数日後、柊慈は東京の本社へ出張となった。
本社には同期が数名勤務している。
その一人、中村と仕事の後に飲みにいく約束をしていた。
飲みにというより情報交換の場の意味合いのほうが強いのだが。
仕事が終わり柊慈は中村と近くの居酒屋に入った。
「柊慈。おまえ、青森に転勤になりそうだぞ」
転勤の調整は本社が調整している。中村の職務上、それを知る得る立場だった。
「青森かー。遠いな」
柊慈が参ったなと言う顔で笑った。
「おまえ、結婚しないの?
青森なら彼女を一緒に連れて行った方がいいんじゃないの?」
「あ…。どうなんだろうな」
柊慈はなぜかその場を濁して終わらせるのだった。
早々と中村と居酒屋を出た柊慈。
転勤の話を聞いて、なぜかさゆりと話がしたくなった。
柊慈はさゆりに電話をかけた。
すると、さゆりではない違う女性が出た。
「あれ? これ、工藤さゆりさんの電話ですよね?」
柊慈が訊ねると、相手の女性が困ったような声で言った。
「さゆりの電話です。でも、ちょっと今、さゆりが出れなくて…」
「どうしてです?」
「酔っぱらってて」
「…今、どちらにいますか?」
それは麻布だった。
教えてもらった店に辿り着き、成瀬は戸惑いもせず入店した。
そして衝撃の映像。
酔っぱらったさゆりが知らない男性にしなだれていた。
デーブルには飲んだ酒と思われるグラスがたくさんあった。
「さゆりの彼氏さんですか?」
電話の相手と思われる女性が話かけてきた。
「あの…。さゆりに言わないでね。こういう姿を彼氏には見られたくないって言われていたんだけど、私、手に負えなくて…」
その女性も困っていたようだった。
「いつもこうなんですか?」
「…たまに、かな」
女性は誤魔化すように話す。
「男性に勘違いされるようなことも平気で?」
「…まぁ、酔っちゃうと…」
女性は話しにくそうに俯いてしまった。
話し終えた柊慈が厳しい表情でさゆりの腕を取った。
「さゆり、ちょっと来て」
「…っ、柊慈っ!」
突然現れた柊慈にさゆりの目が一気に開いた。
店先にでると柊慈はさゆりに振り返る。
「お酒をあんなに飲んだら指も浮腫んで、演奏に影響がでるんじゃないか?」
柊慈がそう窘めた。
「大丈夫よ。お酒くらいなら」
さゆりはあっけらかんと答えた。
「ピアニストは指が命なんだろう?」
柊慈の視線が痛くて、さゆりは顔をプイッと背けた。
「なんでこんなにお酒を飲むか柊慈は知っている?」
「わからない」
「私、淋しいのよ。柊慈から愛されている気がしないんだもの」
「だったら、さゆりは俺を愛しているのか?」
(愛している、とは何か違う気がする)
柊慈はそう感じていた。
「何言っているの。私、ダンスパーティーで柊慈を見た時から好きだったのよ。でも私たち、すれ違いばかり。もっと一緒にいたい」
「……」
さゆりは懇願するように言うが柊慈は無言だった。
「柊慈、結婚しよう?そうしたらいつも一緒に居られるでしょ?」
「…無理だろ…」
「大丈夫よ。結婚したらパパが品川にマンションを買ってくれるって」
急に現金になりだしたさゆりだった。
しかし、柊慈はそれがとても悲しかった。
「…それを俺が喜ぶと思っているの…?」
「なぜ?マンションを買ってもらえるのよ?」
(ああ、やはりく何かが違う)
柊慈は自分の気持ちを確かめることにした。
「さゆり。俺の転勤が決まりそうなんだ」
「どこに?」
「青森だ」
「えー。遠い。青森にはどれくらいいるの」
「2年」
(なあ、さゆり。一緒にくる覚悟はあるか)
柊慈はさゆりの反応をじっと待った。
さゆりは大きくため息をついて言った。
「そうか…私たち、遠距離恋愛になるんだね」
柊慈の目が驚きで開かれる。
「さゆりは俺と一緒になりたいんじゃないの?」
「だって、青森じゃピアノの先生も来れない」
「おれと一緒に居たんじゃないの?」
「居たいよ。でも遠すぎるよ」
さゆりは本当に俺と一緒に居たいのか?
俺は本当にさゆりのそばに居たいのか?
柊慈は驚くほど冷静で頭がクリアになっている。
そして、はっきりと答えがでた。
(それは、ないな)
ふふっと笑えて来た。
「さゆりは俺を愛してないよ」
「愛しているもん!ずっと柊慈を追いかけて、やっと手に入れたのよ!」
さゆりは口を突き出して怒る。
「それは愛じゃなくて、執着だよ」
「…何よそれ。私をバカにしている…」
「それに今、想像したんだ。さゆりがいる家に帰りたいかと」
「…」
さゆりが睨むように柊慈を見る。
「帰りたくないなって思ったよ」
柊慈がさっぱりとした顔でそういうものだから、さゆりは一瞬で顔を歪ませた。そして、手を振りあげ柊慈の顔を目がけて振り被った。
しかし、その腕を柊慈は素早く捉えた。
「手は大事にしてるんだろう?俺なんかたたいたら痛めるぞ」
「柊慈のバカっ!こっちから別れてやる。後悔しても知らないから!」
(たぶんしないだろうな)
「わかった。別れよう」
「最低男!」
さゆりは町中に聞こえる声量で柊慈に向かってそう叫んだ。
しかし柊慈にしてみたら、これくらいの罵声で本当の気持ちが見えたのなら安いものだった。
帰りの電車の中。
突然のさゆりとの別れだったが、柊慈の心は軽くなっていた。
恋とか愛とか、もうよくわからないな。
ただ、ほっと心休まる相手であればいい。
帰りたくなるような家で待ってくれる人なら。
(意外と贅沢な条件なのか)
駅に着くまで、柊慈はしばし心身を休ませるように目を瞑るのだった。
それからしばらくして、柊慈は夏帆の住む青森
へとやってくることになるのだった。

