石狩川沿いにある、花咲スポーツ公園。
旭川のヒーロー、スタルヒンの名がついた野球場や体育館にテニスコートなど、様々なスポーツ施設が集まっている。
今日はココの陸上競技場で、『全道中体連陸上競技大会』が行われる。全道からトップアスリートが集まっていて、観客席も大勢の人で賑やかだ。
カシャッ カシャッ
観客席にいる私の隣りからデジタル一眼レフのシャッター音が聞こえた。
「ちょっとツクル、こんな所で写真なんか撮って大丈夫なの? 最近陸上競技の盗撮が騒がれてるみたいだけど」
「ああ、親父に頼んで撮影許可をとってある。許可証も持ってるし……ほら」
そう言って自分が着ているハデハデなベスト(ビブスというらしい)を親指でさし示した。
「……なんか職権乱用っぽい気もするけど」
「まあね。でも今日は、ナミの全国大会出場の決定的瞬間をこの手で捉えたいからね」
ツクルの家は『くましろ(神代)写真館』という、買物公園にある写真屋さんで、修学旅行など、私たちが通った小中学校の行事には彼のお父さんがカメラマンとして随行したりしている。その息子ということで小さい頃から一眼レフの手ほどきを受けてきたらしい。
七月末、吹奏楽部の合宿から帰った翌日。ナミが出場する百メートル走の予選と決勝が行われる。コンクール直前とは言え、さすがにこの日の練習は休みとなったため、ツクルと一緒にナミの応援に駆けつけた。去年の全道大会は室蘭で開催されたので応援には行けなかった。旭川の地区大会は去年も今年もいつの間にか終わってしまっていて、『幼馴染みのくせに冷たいんだから!』と優勝者のナミから二年で連続で愚痴られた。
合宿の帰りのバスの中で、一緒にナミの応援に行かないかとツクルを誘ってみた。『あの夜』があったばかりなので、なんとなく誘いづらかったけど、ナミとは当て馬の約束をしているのでやむを得ない。私はナミが優勝してツクルの胸に飛び込む映像をイメージした。
合宿中にあんなことがあったけど、ツクルはそれをおくびにも出さないで、ひたすら被写体(ナミ)を追いかけている。
午前、女子百メートルの予選。
フィールドには時計メーカーのロゴが入った電光掲示板が置かれていて、なんか本格的だ。
ナミは予選の三組目に出てきた。
私たちが大きく手を振って声をかけると、ピョンピョンと飛び跳ねながら、両手を上げて振り返してきた。前に『スタート直前は心臓バクバク』って言ってたけど、そんなことないんじゃないかな。
ユニフォームは上下とも赤のへそ出しタイプ。こうやって見ると、選手たちの中でも彼女はずいぶん小柄な方だ。
「オン・ユア・マークス」
そのかけ声でランナーはスターティングブロックについた。
「セット」
腰を上げる
ダーーン!
素早く反応した集団の中でも、ナミは一気に飛び出していった。小さい頃から彼女の持ち味はスタートダッシュだ。
「ナミ、ガンバ!」
観客席のあちこちから彼女を応援する声が聞こえる。顔ぶれを見ると、陸上部のメンバーに加え、バスケ部の仲間たちもいる。
ゴール直前までトップを独走していたナミだが、ゴール直前で隣りの大柄な選手に抜かれ、二着でゴールインした。
「予選通過、まあ順当なところだべ」
ツクルはカメラのファインダーから顔をあげ満足そうにつぶやいた。
「最後抜かれちゃったけど、ナミ、大丈夫かな?」
「ああ、最後は少し流して走ってた。まだ余裕があるってことだろう」
「へえ、そうなんだ」
〇
準決勝、ナミは最終組の四組目。
観客席からみんなが声援を送ると、予選のときと同じように両手を振って笑顔を見せた。
「オン・ユア・マークス」
スターティングブロックにつく。
「セット」
腰を上げる
ダーーン!
ダーーン!
ピストルが二度続いて鳴った。
フライングだ。
まさか……
フライングが宣告され、第一コースの子が顔を両手で覆い、うなだれてコースをはずれた。
観客席が静まりかえる。
選手たちは、それぞれに体を動かしながら、もう一度集中し直す。
仕切り直し。
「オン・ユア・マークス」
「セット」
ダーーン!
