土曜の十時。
ククリとナミはミスタードーナツ二条八丁目店で朝のミスド・セットを頼み、トレーを持っていつもの席に着いた。
注文するものも、いつも同じ。ククリはポンデリングのストロベリーとホットカフェオレ。ナミはフレンチ・クルーラーとホットカフェオレ。まだまだ寒い旭川の春先に、この店のホットカフェオレは美味しいし、文字通りほっとする。
土曜のミスド通いとそこでのおしゃべりは、二人にとって楽しい習慣だが、今日はちょっと違った。
ナミはドーナツを一口かじり、マグカップに口をつけたあと、ククリをじっと見つめていた。
その視線に気づいたククリ。
「どうしたの? いつもなら一撃でドーナツ食べちゃうのに」
「……人を腹ペコくまさんみたいに言わないでよ!……それよっかさ、前から聞きたかったんだけど……あの……アタシたち四人の関係ってどう思う?」
「なによ、いきなり急に」
四人とは、ナミ、ククリに加えて同級生のナギとツクルのことだ。
みんなこの買物公園沿いに住んでいて、小学校一年の時から『温故小学校』に通っている。
「私たちは、つきあいが長いじゃない? ……別にどうってことないっていうか、『空気みたいな存在』ってやつじゃない?……または、クサレ縁」
そう答えるククリだが、少し目が宙を泳いでいる。
質問の主は、マグカップに再び口をつけて息を整えた。その口元が少しこわばっている。
「アタシね、思うんだ……最近、ナギってちょっといいかもってさ」
カシャン!
ククリは慌ててマグカップをソーサの上に落としてしまった。
「えへへ、驚くよね?」
「……い、いや、なんも。別にそうなっても自然というか不思議じゃないっていうか」
「そうだべか?」
同意を得たナミの表情が少し和らぐ。
「だからね、ナギにアタシの気持ちを打ち明けたいんだ。そして、四月に中学生になってからは、つきあいたい」
ナミの思いを聞いて、ククリは黙り込んでしまった。
「あ、ごめん。せっかく四人は友達だったのに、抜け駆けみたいなことしようとしてて……でもさ、ナギがアタシの気持ち、わかってくれないかもだし……もし両思いになっても、四人で学校行ったり遊んだりするつもりだし」
ククリはこの先、どう会話を続けていいのか、迷ってしまった。
彼女の心の中に渦巻いたのは、ヤキモチ、対抗心。
そして、気づかい……その恋は実らないよっていう。
沈黙がしばらく続き、ククリは少しぬるくなったカフェオレを一口二口すすってカップを置いた。
「あのね、ナミに言っておかなくちゃいけないことあるの」
「なによ、ククリこそ改まって」
「こないだ学校の帰り、あなたとツクルと別れたあとにね、ナギに『好きだ』って言われたの」
ククリはたった今、自分自身が発した言葉に驚く。
なんだこのウソ話? いったい私、なにが言いたいんだ!?
「えっ!」
意外な打ち明け話に、ナミは目を見開く。
「そ、それでククリはなんて言ったの?」
「なんも……だって……」
今なら取り消せる。笑いながら、なーんて冗談よって言えばいいだけだ。
でも、ククリのどこかに、それを邪魔するナニモノかが潜んでいた。
無言の時間が経っていく。
ナミは、膝の上に手を置いて、下を向いた。
「そう……だったんだ」
顔を上げると、こわばった笑みを見せた。
「あはは、アタシ一人、バカみたいだね」
「そ、そんなこと」
ナミは自分を納得させるようにうなずく。
「うん、うん……ククリとなら、お似合いだよ」
「まだ、話の続きがあるの」
「アタシのお話はこれで終わり。今朝もつきあってくれてありがとう」
「あ、ちょっと待って!」
ナミは、自分のトレーを持ってスッと立ち上がり、回収コーナーに立ち寄ると、空き容器を片づけて足早に店から出ていってしまった。
○
上半身裸で座っているおじさん。
彼は背中をのけぞらせ、楽器を持ち上げてアルトサックスを吹いている。その正面で、猫が行儀よく座って演奏を聞いている。
通称『サックスおじさん』。正式名は『サキソフォン吹きと猫』。買物公園にある、旭川っ子なら誰でも知っている銅像だ。
夕べ、久々に雪が降り、おじさんの帽子にシャーベット状の雪がへばりついている。
