覆水盆に返らず……
そうつぶやいて、私、塩川ククリは店内にある読書コーナーのテーブルに突っ伏し、大泣きしようとした。
まさにその時。
私の肩がポンと叩かれた。
「あら、随分と難しいことわざを知ってるのね」
そう言ってニッコリと微笑んだのは、私の姉――塩川カヲリだ。
彼女は、振り返った私の目からフルフルと涙があふれそうになっているのを見逃してくれなかった。
「まあ、ごめんなさい、これから号泣しようとしてたところ、ジャマしちゃったみたいねー」
そう言って姉は両手を広げた。
「さあ、お姉ちゃんの胸の中で、存分にお泣きなさい……ククちゃんが小っちゃかった時、よくそうしてたでしょ?」
彼女は私のことを世界でただ一人『ククちゃん』と呼ぶ。齢が少し離れているせいか、そして母が店で忙しいせいか、よく面倒をみてくれ、可愛がってくれた……多少溺愛気味ではあるけど。
「いいよ! そんな大げさなリアクションされたら、涙も引っ込んじゃったし」
「そう? じゃあこれでも召し上がれ」
そう言って姉はティーカップをテーブルの上に二つ置いた。ミントの湯気が立つハーブティ、いつの間に淹れてくれたのだろうか。私のみっともない姿、ずっと見られてた?
姉は私の隣りに座り、そっと口を開いた。
「なんか困ったことでもあったの? お話聞いてあげるよー」
その優しい口調にいつも心が解かされる。引っ込みかけていた涙がこぼれてきた。
絵本の開いたページにポタポタと落ちる。カヲねえさんが手渡してくれたハンドタオルでそれを拭き、自分の顔も拭(ぬぐ)った。売り物の本を台無しにしてしまった。
私の背中を撫でてくれる、姉の優しく柔らかい手の感触。『母性本能』という言葉はまさにこの人のためにあるんじゃないかと思う。
その優しさに甘えて、私はポツリポツリと今まで起きたことを話し始めた。姉は、私の腐れ縁カルテットの三人のこと――ナギもツクルも、そしてナミのこともよく知っている。
「そうかー、大変だったね、ククちゃん」
「聞いてくれてありがとう、ねえさん」
私は素直にお礼を言った。
「なにか、ククちゃんにアドバイスができればいいんだけど……お姉ちゃん、こういうことあまり得意じゃないからねえー」
……そうだ。いや、姉はちゃんとした人間関係を築くのが苦手なわけではない。むしろ超がつくほど得意だ。でも、それがあまりにも『無意識に本能的に自然に』できてしまうので、どうやってアドバイスしていいのかわからないんだと思う。
だいたいこの人、なんでもそう。
勉強だって、努力の天才っていうんだっけ? 息をするように苦も無く勉強して、市内で一番の進学校、旭川北東高校に合格し、常にトップクラスだっていうし、フルートも上手で、中学・高校とブラバン部でパートリーダーをやっていた――でも、高三になると受験勉強に専念すると言ってスッパリと部活をやめてしまった。
……こんなだから、当然モテる。中学の時から数多くの男子に告白されている。
私と違って、可愛い系の美人だし、……胸も大きい。それに溢れんばかりの母性。姉の『聖母スマイル』にヤラれる男子は多いはず。
でも、当の本人はそれらをまったく自覚しておらず、「あら、ククちゃんだって、可愛いし十分魅力的よー」と言ってくれる。でも、心身ともにその差が歴然としていることは、私が身に染みてよーくわかっている。
姉とたまたま街中でばったり出会うと、いつも違う男子と歩いていて、隣りのクラスのA君とか、予備校で知り合ったB君とか紹介してくれる。本命のカレシがいるのかどうかはナゾだ。モテる女の考えることは、とうてい理解できない。
母性本能と胸の大きさは比例するんだろうか? などと変なことを考えていたら、姉が私の妄想をさえぎるように話しかけてきた。
