初恋は、終電の先に

「山田先輩だ」


 スマホに指を滑らせてメッセージを開いた。


『お疲れ様。俺の方は気にしなくていいから、無理しないで』


 ヤバい、今日いちばん優しい言葉をかけてもらった。

 磯山先輩はお客様をなだめるので手いっぱいだし、私はお客様と自社のエンジニアの両方から詰められていて、誰も彼もがイライラしていた。

 そんな中で好きな人からの優しさが身に染みる。染みすぎて、目頭が熱い。


「……いやいや」


 めそめそしてないで、ちゃんと仕事しないと。


「ありがとうございます。えっと……ダメだ、思いつかない」


 頭が回らないから、お礼だけ送って、スマホの待ち受けを先輩の写真に設定した。

 頑張って終わらせよう。

***

 ところがどっこい、ちっとも終わらなかった。

 私はこの一週間、終電で帰ることすらできずにいた。

 毎晩毎晩、山田先輩が優しくニャインに返事をくれるから、どうにか人間の形を保っていられる。そうじゃなかったら、泣きながら逃げ出していた。焼き鳥屋とかに。

 そして磯山先輩に見つかって、連れ戻されるまでがセットだ。


 最後に先輩とデートしたのが九月末の猫カフェで、それからもうひと月近くが経っていた。

 土日は私が休めなかったり、先輩に短期出張が入ったりで、会えていない。

 やだやだ、先輩が足りなくてしぼみそう。


 あまりのしんどさに、金曜日の深夜、私は誰もいない薄暗い給湯室で先輩にメッセージを送った。 


「今日もまだ帰れなさそうなんですけど、今電話していいですか?」


 数秒で既読になって、そのさらに数秒後、スマホが鳴った。


『もしもし、秋谷?』

「せんぱい~……」

『泣くなって。大変なの?』

「大変です~……」


 スマホの向こうから、苦笑する声が聞こえた。


『今、なにしてんの?』

「給湯室で先輩に泣きついてるところです」

『そっか。こっちはさっき帰ってきて、シャワー浴びたとこ』

「は? 写真送ってください」

『やだよ。秋谷疲れておかしくなってるだろ。……そりゃそうか』


 勢いあまってバカなお願いをしたら、普通に流された。疲れていなくたって、先輩の風呂上がりの写真はほしいに決まってるでしょうが。

 そう力説したかったけど、セクハラに当たると気づいて我慢した。


『まだ大変そう?』

「はい……明日も出社です。えっと、来週中に片がつくといいな……みたいな」

『そっか。俺、なんにもできなくて』

「そんなことないですよ!」

『声がでかい』

「そんなこと! ないですよ!!」

『二回言わなくていいから』


 先輩は相変わらず呆れたような声で言う。きっと困ったように眉を下げつつも、口の端を上げているんだろう。ああ、直接見せてほしい。


 ふと、コツコツと壁を叩く音がした。

 顔を上げると、磯山先輩が給湯室に顔をのぞかせていて、唇に人差し指を当てていた。

 あ、はい、すみません。うるさいですね。

 気まずい顔で頷くと、磯山先輩は苦笑して戻っていった。


「先輩。先輩が毎晩優しい言葉をかけてくださるから、私、毎日生きていられるんです。本当なんです。ありがとうございます」

『……うん。秋谷の支えになれているなら、嬉しい』

「なってます。十年前からずっと、山田先輩は私の支えになってくれてます。今のトラブルが落ち着いたら、またごはんに行きましょう。結局、サンマだって食べてないんですから」

『そうだった。必ず行こう』


 寂しかったけど、後ろ髪が引かれて仕方なかったけど、それでもなんとかお礼と挨拶だけして電話を切った。