人質令嬢、第二王子と国家反逆を狙う

「ジニーは兄上の能力がなんだか知ってる?」


 朝食の後、隣へぴたりと並んで座る私にしか聞こえないほど小さな声で、殿下が言った。


「はい、『扇動』ですよね。臣下や兵を鼓舞したり、誘導したりできるとうかがっております」


 私のぼかした言い方に、モルドレッド殿下は小さく頷いた。

 殿下は少し背を丸め、川の流れを目で追っていた。私もつられるように、水面へ浮かぶ葉や、ときおり銀色に光る小魚を眺める。


「……そうだ。扱いの難しい能力だけど、応用はいくらでも利くらしい」

「応用ですか?」

「うん。たとえば個人へ使って、意のままに操ることもできる」


 穏やかだった朝の空気が、一気に剣呑なものへ変わった。

 思わず殿下の横顔を見たけれど、彼は無表情のまま川面を見つめていた。


「あの、それは」

「ジニーが昨日言っていただろ。部屋に香りがしていたって。たぶんあれは、妖精の香りだ」


 言葉が出なかった。

 あんなふうに部屋中へ香りが満ちるほど、能力を使ったというの?

 同時に、だから殿下には匂いがわからなかったのか、とか、あの部屋にいた執務官たちも、すでに影響下に置かれているのか、とか、次々に嫌な考えが頭をよぎった。


「昨日あの後、俺の補佐官と謁見の間に戻ったんだ。補佐官も同意見だった」


 殿下は相変わらず、川の流れへ視線を向けたままだった。

 膝の上の手は、指先を絶えずいじっていて落ち着かない。

 ようやく口から出たのは、毒にも薬にもならない相槌だけだった。


「……左様でございますか」


 なんとか出てきたのは毒にも薬にもならない相槌だけだ。


「殿下」

「うん」


 囁くような返事を聞きながら、私は次の言葉を探した。

 背筋を伸ばす。


「モルドレッド殿下、どうなさいますの」

「どうって……?」

「もし殿下のおっしゃるとおりだとして、アーサー様は何をなさりたいのでしょう」

「えっ」


 殿下がはっとしたように私を見た。

 私は手を伸ばし、目へかかっていた白金の前髪を指先で払った。

 深い緑の瞳が丸く見開かれ、その奥へ私の姿が映る。

 あなたの瞳に映る私が、きっと世界で一番美しい。そう考えると、少し嬉しくなる。


「だって、そんなことをなさらなくても、アーサー様の王位継承はほとんど確定しているではありませんか」

「たしかに」


 曇っていた殿下の瞳へ、ふっと光が戻った。

 殿下はまっすぐに私を見つめ、何度かゆっくり瞬きをした。


「ジニー、俺と来てくれ。もう一度、ちゃんと確認しよう」

「承知しました。いつにいたしますか?」


 張りつめていた殿下の表情が、ふっと緩んだ。

 伸びてきた手が、私の頬へやさしく触れる。

 白金の髪が揺れ、近づいた顔が静かに私の額に触れた。

 さらさらと川の流れる音がする。

 そのとき、一際強い風が吹き抜けた。木々がざわめき、触れ合っていた体がゆっくり離れる。


「今日は作戦会議だ。兄上に会いに行く口実を考えよう」

「はい。では、そろそろ戻りましょうか」


 腰を浮かせかけたけど、モルドレッド殿下に手を引かれた。


「もう少しだけ休ませて。ほとんど寝てないんだ」

「少しだけですよ? 殿下には、やることがたくさんお有りなんですから」

「うん、ありがと」


 座り直した途端、殿下が力を抜くようにもたれかかってきた。

 隣り合った手の甲へ、殿下の指先が静かに重なった。

 目を閉じると、殿下の髪から私と同じ石鹸の香りが漂ってきた。

***