今度はみんな一斉に飛び出した……いや、ナミが少し遅れた。
「フライング、気になったのか?」
ツクルがつぶやく。
七十メートルあたりでナミは混戦状態の集団に追いつき、そのまま追い越してトップでゴールした。
歓声が上がる。
「やったねツクル! やっぱナミはすごい」
そう言ってツクルの横顔を見たが、彼の反応は違った。
「ここはムキになって追いかけるとこじゃないだろ、ちょっと力んでるな」
私には全然わからなかった。
〇
女子百メートルの決勝は、午後一番のプログラムだった。
風が止まり、暑さのレベルが上がったような気がする。
アナウンスが入り、私たちがいるスタンド真横の通路からファイナリストたちがトラックに出てきた。
その中で一番小さい選手。私たちの方を振り返り、笑顔を見せて手を上げた。
そして、彼女は額を手で拭った。ここからでも汗が光っているのがわかる。
直射日光が、小さなアスリートの体をじりじりと焼く。
アナウンスで選手たちが紹介され、ナミは四番目に呼ばれた。つまり四コースだ。
彼女はピョンピョンと跳ねながら三百六十度回り、歓声に笑顔で応えている。
「目が笑っとらんなあ」
ツクルがカメラのファインダーから顔を上げ、つぶやいた。
「オン・ユア・マークス」
一瞬の静寂が訪れる。
「セット」
選手はクラウチングスタイルで完璧に静止する。
ダーーン!
フライングは無く、綺麗にスタートした。
そこからナミが抜け出す。
そう、これが小学校の時から見てきた彼女の走り。
手足の回転がハンパじゃない。
五十メートルのあたりから彼女の両隣りのランナーが追ってきた。並ばれそうになりながら終盤に差しかかる。
「ガンバレ―!」
「あと少し!」
観客席からは悲鳴のような声援が飛ぶ。私も叫んだ。
ナミは僅かな差で二人を振り切り、トップでゴールを駆け抜けた。
その瞬間、悲鳴が歓喜の声に変わった。
「やった! 全国だ」
私は手を叩き、嬉しさと興奮のあまり、隣りのツクルの腕もバンバン叩いた。
彼も手を叩いてはいるが、反応がいまいち薄い。
ナミはスピードを落としゆっくりと止まると、手をさっと上げて観客席の声援に応えたが、表情に笑みはない。
そして、電光掲示板を振り返った。
記録を見た彼女は、まずヒザを地面につき、そのあと両手をついてかくんと頭を下げた。
他のアスリートたちもみんな同じように『落胆』のポーズをとっている。
誰も勝者がいないような光景。
観客席ではざわめきが起こり、ため息が聞こえる。
「全国の参加標準記録を破れなかった……地区予選では余裕で上回っていたのに」
そう言うとツクルはカメラを置いて、フィールドに降りた。『ビブス』を着ているからだろうか、誰にも咎められなかった。
私は彼のカメラを持って、観客席の一番前まで移動して成り行きを見守る。
バスタオルで体を覆い、ナミがトラックから降りてきた。
目の前にツクルがいることに気づき、呆然と立ち止まった。
「ごめん!」
「なんで謝る?」
二人の会話がなんとか聞こえる。
「だって、ツクルとククリが無理するなって言ってくれたのに、頑張りすぎちゃった」
「オーバートレーニングか?」
彼のその言葉を聞いた途端、ナミの顔がぐちゃぐちゃに歪んだ。
それを人に見られないようにするためか、ツクルの胸に頭をぶつける。
「……ごめん」
「なんもだ」
「ごめん……ゴメン、ゴメンゴメン」
あとは泣き声に変わってしまった。
必死にバスケと陸上の練習を続けてきた彼女の姿が思い出される。
だから二人を見ているのが辛かった。
ツクルはナミの頭をぎゅっと抱き、その手を離した。
係員から客席に戻るようにと声がかかったからだ。
ナミは他の選手たちに混じってトラックを後にした。
〇
陸上の全道大会がきっかけとなって、結果的にナミとツクルの絆は強まったが、私はこんな結果を予想していなかった。
それに、結局のところ私はツクルを花咲の競技場に誘っただけだ。
そして、この結果。
素直に喜べない。
気がついたら、私は一人ぼっちになっていた。
いや、もちろんそれは覚悟していたけど。
ナミの自嘲に乗って、彼女のことを負けヒロだってからかった。でも結局、私が負けヒロになったんだ。しかも当て馬。
