二月十四日、天気は風まじりの雪。
夕方五時を回ると店のドアを開け、粉雪と一緒に何組もの中学生カップルが店を訪ねてきた。
たまたま旭川に戻っていた、大学生の姉(カヲねえさん)が読書コーナーの飾りつけやキャンドルのセッティングとか案内とかを手伝ってくれながら、『まあー! 可愛らしいカップルさんたち!』と目を輝かせている。
ナミやツクルやナギを一人ずつ捕まえて、何やら話しこんでいた。よけいなこと喋ってないといいんだけど。
ナミやユウカは早めに来て、お菓子や飲み物をテーブルの上に並べてくれた。
アラジンの石油ストーブにかけたヤカンがシュンシュンと暖かい蒸気を吹いている。
ドアの外には『Closed』の札をかけ、店内の照明が落とされ、キャンドルが灯された。同時にラベンダーのいい香りが漂い始める。
読書コーナーの中央に椅子がポツンと置かれ、ナミがその脇に立った。
「みなさん、今日はお集まりいただき、ありがとうございます……なんか堅っ苦しいな……今日はホントは二人でラブラブしたい日なのにもかかわらず、キャンドル朗読会に来てくれてありがとう! ここに集まってる人はみんな、どういう人だかわかってるよね?」
彼女を囲んで椅子に座っている中学生たちがウンウン、モチロンとうなずく。
ナミは脇に立っている私を手で指し示した。
「そう、ここにおらせられる、塩川ククリさまに縁を取り持ってもらった幸せ者たちだ!」
「ちょっと、仲人おばさんみたいだから、その言い方やめてくれる!?」
場内から笑いが起きる。
ナミはそれをスルーして先に進める。
「さて、このククリさまからは後ほど朗読をお聴かせいただきますが、その前座でどうしてもやりたいっていうので、ユウカにまずトップバッターを務めてもらいます」
紹介されたユウカは拍手をもらいながら一礼して椅子に座り、本を広げた。天井から彼女にだけ照明が当たっている。
「交換ウソ日記、櫻いいよ 作」
学校の机の中から手紙を発見した主人公。そこに書かれた愛の告白からウソのやりとりが始まる秘密の交換日記。
そのやり取りを通してお互いのことを知り、惹かれ合う二人を描いた、もどかしくも甘酸っぱい青春物語。
ユウカは、まず最初に『大筋がわかるように、でもあまりネタバレしすぎない』絶妙なバランスであらすじを伝えた。
私も中学に入りたてのころ、読んだことがある。主人公の女の子は、自分はなんの取り柄もない『平凡な存在』だと思っている。他人事ではない。私もそうだから。
でも、こうも考えた。平凡な人なんて本当にいるんだろうか。自分に対する回りの空気を勝手に読みとって、平凡だって決めつけているのは、他の誰でもない、自分自身じゃないのかって。
だから、それは勝手な思い込みだよって主人公に言ってあげたい……私自身に言い聞かせるように。
あと、ウソをついたことを早くはっきりさせればいいのにと思いつつも、そうできない気持ちもよくわかる。まさに自分がそうだったからだ。私はこんな気持ちをいつの間にか勝手に『じれジレンマ』と名づけ、自虐的に使っていた。
ウソの交換日記を愛しむ主人公の心情。親友がかけてくれる優しい言葉……そしてクライマックス、男の子の叫び。
ユウカはその作品から心揺さぶられたシーンを選び抜き、静かに、時には可愛く、時には迫力満点で読み上げた。
演劇部の彼女、去年の合宿の時より数段うまくなっている。うう、プレッシャーがかかるな。
ユウカが本から顔をあげ、笑顔でおしまいを告げると、拍手が沸き起こった。
「ユウカ、最高だったぜ! さあ、ここで仲人おばさんの登場だ」と司会者のナミ。
「ナミ、だからそれやめてって!」
またまた笑いをもらいながら、私はユウカと席を替わってもらった。
外の世界は、雪と風が強くなったようで、窓がカタカタと震えた。
深呼吸し、風が静まりかえったところで、タイトルと作者名を読み上げる。
