初恋は、終電の先に

「秋谷」

「はい?」

「おいで」

「ひえ」


 なんですか、その甘ったるい声……!

 先輩は猫に向けていたのとは違う、絡めとるような視線を私に向けた。口の端は上がってるのに、なぜかあまり笑っているようには見えない。

 そして手を持ち上げて私の頭に伸ばし、触れる直前で止めた。


「嫌だったら、そう言って」


 なんていうか、何かを堪えているような、息を押し殺したみたいな声だった。

 ちょっと怖いくらいで、心臓が爆発しそうな音を立てているけど、それでも私はあなたを拒否したくない。


「い、嫌じゃないです……」


 そう答えると、一瞬だけ表情が険しくなって、でもすぐに優しく微笑んだ。

 手が頭に乗って、髪を梳くように丁寧に撫でられる。

 時折耳に指が当たって、それだけで全身が甘くしびれるような衝撃が広がった。


「秋谷、なんて顔してるのさ」

「わ、私、どんな顔してますか?」

「どんなって」


 先輩は言い淀み、困ったように私を見つめた。

 互いに吐く息が重くて熱くて、混ざったらどろりと粘りつきそうな気がする。


「んーごめん、うまく言えないな……ていうか、言いたくない」


 そう言って、先輩は私から手を離した。


「……でも、そうだな。わがままだけど、その顔は俺以外の前でしてほしくない、かな」

「えー?」


 なんだったんだ。

 先輩の手を見る。

 何度か触れたことはあるし、抱き寄せられたこともあるのに、なぜか何かがいつもと違った。

 なんだろうなあ。


 私が考え込んでいるうちに、先輩は苦笑しながら私に預けていた紙コップを受け取り、またドリンクバーでコーヒーを入れてきた。


「うーん、この世に猫よりかわいい生き物なんて、そうそういないと思ってきたけど、そうでもなかった」

「そう、なんですか?」

 まだぼんやりしていた私には、うまく返事ができなかった。

***

 しばらく猫カフェで先輩の写真を撮ってから、お昼を食べに行くことにした。

 近くのちょっといいハンバーガー屋で、先輩が大きな口を開けて食べているのを眺めていた。

 写真を撮っていたら、先輩が呆れた顔を私に向けた。


「秋谷は自分のを食べろって」

「先輩が食べてるのを見るのが好きなんですよ」

「俺もそうなんだけど」


 そう言って、山田先輩は私の前に置かれたハンバーガーの包み紙を剥いて、差し出した。


「一緒に食べよう」

「……はい」


 観念してハンバーガーにかぶりついたら、カシャッとシャッター音が聞こえた。


「先輩?」

「ポテトも食べて」

「もー」


 さっきまでしてたことをやり返されていて、全然反論できないし、先輩がやたらと嬉しそうだから不満も言いづらかった。


「そういえば、花沢さんと磯山さんって付き合い始めた?」


 先輩はスマホを置いて紙コップを手に取った。


「まだじゃないですか? でも磯山先輩の機嫌がいいので助かります。……花沢さんとのデートのために、私の仕事を増やされてる気はしますけど」

「マジか。俺の方は逆に機嫌よくバリバリ仕事してくれてるから助かってるよ」


 そう言って、山田先輩は紙コップの中身を一気にあおった。


「ま、あの人たちのことはどうでもいいんだ。秋谷、この後用事ある?」

「いえ、空いてます」

「じゃあ映画行かない? 一緒に観たいのがあるんだ」

「はい!」


 残りを食べて、立ち上がった。

 山田先輩が私を猫より同僚より優先してくれるのが、たまらなく嬉しかった。