「えーっと、いくつか聞いていい? あなたたち、名前も似ていてまぎらわしいから一回整理させて」
「名前が似ているのは私のせいじゃないもん」
「まあ、いいからいいから。なんとなく状況はわかったけど、それに対して『ククちゃんがどう思っているのか』を聞きたいの」
こんなデキスギな姉だから、私にとって役に立つアドバイスをもらえるとは思ってない。でも正直誰かに私の気持ちを聞いて欲しかった。
「えーっと、『ナギ君』はさー、引っ越しちゃうこと、ククちゃんに真っ先に教えてくれたんだよねー?」
「うん、そうだよ」
「それは、なんでだと思う?」
「お父さんの転勤が決まって、たまたま最初に会ったのが私だったからじゃないかな。そんなこと言ってたし」
「えー、それはどうだろー?」
そう言って姉は私の顔をのぞきこんだ。口元には何となく怪しい笑みを浮かべている。
「次に、『ナミちゃんが』ナギ君に告白したいって言った時のことなんだけど、それを聞いてどう思ったの?」
「うーん、よくわかんない」
「そう? その時の気持ち、なんでもいいからポンと表現できる?」
ポンと?……あの時、私はどう感じたんだっけ?
「あ、ヤバいって思ったかも」
「どんなヤバさかな?」
「……あ、被っちゃったって」
「被っちゃったんだー、ククちゃんはやっぱりナギ君のこと好きなのね」
「別に好きとかじゃ……好きなのかな?」と言いつつも、最近自覚症状があるのはわかっている。
「じゃあもうちょっと、ヤバいってどんな気持ちなのか詳しく教えてくれるー?」
姉さん、今日は容赦ない。さっきまでポロポロ泣いてたの、知ってるくせに。
「……だって、ナミとはライバルになりたくないもん」
「ライバルになったら、ナミちゃんに負けちゃう?」
「……うん、だってあの子、小っちゃくて可愛いし、いつも明るいし、スポーツ万能だし……絶対負ける」
「それは、ナギ君が決めることじゃないかなー」
「いやだって、ナギはもう引っ越しちゃったし、今さらなにもできないよ」
「え、だって、LINEくらい交換してるんじゃないの?」
「ねえさん、私はまだ小学生です。わが家では中学に上がるまで、スマホは買ってくれません」
「そうだったねー」
そう言ってテヘっと笑ってペロッと舌を出した。こういう仕草がいちいち可愛い。
……結局、この問答はなんだったんだろう?
でも。気づかされたこともある。
私には、『ひとり占めにしたい……ドクセンヨク?』が芽生えつつあったということ……今までの四人のつき合いの中であまり感じたことはなかったのに。
そして、もっとダークな感情があること。
ナギが遠くに行ってしまう。ナミが告白しようとしている。その状況で私が一番恐れたのは、『ナギを失うこと』よりも『ナミに負けて惨めな思いをすること』だったんじゃないか。
『ナミとナギには悪いことをした』って、私は責任を感じているフリをしているだけだ。本当は、自分が可愛かっただけ。……つくづくひどいヤツ。
情けなくなり、また涙が出てきた。ハンドタオルで顔を覆う。
しばらくそうしていたら、私の頭が軽く優しくポンポンと叩かれた。
「ククちゃんってさ、時々ネガネガになっちゃうよねー」
姉に心の中を読まれた?
「今のお話を聞いてね、お姉ちゃんはちょっと違う風に感じたんだー」
やっぱり心の中を読まれた?
「どういうこと?」
「ククちゃんはねー、傷つくことがイヤで傷ついているの」
「はあ⁉」
やっぱり、『出木杉ねえさん』の言うことはよくわからない。
「どうせナミちゃんに勝てないからって最初っから諦めてるでしょ?」
「……」 図星すぎて言葉が出ない。
「だから、『ナギ君に告白された』なんて嘘をついて、試合終了のホイッスルを自分で鳴らしちゃった」
姉の声は優しいけれど、言っていることは鋭い刃物みたいだ。……聖母じゃなくて、母性本能豊かな魔女?
