私のウソをホントに変えてくれた、桃銀の魔笛


「ねえねえナギ君、ちょっとこの本見てくれる?」
「え? それは……」

俺が入っている文芸部は、図書室が部室みたいなものだ。勉強もしやすいからと、函館のこの中学に来て早々、入部を決めた。
旭川にいた時、ククリがいろいろとお勧めの本を教えてくれたのがきっかけで、もっと読みたいと思ったし自分で書いてみたいとも思っている……今のところ、書くよりも部員の作品を読む方が多いけど。

女子だらけの部員の一人、竹内さんは水彩画が表紙に描かれた絵本を手に持っていた。その本、前に開いたことがある……確かククリの家の本屋さんの棚並んでいた。彼女がおススメしていたものだ。

「ほら、なんかさ、この『いざなぎのみこと』の挿絵って、なんか君に似てない?」
「そ、そうかな?」
「うんうん、似てる……それに名前も『ナギ』つながりだし」
そう合いの手を入れたのは、もう一人の部員、山岸さんだ。彼女は続ける。

「もしかして、ナギ君が前にいた旭川でさ、『なみちゃん』って子がいて、つきあってたりしてたんじゃない?」
「そんな偶然あるわけないっしょ!」そう言って竹内さんがアハハと笑った。

……でも実際にいたんだ。『いざなみのみこと』だけじゃなく、『くくり姫』までも。
ククリがこの絵本をおススメした理由もそれだ。「なんか、私たちみたいだね」って。
「でも、ツクルがいないじゃん?」って俺が反論すると、「じゃあ勝手に登場人物作っちゃおうか、名前がツクルだけに」そう言って彼女は微笑んだ。

「ねえ、ナギ君、どうしたの? ……なんか私たち、気に障ること言った?」
「あ、いやなんでもない。そう言えば昔読んだことがあるなあって思い出してたんだ」

思い出したのはそれだけじゃない。あの日の旭川駅のホームでの出来事。

「私ひどいことしちゃった。ナギから告られたって、ナミに言ったの」
「ど、どうしてそんなことを?」
「ほんとうにごめんなさい。ナギはそんなこと言ってないのに……ウソをついた」

あの時のククリの表情。今でも忘れられない。
そして、俺はその時、どんな顔をしていたんだろう。

彼女に言ってあげたい。でもそれをどんなふうに言葉にしようかと考えていたら、列車のドアが閉まってしまった。
「はいはい、この話はこれでおしまい」と運命の神様がぴしゃりと俺とククリの間を隔ててしまったように。

そのドアはずっと閉まったままだ。これから無理矢理開けることなんて、できっこない。
俺は旭川に遊びに行くことも、ククリやツクルやナミに電話することもなかった。やればできたんだろうけど。

後悔先に立たず。覆水盆に返らず。


でも、中学二年の二学期。運命を変えるチャンスが訪れた。

俺はツクルの家の電話番号を調べた。


 〇

「念のため聞いておきたいんだけど、ククリが出した『交換条件』って、まだ生きてるの?」

フレンチ・クルーラーを一気に食べ、ホットカフェオレをひと口飲むと、ナミはいきなり切り出した。
「えーと、交換条件ってなんだっけ?」
「えー、言った本人が忘れてんの!? そんな軽いもんだったわけ?」
「あー、えーっと……」

この夏は色々なことがありすぎて、忘れてた。
ナミは百メートル走の地区予選に続いて全道大会に出場を果たし、一位を獲ったが念願の全国大会出場はかなわなかった……しかし、彼氏をゲットした。

私といえば――ツクルも同様だが――吹奏楽コンクールの地区予選で金賞。代表に選ばれ、夏休み明けの北海道大会に出場した。ここでも金賞を獲得したものの、全国大会へは進めなかった。自由曲で演奏した『アルメ・ニアンダンス パート1』では、ツクルのサックスの『どソロ』があって、聴衆を魅了したけど、総合力では代表校に劣る。さすがに全国の壁は厚かった。

「ククリたちのブラバンも大したもんじゃん、北海道大会で金なんて」とナミは褒めてくれたが、同じ金賞でも全国に行ける団体の演奏は格が違う。
……こうして私(とツクル)の夏は終わった。