いざそうなってみると、胸のあたりがスース―して寒い……真夏なのに。
こんなにも心細いものなのか。
旭川のヒーロー、スタルヒンの名がついた野球場や体育館にテニスコートなど、様々なスポーツ施設が集まっている。
今日はココの陸上競技場で、『全道中体連陸上競技大会』が行われる。全道からトップアスリートが集まっていて、観客席も大勢の人で賑やかだ。
カシャッ カシャッ
観客席にいる私の隣りからデジタル一眼レフのシャッター音が聞こえた。
「ちょっとツクル、こんな所で写真なんか撮って大丈夫なの? 最近陸上競技の盗撮が騒がれてるみたいだけど」
「ああ、親父に頼んで撮影許可をとってある。許可証も持ってるし……ほら」
そう言って自分が着ているハデハデなベスト(ビブスというらしい)を親指でさし示した。
「……なんか職権乱用っぽい気もするけど」
「まあね。でも今日は、ナミの全国大会出場の決定的瞬間をこの手で捉えたいからね」
ツクルの家は『くましろ(神代)写真館』という、買物公園にある写真屋さんで、修学旅行など、私たちが通った小中学校の行事には彼のお父さんがカメラマンとして随行したりしている。その息子ということで小さい頃から一眼レフの手ほどきを受けてきたらしい。
七月末、吹奏楽部の合宿から帰った翌日。ナミが出場する百メートル走の予選と決勝が行われる。コンクール直前とは言え、さすがにこの日の練習は休みとなったため、ツクルと一緒にナミの応援に駆けつけた。去年の全道大会は室蘭で開催されたので応援には行けなかった。旭川の地区大会は去年も今年もいつの間にか終わってしまっていて、『幼馴染みのくせに冷たいんだから!』と優勝者のナミから二年で連続で愚痴られた。
合宿の帰りのバスの中で、一緒にナミの応援に行かないかとツクルを誘ってみた。『あの夜』があったばかりなので、なんとなく誘いづらかったけど、ナミとは当て馬の約束をしているのでやむを得ない。私はナミが優勝してツクルの胸に飛び込む映像をイメージした。
合宿中にあんなことがあったけど、ツクルはそれをおくびにも出さないで、ひたすら被写体(ナミ)を追いかけている。
午前、女子百メートルの予選。
フィールドには時計メーカーのロゴが入った電光掲示板が置かれていて、なんか本格的だ。
ナミは予選の三組目に出てきた。
私たちが大きく手を振って声をかけると、ピョンピョンと飛び跳ねながら、両手を上げて振り返してきた。前に『スタート直前は心臓バクバク』って言ってたけど、そんなことないんじゃないかな。
ユニフォームは上下とも赤のへそ出しタイプ。こうやって見ると、選手たちの中でも彼女はずいぶん小柄な方だ。
「オン・ユア・マークス」
そのかけ声でランナーはスターティングブロックについた。
「セット」
腰を上げる
ダーーン!
素早く反応した集団の中でも、ナミは一気に飛び出していった。小さい頃から彼女の持ち味はスタートダッシュだ。
「ナミ、ガンバ!」
観客席のあちこちから彼女を応援する声が聞こえる。顔ぶれを見ると、陸上部のメンバーに加え、バスケ部の仲間たちもいる。
ゴール直前までトップを独走していたナミだが、ゴール直前で隣りの大柄な選手に抜かれ、二着でゴールインした。
「予選通過、まあ順当なところだべ」
ツクルはカメラのファインダーから顔をあげ満足そうにつぶやいた。
「最後抜かれちゃったけど、ナミ、大丈夫かな?」
「ああ、最後は少し流して走ってた。まだ余裕があるってことだろう」
「へえ、そうなんだ」
〇
準決勝、ナミは最終組の四組目。
観客席からみんなが声援を送ると、予選のときと同じように両手を振って笑顔を見せた。
「オン・ユア・マークス」
スターティングブロックにつく。
「セット」
腰を上げる
ダーーン!
ダーーン!
ピストルが二度続いて鳴った。
フライングだ。
まさか……
フライングが宣告され、第一コースの子が顔を両手で覆い、うなだれてコースをはずれた。
観客席が静まりかえる。
選手たちは、それぞれに体を動かしながら、もう一度集中し直す。
仕切り直し。
「オン・ユア・マークス」
「セット」
ダーーン!