「戦って負けて傷つくよりも、嘘つきの悪役になって嫌われるほうが、まだマシだと思ったんでしょ?」
……そうだ。 私は、ナミに負けるのが怖かった。ナギに選ばれない自分が怖かった。だから、嘘というバリアを張って、自分の心を守ろうとしたんだ。その結果、みんなを傷つけたとしても……実装そうなってしまった。
「……最低だね、私」
「ううん、最低じゃないよ。ただ、すごく怖がり屋さんなだけ」
そう言って少し真顔になって姉は私の頭を撫でた。
「でもね、バリアの中でうずくまってても、誰も助けに来てくれない……頼りになるのは、一人だけ。それはお姉ちゃんじゃない。ククちゃんもホントはそれが誰だかわかってる。」
「でも……じゃあ、どうすればいいの? ……ナギは遠くに行っちゃったし」
私の涙声に、姉はふふっと笑った。
「そうねー、じゃあ、ナギ君にテレパシーでも送ってみたら?」
「はあー⁉⁉⁉⁉」
そうだった、姉はこういう無邪気なボケをよくかますんだった……でも。
「言葉で嘘ついちゃったならさ、言葉じゃないもので届けちゃえばいいのよ」
「言葉じゃないもの? それがテレパシー?」
「そう。中学に入ったら、いろいろチャレンジして、いろんな仲間をいっぱい作ってみて。言葉だけじゃ伝わらない気持ちも、きっと伝わるようになるから」
姉はポンと手を打った。
「そうだ、あなたブラバンやるって言ってたよね。約束通り、お姉ちゃんのフルートを譲るから」
「……フルート?」
「うん。言葉がうまく言えないなら、音で伝えればいい。それが一番のテレパシーよ」
「……うん、わかった」
と答えつつも、正直ピンと来ていない。
姉はさっそく、店舗の二階の住居スペースに上がって、フルートのケースを持ってきた。
促されて、ケースをパカッと開ける。
ピンクがかった銀色に輝く楽器。なんかイメージ的には姉の分身のようだ。
「これねー、『マジックフルート』だって思ってるの」
「マジックフルート?」
「うん、モーツァルトの『魔笛』っていうオペラ知ってる?」
「聞いたことあるようなないような……」
「魔笛……別の呼び名がマジックフルート。そのオペラの中では、これを吹くことで困難を乗り越え、喜びをゲットできるの……だから、あなたのお守りであり、武器。多分そのうち、旭川でも魔笛のコンサートがあると思うから、連れてってあげるよー」
「魔笛、か……ありがとう」
「難しいね……このくらいのお年頃って」
そう言って姉は私を見つめ、また頭を撫でた。
「?」
「覆水盆に返らずなんて難しいことわざを知ってるかと思えば、人間関係とか、まだまだわからないことが多くて」
「そりゃそうよ、私まだ小学生よ……そうしたら、中学生になるともっとぐちゃぐちゃ悩み事が増えるのかな?」
「そうねえ、中学生くらいが一番大変かもねえ」
「カヲ姉さんでもそうだったの?」
「うん、それなりにねー。でも、あの頃、いろいろ悩んで大変だったなあって、今なら前向きに思い出せるよ」
「私もそうなれるといいな」
「うん、ククリのこと応援してるし、しんどくなったらいつでも相談してねー」
「あ、ありがとう……お母さん」
「こら、お姉さんでしょ!」
頭を小突かれた……
姉が私の話を聞いてくれて、彼女なりに思っていることを話してくれ、いく分気持ちが楽になった。
……でもまだ引っかかることがある。
ナミとナギに悪いことをしてしまった、というのは事実だ。そこはちゃんと責任を感じなくてはいけないんだ。
せめて、もう人の仲を裂くようなことをしてはいけない。
できることなら、『誰かと誰か』がもっと仲良くなれるようなお手伝いをしてみたい。
せめてもの罪滅ぼしとして。
そうつぶやいて、私、塩川ククリは店内にある読書コーナーのテーブルに突っ伏し、大泣きしようとした。
まさにその時。
私の肩がポンと叩かれた。
「あら、随分と難しいことわざを知ってるのね」
そう言ってニッコリと微笑んだのは、私の姉――塩川カヲリだ。
彼女は、振り返った私の目からフルフルと涙があふれそうになっているのを見逃してくれなかった。
「まあ、ごめんなさい、これから号泣しようとしてたところ、ジャマしちゃったみたいねー」
そう言って姉は両手を広げた。
「さあ、お姉ちゃんの胸の中で、存分にお泣きなさい……ククちゃんが小っちゃかった時、よくそうしてたでしょ?」