「僕、中学に入ったら、ブラバンでサックスやろうかと思ってるんだ」
ツクルがサックスおじさんの隣りに並び、恰好を真似る。
いつもだとここで、「あはは、デブったそのお腹、そこのおじさんとそっくりだもんね。あんたなら上手くなるかもよ」とナミがからかう場面だ。
しかし、今日の彼女は少し違った。温故小学校の校門を出た時から一言も口を聞かず、ナギ、ツクル、ククリから少し遅れて歩いていた。今も三人から少し離れたところで下を向いて佇んでいる。
ククリはその様子を気にして視線を送る。
「なあ、ククリもブラバン部に入るべ? 確か姉さんが使っていた楽器があるからって」
そう聞かれてククリはハッとして視線をツクルに向けた。
「あ、うん……そのつもり」
「なあ、ナミはどうするんだ? やっぱ陸上か?」
ツクルは、少し声を大きくし、うつむいている少女に声をかけた。
少し考えてからナミは、か細い声で答えた。
「ア……アタシはバスケやりたい。でも、常世(とこしえ)中の陸上部の先生から電話があったんだ。競技会の時だけでも出てくれって」
「そうだよな。百メートルの小学生市内記録持っているスーパーアスリートを放っとくわけないよな」
そう言いながら、ナギはナミに近づく。同じ距離だけ彼女は後ずさりした。
「そういうナギはどうすんだ?」
サックスおじさんの頭の雪を払いながらツクルが尋ねる。
「ああ、そうだな、まだ決めてない。俺、どっちみち常世中には行かないし」
「「えっ!」」
驚いて声を上げたのは、ツクルとナミ。
「ああ、まだちゃんと言ってなかったな……ククリにはこないだチョロッと言ったけど」
みんなの視線を感じ、ククリが下を向いた。
「親の仕事の都合でさ、この四月から函館の中学に行く。買物公園で商売しているお前らんちと違って、うちはサラリーマンだから転勤はしょうがないんだ」
ナギは自分に言い聞かせるように話した。
「ええ、マジかよ! そしたら小一から続いた腐れ縁カルテットは解消だべか?」
「ああ、残念だけどな。でも同じ道内だから、また会えるさ」
ナミはククリの顔をじっとにらんでいる。
「ククリあんた、知ってたんでしょ! なんで教えてくれなかったの?」
「こ、こないだ話そうとしたら……」
「もういい!」
「ち、ちょっと!」
ククリがシドロモドロしている間に、ナミはくるりと踵を返して走り去った。追いかけても、俊足の彼女には誰も追いつけない。
○
三月の下旬。
旭川駅構内の雪はほとんど消えているが、日陰になった所は、まだ残雪が黒い氷のかたまりになって残っていて、そこから水がチョロチョロと流れている。
列車のドアにはナギの姿。彼の両親は、もうとっくに座席に座っている。
ホームでナギに向きあっているのは、ククリとツクルの二人。
「やっぱり、ナミは来てくれなかったか」
ホームを左右に見渡すナギ。
「これから会えなくなるっていうのに、引っ越すこと教えてくれなかったくらいでさ。ナミも心の狭いやつだべ。なまら後悔すんぞ」
そう言ってツクルは改札口の方に少し戻ってナミが現れないかと様子を見に行った。
ククリは、列車のドアの間近まで寄り、か細い声を絞り出した。
「ナギ、ごめん……私が悪いの」
「いや、前もってナミに言っとかなかった俺が悪かったよ」
「そ、そうじゃないの」
「?」
「……ナミに打ち明けられたの……ナギのことが好きだって」
「え!?」
「……そして、私ひどいことしちゃった……『ナギから告られた』って言ったの」
「ど、どうしてそんなことを?」
「ほんとうにごめんなさい。ナギはそんなこと言ってないのに……ウソをついた」
「なぜ?」
と言葉を発するナギの口元がゆがんだ。
「わからない……」
札幌方面・函館行きの特急が出発するアナウンスが入り、ベルが鳴った。
戻ってきたツクルが、ホームにしゃがんで顔を押さえているククリと、列車のドアをふさいで呆然と立っているナギを交互に見比べる。
「いったいどうしたんだ?」
ベルが鳴り終わり、ドアが閉まった。
結局ククリも、ちゃんとナギを見送ることができなかった。