「一瞬を生きる君を、僕は永遠に忘れない。 冬野夜空」
高校のクラスの同級生の女の子から突然、専属カメラマンを任命された主人公。
彼女が生きる一瞬を永遠に残すため、最後までシャッターを切り続ける。
私は、あらすじは話さず、物語の大詰めに出てくる、ヒロインが残したノートの後半だけを朗読する。
そこには、たくさんの『ごめんなさい』と『ありがとう』が記されていた。
この物語に登場する二人の境遇に比べれば、私の今の状況なんて、とるに足らないものだと思う。
でもここに集まってくれたみんなに、このお話に出てくる言葉を借りて、心からお詫びとお礼を伝えたかった。
そして今みんなでここに集まっているこの時間――人生でいえば、ほんの一瞬――を大切にして欲しい、したいという気持ちを込めて、静かに朗読し、本を閉じた。
宿泊研修のキャンドルサービスの時のように、方々からすすり泣く声が聞こえる。
私は思わず声をかけた。
「みなさん、ごめんなさい。せっかくの幸せなバレンタインデーの夜なのに。ちょっと悲しいお話だったかな」
「ううん、よかったよ」
「今日ここで、このお話を読んでくれてありがとう」
口々にそう言ってくれた。
ナミが私の側に来て、何か話そうとする。
私はそれをさえぎった。
……さて、ここからだ。
私は、膝の上に置いてある、『手書きの便箋』に手を伸ばした。
指先が震えている。
怖い。
さっきまでは『本に書かれた物語』を読んでいればよかった。
でも、この先は『私の物語』だ。
しかも、残酷な『ウソの真実』を告げる物語。
口の中がカラカラに乾いて、舌が張りつく。
言葉が出てこない。
言葉は怖い。
一度口に出してしまえば、もう取り消せない。あの小学六年の冬の日、私がついた嘘のように、言葉は人を傷つける刃物にもなる。
『ナギに告白されたの』
あのたった一言が、私たちの時間を止めてしまった。
また言葉で失敗したら?
今度こそ本当に、決定的にナギやナミとの関係が壊れてしまったら?
恐怖で視界がにじむ。
その時。
カヲねえさんの、あの言葉が脳裏に蘇った。
『うん。言葉がうまく言えないなら、音で伝えればいい。それが一番のテレパシーよ』
……そうだった。 私はそのために、『マジック・フルート』を受け継いだんだった。 言葉にするのが怖いなら、まずは音に想いを乗せればいい。
私は便箋を一度椅子の上に置き、テーブルの下に学校のカバンと一緒に置いてあったフルートケースを手に取った。
パチン、パチンと留め具を外し、慌てないようにしてピンクがかった銀色の管を組み立てる。
観客席が「おや?」「いったいなにが始まるの?」という空気になったのがわかる。朗読会だと思っていたら、急に楽器が出てくるのだから。
窓に粉雪があたる音がかすかに聞こえる。
私は深く息を吸い込んだ。 ラベンダーの香りと、石油ストーブの匂いと一緒に。
そして、そっとフルートの歌口に唇を当てる。
選んだ曲は、モーツァルトの『魔笛』から、『私は鳥刺し』 。難しいフレーズが出てくるちょっと前まで。
ピーー……
最初の音は少し震えたけれど、二音目からは透き通るような音が、薄暗い店内に響き渡った。
これは言葉じゃない。意味なんてない。でもそれは、どこまでも優しいメロディ。 ただ、『ごめんなさい』と『大好き』と『ここにいてくれてありがとう』という気持ちだけを魔法の笛に吹き込む。
音は、空気の振動だ。 私の体から出た振動が、ナギの鼓膜を、ナミの鼓膜を、ツクルの鼓膜を揺らす。
そしてきっと。
直接、心に触れ、振るわすことができると思うんだ。
届いて!……私のテレパシー。
二分にも満たない短い演奏。
最後の一音、雪の降る静かな夜に溶けて消えていく。
ふう、と息を吐き、楽器を下ろす。
一瞬、店の中がしんと静まり返った。
私のテレパシーが、みんなの心に浸透していく時間。