彼女は私のことを世界でただ一人『ククちゃん』と呼ぶ。齢が少し離れているせいか、そして母が店で忙しいせいか、よく面倒をみてくれ、可愛がってくれた……多少溺愛気味ではあるけど。
「いいよ! そんな大げさなリアクションされたら、涙も引っ込んじゃったし」
「そう? じゃあこれでも召し上がれ」
そう言って姉はティーカップをテーブルの上に二つ置いた。ミントの湯気が立つハーブティ、いつの間に淹れてくれたのだろうか。私のみっともない姿、ずっと見られてた?
姉は私の隣りに座り、そっと口を開いた。
「なんか困ったことでもあったの? お話聞いてあげるよー」
その優しい口調にいつも心が解かされる。引っ込みかけていた涙がこぼれてきた。
絵本の開いたページにポタポタと落ちる。カヲねえさんが手渡してくれたハンドタオルでそれを拭き、自分の顔も拭(ぬぐ)った。売り物の本を台無しにしてしまった。
私の背中を撫でてくれる、姉の優しく柔らかい手の感触。『母性本能』という言葉はまさにこの人のためにあるんじゃないかと思う。
その優しさに甘えて、私はポツリポツリと今まで起きたことを話し始めた。姉は、私の腐れ縁カルテットの三人のこと――ナギもツクルも、そしてナミのこともよく知っている。
「そうかー、大変だったね、ククちゃん」
「聞いてくれてありがとう、ねえさん」
私は素直にお礼を言った。
「なにか、ククちゃんにアドバイスができればいいんだけど……お姉ちゃん、こういうことあまり得意じゃないからねえー」
……そうだ。いや、姉はちゃんとした人間関係を築くのが苦手なわけではない。むしろ超がつくほど得意だ。でも、それがあまりにも『無意識に本能的に自然に』できてしまうので、どうやってアドバイスしていいのかわからないんだと思う。
だいたいこの人、なんでもそう。
勉強だって、努力の天才っていうんだっけ? 息をするように苦も無く勉強して、市内で一番の進学校、旭川北東高校に合格し、常にトップクラスだっていうし、フルートも上手で、中学・高校とブラバン部でパートリーダーをやっていた――でも、高三になると受験勉強に専念すると言ってスッパリと部活をやめてしまった。
……こんなだから、当然モテる。中学の時から数多くの男子に告白されている。
私と違って、可愛い系の美人だし、……胸も大きい。それに溢れんばかりの母性。姉の『聖母スマイル』にヤラれる男子は多いはず。
でも、当の本人はそれらをまったく自覚しておらず、「あら、ククちゃんだって、可愛いし十分魅力的よー」と言ってくれる。でも、心身ともにその差が歴然としていることは、私が身に染みてよーくわかっている。
姉とたまたま街中でばったり出会うと、いつも違う男子と歩いていて、隣りのクラスのA君とか、予備校で知り合ったB君とか紹介してくれる。本命のカレシがいるのかどうかはナゾだ。モテる女の考えることは、とうてい理解できない。
母性本能と胸の大きさは比例するんだろうか? などと変なことを考えていたら、姉が私の妄想をさえぎるように話しかけてきた。
「えーっと、いくつか聞いていい? あなたたち、名前も似ていてまぎらわしいから一回整理させて」
「名前が似ているのは私のせいじゃないもん」
「まあ、いいからいいから。なんとなく状況はわかったけど、それに対して『ククちゃんがどう思っているのか』を聞きたいの」
こんなデキスギな姉だから、私にとって役に立つアドバイスをもらえるとは思ってない。でも正直誰かに私の気持ちを聞いて欲しかった。
「えーっと、『ナギ君』はさー、引っ越しちゃうこと、ククちゃんに真っ先に教えてくれたんだよねー?」
「うん、そうだよ」
「それは、なんでだと思う?」
「お父さんの転勤が決まって、たまたま最初に会ったのが私だったからじゃないかな。そんなこと言ってたし」
「えー、それはどうだろー?」
そう言って姉は私の顔をのぞきこんだ。口元には何となく怪しい笑みを浮かべている。
「次に、『ナミちゃんが』ナギ君に告白したいって言った時のことなんだけど、それを聞いてどう思ったの?」
「うーん、よくわかんない」
「そう? その時の気持ち、なんでもいいからポンと表現できる?」
ポンと?……あの時、私はどう感じたんだっけ?