ナミも先日の大会で陸上部の活動は休止し、秋の新人大会に向けてバスケ部の練習に専念している。ウチの学校のバスケ部は、六月の中体連の大会には参加しているが、部員数も少なく選手層も薄いため、毎年早々と敗退している。体育館の練習を見ていても、ナミの速攻やスリーポイントシュートは、チームにとっても大きな戦力のようだけど、それだけではなかなか勝ち進めない。
でも、チームで一丸となってシュートを決めたり、相手の攻撃を止めるのが彼女にとっては楽しいらしい。陸上の短距離走はある意味孤独な戦いなので――観戦してみて私にもそれが痛いほどわかった――たとえ弱いチームでも、その仲間に加わることで、ナミは心のバランスをとっているのだろう……できれば無理せず体力のバランスもとって欲しいのだけれど。

「ククリさん、アタシの言ってること、聞こえてますか?」

「聞いてる聞いてる……『当て馬』の交換条件のことでしょ?」
そう、ナミが見事ツクルとカップルになれたら、彼女と私は『お互いに好き同士の女の子』という設定にしてもらい、当て馬の対象の男子から穏便に『セパレート』させてもらおう、という魂胆なのだ。
「そうねえ、ここのところ忙しかったから、当て馬の依頼があるにはあったけど断ってたし……続けようかどうかも迷ってるし」
だいたいナミとツクルがくっついたことによって、『当て馬屋』を続ける理由がなくなったような気がする。
モチベーションが上がらない……正直、人の恋を応援している場合じゃないだろって焦りもある。

「そうだよ、アタシが言うのもなんだけど、まずは自分のカレシをゲットした方がいいんでないかい?」
心を読まれた?

「……そうねえ、こんな風にナミに気を遣わせるのもよくないし」
ミスドのブランチ会は、小六の時以来しばらく休止していたけど、ナミが声をかけてくれ、日曜の午前中、お互い時間が合えばつきあってもらっている。

「なーに、そんなこと気にしてんの? 別に気を遣ってるわけじゃなくて、昔っからの友だちでしょ! だからこうやって会っても、なにもおかしくないべさ」
「あ、ありがとう」
彼女はそう言うけど、多分気を遣ってくれているんだ思う。ナミだけでなくツクルも。放課後も、部活が終わる時間が合えば、一緒に帰ろうと誘ってくれるし、三人だけのLINEグループに二人ともしょっちゅう書きこんでくれるし。

でも。
どんなに気を遣ってもらって、『三人のつき合いは、昔と変わらないよ』って言われても、同じでいられるわけがない。

帰り道、三人一緒に歩いていると、自然にナミとツクルが前に出て、私はいつの間にかその後ろを一人で歩いている。知らずに二人がそういう世界を作ってしまうのか、私が遠慮しているかはよくわからない。どっちにしても、明らかに『今までの三人とは違う』。

「あの、やっぱり交換条件、お願いできるかな」

「なに、当て馬屋、まだ続けるつもり?」
「うん、相談がちょこちょこ来てるしね。力になってあげないと……罪滅ぼしのためにも」
「罪滅ぼし?」
「あ、いや、なんでもない……だから、ツクルには私から事情を話しておく。そして迷惑かけないって。あ、一つだけ迷惑かけるか……『あなたとツクルがつきあってる』って大っぴらに言えなくしてしまうから」

ナミは一度口元に持っていたカフェオレ入りのマグカップをソーサに戻して少しの間、黙った。
「三人は幼馴染みで今までずっと一緒なんだから、誰と誰がつきあってるかどうかなんて周りからはなんもわからんべ。それにアタシもツクルも、『アタシたちつきあってるのよ』なんて言いふらしたくもないしさ……あとね、ツクルにはもう言ってあるんだ」
「え?」
「ククリと『彼女関係』という設定になるかもだから、よろしくって」
「え、ど直球! そんなこと言って大丈夫だったの?」
「『なにそれ?』って言われたけど、アイツ、察しがいいし、『気い遣い』だべ? だから『そうか、わかった』とだけ言ってさ、理由も聞かれなかった」

察しがいいって、何を察したのだろうか……そして気を遣われてしまった。それはそれで悲しい。


 〇

この街は、九月中旬を過ぎると急に冷え込んでくる。年々温暖化が進んで夏は暑くなっていると言われているけど、北国のこの季節は変わらず、厳しい冬がそこまで来ていることを予感させる。