ククリとナミはミスタードーナツ二条八丁目店で朝のミスド・セットを頼み、トレーを持っていつもの席に着いた。
注文するものも、いつも同じ。ククリはポンデリングのストロベリーとホットカフェオレ。ナミはフレンチ・クルーラーとホットカフェオレ。まだまだ寒い旭川の春先に、この店のホットカフェオレは美味しいし、文字通りほっとする。
土曜のミスド通いとそこでのおしゃべりは、二人にとって楽しい習慣だが、今日はちょっと違った。
ナミはドーナツを一口かじり、マグカップに口をつけたあと、ククリをじっと見つめていた。
その視線に気づいたククリ。
「どうしたの? いつもなら一撃でドーナツ食べちゃうのに」
「……人を腹ペコくまさんみたいに言わないでよ!……それよっかさ、前から聞きたかったんだけど……あの……アタシたち四人の関係ってどう思う?」
「なによ、いきなり急に」
四人とは、ナミ、ククリに加えて同級生のナギとツクルのことだ。
みんなこの買物公園沿いに住んでいて、小学校一年の時から『温故小学校』に通っている。
「私たちは、つきあいが長いじゃない? ……別にどうってことないっていうか、『空気みたいな存在』ってやつじゃない?……または、クサレ縁」
そう答えるククリだが、少し目が宙を泳いでいる。
質問の主は、マグカップに再び口をつけて息を整えた。その口元が少しこわばっている。
「アタシね、思うんだ……最近、ナギってちょっといいかもってさ」
カシャン!
ククリは慌ててマグカップをソーサの上に落としてしまった。
「えへへ、驚くよね?」
「……い、いや、なんも。別にそうなっても自然というか不思議じゃないっていうか」
「そうだべか?」
同意を得たナミの表情が少し和らぐ。
「だからね、ナギにアタシの気持ちを打ち明けたいんだ。そして、四月に中学生になってからは、つきあいたい」
ナミの思いを聞いて、ククリは黙り込んでしまった。
「あ、ごめん。せっかく四人は友達だったのに、抜け駆けみたいなことしようとしてて……でもさ、ナギがアタシの気持ち、わかってくれないかもだし……もし両思いになっても、四人で学校行ったり遊んだりするつもりだし」
ククリはこの先、どう会話を続けていいのか、迷ってしまった。
彼女の心の中に渦巻いたのは、ヤキモチ、対抗心。
そして、気づかい……その恋は実らないよっていう。
沈黙がしばらく続き、ククリは少しぬるくなったカフェオレを一口二口すすってカップを置いた。
「あのね、ナミに言っておかなくちゃいけないことあるの」
「なによ、ククリこそ改まって」
「こないだ学校の帰り、あなたとツクルと別れたあとにね、ナギに『好きだ』って言われたの」
ククリはたった今、自分自身が発した言葉に驚く。
なんだこのウソ話? いったい私、なにが言いたいんだ!?
「えっ!」
意外な打ち明け話に、ナミは目を見開く。
「そ、それでククリはなんて言ったの?」
「なんも……だって……」
今なら取り消せる。笑いながら、なーんて冗談よって言えばいいだけだ。
でも、ククリのどこかに、それを邪魔するナニモノかが潜んでいた。
無言の時間が経っていく。
ナミは、膝の上に手を置いて、下を向いた。
「そう……だったんだ」
顔を上げると、こわばった笑みを見せた。
「あはは、アタシ一人、バカみたいだね」
「そ、そんなこと」
ナミは自分を納得させるようにうなずく。
「うん、うん……ククリとなら、お似合いだよ」
「まだ、話の続きがあるの」
「アタシのお話はこれで終わり。今朝もつきあってくれてありがとう」
「あ、ちょっと待って!」
ナミは、自分のトレーを持ってスッと立ち上がり、回収コーナーに立ち寄ると、空き容器を片づけて足早に店から出ていってしまった。
○
上半身裸で座っているおじさん。
彼は背中をのけぞらせ、楽器を持ち上げてアルトサックスを吹いている。その正面で、猫が行儀よく座って演奏を聞いている。
通称『サックスおじさん』。正式名は『サキソフォン吹きと猫』。買物公園にある、旭川っ子なら誰でも知っている銅像だ。
夕べ、久々に雪が降り、おじさんの帽子にシャーベット状の雪がへばりついている。