「あ、ヤバいって思ったかも」
「どんなヤバさかな?」
「……あ、被っちゃったって」
「被っちゃったんだー、ククちゃんはやっぱりナギ君のこと好きなのね」
「別に好きとかじゃ……好きなのかな?」と言いつつも、最近自覚症状があるのはわかっている。
「じゃあもうちょっと、ヤバいってどんな気持ちなのか詳しく教えてくれるー?」
姉さん、今日は容赦ない。さっきまでポロポロ泣いてたの、知ってるくせに。
「……だって、ナミとはライバルになりたくないもん」
「ライバルになったら、ナミちゃんに負けちゃう?」
「……うん、だってあの子、小っちゃくて可愛いし、いつも明るいし、スポーツ万能だし……絶対負ける」
「それは、ナギ君が決めることじゃないかなー」
「いやだって、ナギはもう引っ越しちゃったし、今さらなにもできないよ」
「え、だって、LINEくらい交換してるんじゃないの?」
「ねえさん、私はまだ小学生です。わが家では中学に上がるまで、スマホは買ってくれません」
「そうだったねー」
そう言ってテヘっと笑ってペロッと舌を出した。こういう仕草がいちいち可愛い。
……結局、この問答はなんだったんだろう?
でも。気づかされたこともある。
私には、『ひとり占めにしたい……ドクセンヨク?』が芽生えつつあったということ……今までの四人のつき合いの中であまり感じたことはなかったのに。
そして、もっとダークな感情があること。
ナギが遠くに行ってしまう。ナミが告白しようとしている。その状況で私が一番恐れたのは、『ナギを失うこと』よりも『ナミに負けて惨めな思いをすること』だったんじゃないか。
『ナミとナギには悪いことをした』って、私は責任を感じているフリをしているだけだ。本当は、自分が可愛かっただけ。……つくづくひどいヤツ。
情けなくなり、また涙が出てきた。ハンドタオルで顔を覆う。
しばらくそうしていたら、私の頭が軽く優しくポンポンと叩かれた。
「ククちゃんってさ、時々ネガネガになっちゃうよねー」
姉に心の中を読まれた?
「今のお話を聞いてね、お姉ちゃんはちょっと違う風に感じたんだー」
やっぱり心の中を読まれた?
「どういうこと?」
「ククちゃんはねー、傷つくことがイヤで傷ついているの」
「はあ⁉」
やっぱり、『出木杉ねえさん』の言うことはよくわからない。
「どうせナミちゃんに勝てないからって最初っから諦めてるでしょ?」
「……」 図星すぎて言葉が出ない。
「だから、『ナギ君に告白された』なんて嘘をついて、試合終了のホイッスルを自分で鳴らしちゃった」
姉の声は優しいけれど、言っていることは鋭い刃物みたいだ。……聖母じゃなくて、母性本能豊かな魔女?