私は、夏場から保留にしていた『当て馬屋』を再開し、今まで縁結びした同級生からの相談に応じた。中には一年生からの相談もあった。

①Consult

②Give

③Search & Share

④Separate

⑤Match

⑥Secret

この私なりの『なんちゃってビジネスモデル』で縁結びを成功させ続けている。特に『Separate』では『ごめんなさい、実は私には彼女がいて……』という言葉の防衛手段を手に入れたので、前よりもやりやすくなったし、気苦労も少ない。
「え⁉ 女の子同士でつきあってるの?」って驚く男子は意外と少なかった。

そうやって、秋から冬にかけて、三組の縁結びに成功した。一年生の子の謝礼は二千円に負けてあげた……




季節はさらに進み、旭川の買物公園では方々に根雪が残り始める。そしてイルミネーションが飾られた。

部活帰りの夕暮れの道。
通りのあちこちに灯る光の点画はロマンチックだ。多分札幌や東京などの大都会のイルミネーションに比べると派手さや規模では足元にも及ばないと思うけど、さらさらの雪を淡い光がじんわり照らす、この街ならではの風景だ。

ダッフルコートを来て、スノトレで雪をキュッキュッと踏み鳴らしながら前を行く二人。
会話のたびに吐く息が白く混ざり合い、温かさが伝わってくる。

白、ピンク、ブルーの光が涙で滲む。

「今日は特にしばれんな、ククリ」

「……」

ツクルの声に反応しないで立ち止まった私に気づき、二人が振り返る。

「あ、ごめん」
ツクルが声をかける。

「大丈夫、謝らないで」

そう……謝らないで!


二人と別れてから、自分の家までわずか二百メートル。それがすごく遠かった。

寒い。

この季節、旭川が寒いのは決まっている。だから、暖かいインナーを着て、マフラーもして、ダッフルコートのフードを被っている。いつもなら、これで十分だ。外の寒さ対策は。

むしろ、冷えは体の内側から生まれている。そして今、氷のような冷たさが体中に広がり始めた。

胸の奥から、
背中へ。
手先へ。
足のつま先まで。

こんな時、カヲねえさんがいてくれたら。
……彼女は今、札幌に住んで大学に通っている。

次に私の頭に浮かんだ顔は。

ナギ。

もちろん小学生のナギだ。

今はどんな顔をしているんだろう?
大人っぽくなったのかな。
ツクルがあんなに背が伸びて、(一応)モテているので、ナギだってだいぶ変わっているのかもしれない。
だけど私は……何も変わっていない。体も、心も。

ナミとツクルは思いが通じ、あんな風に仲良く並んで帰れるようになった。
だからもう、ナミからはもう赦されているんだと思う。あの大ウソの罪を。
もしナミにそのことを聞いたら、「そんなのもう気にしてないよ」って言ってくれるだろう。
実際、それに近いことは何度か言われている。

でも、なんだろう。
モヤモヤと残っている、罪の意識。

そうだよね。

このこと、あの日からナギと何も話せていないんだもの。
彼の気持ちを聞いていないんだもの。
ちゃんと謝れていないんだもの。


だから、今、強く思う。
……というより、白い息と一緒に口から出していた。


 ナギに、あいたい。




二学期の終業式が間近に迫った、雪の日曜の朝。
ミスドで向かい合ったナミがフレンチ・クルーラーを食べ終え、いきなり切り出してきた。
「あのさ、函館のナギに連絡とってみたらどうだべ?」
「え? ……でも連絡先もわからないし」

「どうやらツクルは知ってるみたいだよ。LINEも」
……これは多分、ツクルからの提案だな。

「そうね、考えとく」
「あ! そのリアクション、体よくスルーしようとしてるでしょ?」
「そ、そんなことないよ」
「マジで考えてよ、ツクルに聞いとくからさ」

そうこうしているうちに冬休みに突入してしまった。
この期間、どの部活も、あまりひんぱんに活動していない。
吹奏楽部はチョコチョコとアンサンブル曲の練習はするけど、ツクルはアルトサックス、私はフルートで、別々のメンバーに混じって練習しているので、彼ともナミともあまり顔を合わせる機会がなかった。

ナギと連絡をとったらって……

もう二年近く経っているんだから、何を今さらって感じじゃないかな……だいたいつき合っている女子がいるかもだし。
そもそも私のこと、嫌ってるよ……あんな別れ方しちゃったし。

あの時のナギの表情を思い出してしまった。

怖い。
やっぱり、連絡なんかとれっこない?

冬休み中、こんな自問自答を繰り返していたが、三学期に入ると悩む必要がなくなった。


私のクラスに転校生が入ってきたからだ。