やがて、パチ、パチパチ……と、温かい拍手が沸き起こった。
その音に包まれながら、私は再び、手書きの便箋を手に取った。
そう、朗読した物語のヒロインも言ってた。
"やらない後悔より、やった後悔"
「あの、みんなにもう一つ聞いてもらいたいお話があるの。短い話ですぐに終わるから」
私は手書きの便箋を広げた。
涙が流れる。
声はちゃんと出せるだろうか。
「イザナミノミコトと、イザナギノミコトと、ククリ姫と……プラス、ツクルの皇子のお話」
"イザナミノミコトが 黄泉の世界に 帰ろうとした時。
いきなり現れた ククリ姫は イザナミノミコトに
「彼……イザナギノミコトは 私のことを愛している。だから あなたは諦めて」
と語りかけ 二人の仲を 引き裂いてしまいました。
そして いざなみのみことは ニューキャラとして登場した ツクルの皇子と 結ばれたのです"
観客席から「なんの話?」「さあ?」というささやき声が聞こえる。
「……これでおしまいです。
みなさんには、なんのことかわからないと思いますけど、これが私のやってしまったことです。
とある人が旅立つ直前に、彼に思いを寄せている子に大ウソをついて二人の仲を引き裂いてしまいました。
二人の運命を変えてしまったんです。
私はその罪滅ぼし……というか自己満足のために『当て馬屋』を始めて、みなさんの縁結びをしてきました……こんな不純な動機なんです。
み、みなさん本当にごめんなさい」
私が頭を下げると、床に涙がポタポタ落ちる。
部屋中がざわめく。
もう嗚咽と涙混じりの声しか出せない。
でも、これだけは、ちゃんと言わなくちゃいけないんだ。
「でも……でもね、縁が結ばれた二人はね、わ、私なんかが手を貸さなくても……いつか結ばれる運命にあったと思う。ぜったいに……
お互いにそれぞれの魅力を感じとって、好きだって思えたんだからね……それだけは信じて。
だから、お願い!
これからもお互いのことを大事にしていってください
……ほんとうにお願い!」
私は、涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠すように深く頭を下げた。
しばらくして姿勢を戻すと、ナミが息をのんで私を見つめていた
……そして、彼女の両方の瞳からも、涙が頬に伝わった。
私は客席のナギに向き直り、さらに深く頭を下げる。
「ナギ、ほんとうにごめんなさい……私、二年以上も謝らないで、逃げていた」
こんな『場のいきおい』でしか謝れない自分が情けなく、余計に涙が落ちる。
その時、ガタンと椅子がずれる音がした。
「あのさ……それなら、俺も読ませてもらっていいかな」
「え?」
思わず顔を上げた。
ナギが客席から立ち上がり、真っ直ぐに私の方に向かってくる。
「これも短くてすぐ済むから」
そう言って彼は私の隣りに並ぶ。そして小さな紙きれを広げた。
"列車のドアの前で ククリ姫は
『イザナギノミコト……つまり俺に告白されたと ウソをついてしまった』 と告げた。
彼女と 離ればなれになったあと イザナギノミコトは ずっと考えていた。
ククリ姫が言ったことは ウソなんだろうか? そのまま ウソにしてしまって いいんだろうか? と "
ここまで読むとナギは顔を上げ、みんなを見回した。
"だから イザナギノミコト いや 俺は 言わなくちゃいけないんだ。
伝えるんだって そう決めたんだ。
彼女と 再び出会えた時に 本当の 気持ちを。
運命は 待っているものじゃない。 自分で 切り拓くものなんだ "
読み上げたメモをたたみ、ナギは私に向かい合い、真顔で言った。
「ククリ、君のことが好きだ。だから、ククリ姫が、イザナギノミコトに言ったことはウソじゃない。ほんとうのことなんだ」
一瞬の静寂の時間。
やがて、客席から冷やかしの声と一緒に、拍手が起きた。