「戦って負けて傷つくよりも、嘘つきの悪役になって嫌われるほうが、まだマシだと思ったんでしょ?」
……そうだ。 私は、ナミに負けるのが怖かった。ナギに選ばれない自分が怖かった。だから、嘘というバリアを張って、自分の心を守ろうとしたんだ。その結果、みんなを傷つけたとしても……実装そうなってしまった。
「……最低だね、私」
「ううん、最低じゃないよ。ただ、すごく怖がり屋さんなだけ」
そう言って少し真顔になって姉は私の頭を撫でた。
「でもね、バリアの中でうずくまってても、誰も助けに来てくれない……頼りになるのは、一人だけ。それはお姉ちゃんじゃない。ククちゃんもホントはそれが誰だかわかってる。」
「でも……じゃあ、どうすればいいの? ……ナギは遠くに行っちゃったし」
私の涙声に、姉はふふっと笑った。
「そうねー、じゃあ、ナギ君にテレパシーでも送ってみたら?」
「はあー⁉⁉⁉⁉」
そうだった、姉はこういう無邪気なボケをよくかますんだった……でも。
「言葉で嘘ついちゃったならさ、言葉じゃないもので届けちゃえばいいのよ」
「言葉じゃないもの? それがテレパシー?」
「そう。中学に入ったら、いろいろチャレンジして、いろんな仲間をいっぱい作ってみて。言葉だけじゃ伝わらない気持ちも、きっと伝わるようになるから」
姉はポンと手を打った。
「そうだ、あなたブラバンやるって言ってたよね。約束通り、お姉ちゃんのフルートを譲るから」
「……フルート?」
「うん。言葉がうまく言えないなら、音で伝えればいい。それが一番のテレパシーよ」
「……うん、わかった」
と答えつつも、正直ピンと来ていない。
姉はさっそく、店舗の二階の住居スペースに上がって、フルートのケースを持ってきた。
促されて、ケースをパカッと開ける。
ピンクがかった銀色に輝く楽器。なんかイメージ的には姉の分身のようだ。
「これねー、『マジックフルート』だって思ってるの」
「マジックフルート?」
「うん、モーツァルトの『魔笛』っていうオペラ知ってる?」
「聞いたことあるようなないような……」
「魔笛……別の呼び名がマジックフルート。そのオペラの中では、これを吹くことで困難を乗り越え、喜びをゲットできるの……だから、あなたのお守りであり、武器。多分そのうち、旭川でも魔笛のコンサートがあると思うから、連れてってあげるよー」
「魔笛、か……ありがとう」
「難しいね……このくらいのお年頃って」
そう言って姉は私を見つめ、また頭を撫でた。
「?」
「覆水盆に返らずなんて難しいことわざを知ってるかと思えば、人間関係とか、まだまだわからないことが多くて」
「そりゃそうよ、私まだ小学生よ……そうしたら、中学生になるともっとぐちゃぐちゃ悩み事が増えるのかな?」
「そうねえ、中学生くらいが一番大変かもねえ」
「カヲ姉さんでもそうだったの?」
「うん、それなりにねー。でも、あの頃、いろいろ悩んで大変だったなあって、今なら前向きに思い出せるよ」
「私もそうなれるといいな」
「うん、ククリのこと応援してるし、しんどくなったらいつでも相談してねー」
「あ、ありがとう……お母さん」
「こら、お姉さんでしょ!」
頭を小突かれた……
姉が私の話を聞いてくれて、彼女なりに思っていることを話してくれ、いく分気持ちが楽になった。
……でもまだ引っかかることがある。
ナミとナギに悪いことをしてしまった、というのは事実だ。そこはちゃんと責任を感じなくてはいけないんだ。
せめて、もう人の仲を裂くようなことをしてはいけない。
できることなら、『誰かと誰か』がもっと仲良くなれるようなお手伝いをしてみたい。
せめてもの罪滅ぼしとして。