今度はみんな一斉に飛び出した……いや、ナミが少し遅れた。
「フライング、気になったのか?」
ツクルがつぶやく。
七十メートルあたりでナミは混戦状態の集団に追いつき、そのまま追い越してトップでゴールした。
歓声が上がる。
「やったねツクル! やっぱナミはすごい」
そう言ってツクルの横顔を見たが、彼の反応は違った。
「ここはムキになって追いかけるとこじゃないだろ、ちょっと力んでるな」
私には全然わからなかった。
〇
女子百メートルの決勝は、午後一番のプログラムだった。
風が止まり、暑さのレベルが上がったような気がする。
アナウンスが入り、私たちがいるスタンド真横の通路からファイナリストたちがトラックに出てきた。
その中で一番小さい選手。私たちの方を振り返り、笑顔を見せて手を上げた。
そして、彼女は額を手で拭った。ここからでも汗が光っているのがわかる。
直射日光が、小さなアスリートの体をじりじりと焼く。
アナウンスで選手たちが紹介され、ナミは四番目に呼ばれた。つまり四コースだ。
彼女はピョンピョンと跳ねながら三百六十度回り、歓声に笑顔で応えている。
「目が笑っとらんなあ」
ツクルがカメラのファインダーから顔を上げ、つぶやいた。
「オン・ユア・マークス」
一瞬の静寂が訪れる。
「セット」
選手はクラウチングスタイルで完璧に静止する。
ダーーン!
フライングは無く、綺麗にスタートした。
そこからナミが抜け出す。
そう、これが小学校の時から見てきた彼女の走り。
手足の回転がハンパじゃない。
五十メートルのあたりから彼女の両隣りのランナーが追ってきた。並ばれそうになりながら終盤に差しかかる。
「ガンバレ―!」
「あと少し!」
観客席からは悲鳴のような声援が飛ぶ。私も叫んだ。
ナミは僅かな差で二人を振り切り、トップでゴールを駆け抜けた。
その瞬間、悲鳴が歓喜の声に変わった。
「やった! 全国だ」
私は手を叩き、嬉しさと興奮のあまり、隣りのツクルの腕もバンバン叩いた。
彼も手を叩いてはいるが、反応がいまいち薄い。
ナミはスピードを落としゆっくりと止まると、手をさっと上げて観客席の声援に応えたが、表情に笑みはない。
そして、電光掲示板を振り返った。
記録を見た彼女は、まずヒザを地面につき、そのあと両手をついてかくんと頭を下げた。
他のアスリートたちもみんな同じように『落胆』のポーズをとっている。
誰も勝者がいないような光景。
観客席ではざわめきが起こり、ため息が聞こえる。
「全国の参加標準記録を破れなかった……地区予選では余裕で上回っていたのに」
そう言うとツクルはカメラを置いて、フィールドに降りた。『ビブス』を着ているからだろうか、誰にも咎められなかった。
私は彼のカメラを持って、観客席の一番前まで移動して成り行きを見守る。
バスタオルで体を覆い、ナミがトラックから降りてきた。
目の前にツクルがいることに気づき、呆然と立ち止まった。
「ごめん!」
「なんで謝る?」
二人の会話がなんとか聞こえる。
「だって、ツクルとククリが無理するなって言ってくれたのに、頑張りすぎちゃった」
「オーバートレーニングか?」
彼のその言葉を聞いた途端、ナミの顔がぐちゃぐちゃに歪んだ。
それを人に見られないようにするためか、ツクルの胸に頭をぶつける。
「……ごめん」
「なんもだ」
「ごめん……ゴメン、ゴメンゴメン」
あとは泣き声に変わってしまった。
必死にバスケと陸上の練習を続けてきた彼女の姿が思い出される。
だから二人を見ているのが辛かった。
ツクルはナミの頭をぎゅっと抱き、その手を離した。
係員から客席に戻るようにと声がかかったからだ。
ナミは他の選手たちに混じってトラックを後にした。
〇
陸上の全道大会がきっかけとなって、結果的にナミとツクルの絆は強まったが、私はこんな結果を予想していなかった。
それに、結局のところ私はツクルを花咲の競技場に誘っただけだ。
そして、この結果。
素直に喜べない。
気がついたら、私は一人ぼっちになっていた。
いや、もちろんそれは覚悟していたけど。
ナミの自嘲に乗って、彼女のことを負けヒロだってからかった。でも結局、私が負けヒロになったんだ。しかも当て馬。
いざそうなってみると、胸のあたりがスース―して寒い……真夏なのに。
こんなにも心細いものなのか。