それに合わせて雪風が強く窓を叩き、ガタガタと音をたてる。
一瞬、何がどうなっているのかわからなくなった。
そして少し冷静になると、今度は不安がよぎった。
私は少し離れて立っているナミの顔を見た。『あなたは赦してくれないよね』って。
彼女は真面目な顔をして、つかつかと寄ってきた。
私と向き合い、少し表情をこわばらせている。
やっぱり彼女は私を赦していなかったのか……
じっと私を見つめ、口を開く。
「……バカ」
「……うん……バカだった……ごめんなさい」
「あんた、ずっと一人で苦しかったんでしょ?」
「え?」
「 ……なんで、もっと早く言わなかったのよ?……まあ、なんとなくわかってたけどさ」
「あの……」
「当て馬屋をやっている理由……それから、ナギへの、ほんとうの気持ち」
そう言って彼女はガバッと私を抱き締めた。
「辛かったよね」
その一言が、私の涙腺をさらに強く刺激した。
「う、うん……辛かった……でも、ほんと、ごめん」
「だから謝るなって」
涙が止まらない。
ナミも、もらい泣き。
時間が、また止まる。
窓の外から風の音だけが聞こえた。
ここにいるみんなは、そんな私たちをしばらくそっとしておいてくれた。
いつの間にか、そばにいるカヲ姉さんがミニタオルをそっと差し出してくれた。
「ありがとう……グスッ、」
受け取り、顔を拭く。
少し落ち着いて顔を上げると、ナミが片手をニュッと差し出した。
「はい、三千円」
は? え?
「なっ、なに、三千円って?」
「当て馬代。あんただってみんなからもらってたじゃない」
「まさか……あなたが……当て馬を」
「そう! そのまさか」
そう言うと、ナミは、涙顔から、いつものナミスマイルにぱあっと表情を変えた。
「え……演技だったの?」
「まあね。あんたみたいにはうまくできなかったけどさ、小六のあの時の『リベンジ』も兼ねてね、イヒヒ。……でも結果オーライでしょ、はい三千円」
私はナギとツクルの顔をかわりばんこに見た。二人とも笑いながらウンウンとうなずいている。
客席の脇に立っているカヲ姉さんも、ナミにサムアップしながらウィンクしている。
……みんなグルだったのか! ひどい。
でも。
私は見事にナミと(ナギとツクルにも姉さんにも)だまされてしまったけど、もうこの部屋には嘘をつく人は誰もいない
……私さえ嘘をつかなければ。
もう大丈夫。私は『ほんとう』から、逃げない。
だから、ナギに飛びついた。
彼はしっかり受け止めてくれた。
私の涙も一緒に。
みんな冷やかすけど、構うもんか!
これが私のほんとうの気持ちなんだから。
「……あの、お取り込み中悪いんだけど、せっかくだから、アタシも簡単なの読ませて」
そう言ってナミも小さなメモを片手に持った。
"ククリ姫は、イザナミノミコトに こう言いました。『男子なんか放っておいて、私たちが恋人同士にならない?』って"
「え! なにそれ?」と客席。
ナミは舌を出し、私にウィンクした。それから、ナギとツクルを一瞥し、
「だから、アンタたちが油断してたら、私たち、くっついちゃうからね」
と言って私をぐいとナギから引き離し、肩を抱いた。
「そ、そしたら僕たちはどうすりゃいいんだ!?」ツクルが慌てる。
「あんたたち二人でくっついてればいいべ」
とナミがすまし顔で答え、客席から爆笑が湧き起こった。
この後、キャンドルの灯りのもと、一応バレンタインデーということで、自在軒(ナミパパ)から差し入れられたチョコと飲みものと軽食でパーティーとなり、『縁を結びし者と結ばれし者』で合同バレンタインの時間を愉しんだ。
外は相変わらず粉雪が舞っている。
あと少ししたら、みんなここを出て、帰路についてしまう。
でも、もう少しだけ。
このオレンジの温かい空間に一緒にいて欲しい。
私はこのひとときを一生忘れない。



