つめた。
「そのセリフ、もっと早くに聞きたかったな」
「殿下、遅すぎるということはありません、今からでも……!」
「いいや、もう手遅れなんだよ」
アーサー殿下の口元がゆっくりと吊り上がった。
その途端、むせかえりそうなほど濃密な香りが、廊下にまで流れ出してきた。
アーサー殿下が“扇動”の能力を使うときの、妖精の香りだった。
しんと静まり返った玉座には、国王陛下がぐったりと座り込んでいた。首は力なく垂れ下がり、土気色の顔は遠目にも異様なほど血の気を失っている。
周囲には何者の姿もない。
「父上……」
殿下のかすれた声が、静まり返った室内に重く落ちた。
後ろからついてきた貴族の方々も国王陛下の様子に息を飲んだ。
「陛下……」
「お加減が優れないとは聞いていないが?」
「お顔の色がまるで土のようではないか……」
「なんとお労しい……」
モルドレッド殿下は、張りつめた空気を踏みしめるように玉座へ歩み寄った。
けれど、玉座の前の階段に足をかけたところで立ち止まった。
……玉座の後ろから、アーサー殿下が顔を出したのだ。
「アポイントはなかったはずだけど」
玉座の間にはまるでそぐわない、穏やかで朗らかな笑みだった。
背後で、貴族たちが一斉に息を飲む気配が広がった。
モルドレッド殿下の背中には不思議なほど力みがなかった。けれど、左手だけは白い骨が浮くほど強く剣の鞘を握り締めている。
私も剣の柄に手を添えておく。
「兄上、なぜこのようなことを?」
殿下の声は穏やかなものだった。
怒りも悲しみも戸惑いもない、静かで落ち着いた声が室内に響いた。
アーサー殿下は集まっていた貴族たちをゆっくりと見まわし、次に私を見てから、モルドレッド殿下へ視線を向けた。
瞳が細められる。
「僕はね、君たちが怖かったんだ」
「俺たちが?」
「ああ、そうだよ。モルドレッドとヴォーティガン嬢の二人が、いつかこうして剣を突き付けてくる日が来るに違いないって、ずっと警戒してたんだ。だって、父上のやり方じゃあね。このまま腑抜けの王の跡継ぎになんてなりたくなかったんだよ」
そう言って、アーサー殿下は笑顔のまま肩をすくめた。
胸の奥で怒りが一瞬にして煮え立った。
剣の柄が手に食い込むほど強く握り締める。
「辺境伯の備えに怯え、腑抜けの王の跡継ぎになりたくなかったというのは結構です。だからといって、モルドレッド殿下とわたくしを逆賊に仕立て上げたのですか!」
剣を抜く前に、モルドレッド殿下が言葉を続けた。
「兄上の方が余程逆賊じゃないか……」
私の後ろに控えていた父も、一歩前へ進み出て声を張った。
「そんな理由のために、国防へ命を懸ける我らと、我が娘を危険に晒したというのか?」
背後から一人の貴族が前に出た……第二王妃殿下の兄君だ。
「西海岸辺境伯として申し上げる。国王陛下を洗脳し、政を操るなど、ブリテニア王国の恥そのものだ……! 一歩間違えば、我が妹も命を落としていたやもしれぬ状況だったのだぞ……っ」
「僭越ながら、我が領も同意させていただく」
次いで声を上げたのはアグラヴェイン卿だった。
「このようなことをなさらずとも、ウーサー陛下の過ちは、アーサー殿下がその政の手腕でもって正すべきでした。このような事態になっては、誰もお味方にはなれませぬぞ」
低く押し殺した声には、失望と怒りが滲んでいた。
アーサー殿下はわずかに眉を下げ、アグラヴェイン卿を見つめた。
「そのセリフ、もっと早くに聞きたかったな」
「殿下、遅すぎるということはありません、今からでも……!」
「いいや、もう手遅れなんだよ」
アーサー殿下の口元がゆっくりと吊り上がった。