「僕、中学に入ったら、ブラバンでサックスやろうかと思ってるんだ」
ツクルがサックスおじさんの隣りに並び、恰好を真似る。
いつもだとここで、「あはは、デブったそのお腹、そこのおじさんとそっくりだもんね。あんたなら上手くなるかもよ」とナミがからかう場面だ。
しかし、今日の彼女は少し違った。温故小学校の校門を出た時から一言も口を聞かず、ナギ、ツクル、ククリから少し遅れて歩いていた。今も三人から少し離れたところで下を向いて佇んでいる。
ククリはその様子を気にして視線を送る。
「なあ、ククリもブラバン部に入るべ? 確か姉さんが使っていた楽器があるからって」
そう聞かれてククリはハッとして視線をツクルに向けた。
「あ、うん……そのつもり」
「なあ、ナミはどうするんだ? やっぱ陸上か?」
ツクルは、少し声を大きくし、うつむいている少女に声をかけた。
少し考えてからナミは、か細い声で答えた。
「ア……アタシはバスケやりたい。でも、常世(とこしえ)中の陸上部の先生から電話があったんだ。競技会の時だけでも出てくれって」
「そうだよな。百メートルの小学生市内記録持っているスーパーアスリートを放っとくわけないよな」
そう言いながら、ナギはナミに近づく。同じ距離だけ彼女は後ずさりした。
「そういうナギはどうすんだ?」
サックスおじさんの頭の雪を払いながらツクルが尋ねる。
「ああ、そうだな、まだ決めてない。俺、どっちみち常世中には行かないし」
「「えっ!」」
驚いて声を上げたのは、ツクルとナミ。
「ああ、まだちゃんと言ってなかったな……ククリにはこないだチョロッと言ったけど」
みんなの視線を感じ、ククリが下を向いた。
「親の仕事の都合でさ、この四月から函館の中学に行く。買物公園で商売しているお前らんちと違って、うちはサラリーマンだから転勤はしょうがないんだ」
ナギは自分に言い聞かせるように話した。
「ええ、マジかよ! そしたら小一から続いた腐れ縁カルテットは解消だべか?」
「ああ、残念だけどな。でも同じ道内だから、また会えるさ」
ナミはククリの顔をじっとにらんでいる。
「ククリあんた、知ってたんでしょ! なんで教えてくれなかったの?」
「こ、こないだ話そうとしたら……」
「もういい!」
「ち、ちょっと!」
ククリがシドロモドロしている間に、ナミはくるりと踵を返して走り去った。追いかけても、俊足の彼女には誰も追いつけない。
○
三月の下旬。
旭川駅構内の雪はほとんど消えているが、日陰になった所は、まだ残雪が黒い氷のかたまりになって残っていて、そこから水がチョロチョロと流れている。
列車のドアにはナギの姿。彼の両親は、もうとっくに座席に座っている。
ホームでナギに向きあっているのは、ククリとツクルの二人。
「やっぱり、ナミは来てくれなかったか」
ホームを左右に見渡すナギ。
「これから会えなくなるっていうのに、引っ越すこと教えてくれなかったくらいでさ。ナミも心の狭いやつだべ。なまら後悔すんぞ」
そう言ってツクルは改札口の方に少し戻ってナミが現れないかと様子を見に行った。
ククリは、列車のドアの間近まで寄り、か細い声を絞り出した。
「ナギ、ごめん……私が悪いの」
「いや、前もってナミに言っとかなかった俺が悪かったよ」
「そ、そうじゃないの」
「?」
「……ナミに打ち明けられたの……ナギのことが好きだって」
「え!?」
「……そして、私ひどいことしちゃった……『ナギから告られた』って言ったの」
「ど、どうしてそんなことを?」
「ほんとうにごめんなさい。ナギはそんなこと言ってないのに……ウソをついた」
「なぜ?」
と言葉を発するナギの口元がゆがんだ。
「わからない……」
札幌方面・函館行きの特急が出発するアナウンスが入り、ベルが鳴った。
戻ってきたツクルが、ホームにしゃがんで顔を押さえているククリと、列車のドアをふさいで呆然と立っているナギを交互に見比べる。
「いったいどうしたんだ?」
ベルが鳴り終わり、ドアが閉まった。
結局ククリも、ちゃんとナギを見送ることができなかった。



