初恋は、終電の先に

 ある金曜日、山田先輩からいつもより早く仕事が終わったと連絡があった。

 私も適当に仕事を切り上げて、駅で先輩と待ち合わせた。


「案件に人を追加してもらえたんだよ」


 駅で合流した先輩が、少し肩の力が抜けた顔で嬉しそうに言った。


「よかったですねえ」

「ほんとだよ。これでしばらく落ち着く……かもしれない……」


 先輩は遠くを見るような目で、少し苦笑いを浮かべて言った。

 駅のホームは、がやがやとした帰宅中の社会人で混雑している。やってきた電車も、ゴールデンウイークほどではないとはいえそれなりに混んでいた。


「秋谷、こっち」

「はあい、わわ」


 先輩の後について乗り込むと後から一気に押し込まれた。

 ドアとドアの間あたりで、掴まる場所がない。


「俺に掴まってていいよ」

「……では、失礼します」


 先輩のシャツに掴まらせてもらうと、ふわりと洗剤の匂いがした。先輩に見つからないように深呼吸しようとしたら、途端に電車が動き出して、近くに立っていた女性がバランスを崩して私にぶつかった。

 よろけて先輩の胸にぶつかってしまう。


「あ、山田くん、ごめんなさい、大丈夫?」

「花沢さん。……俺は平気だけど」

「おつかれ。同じ電車なんだ、気づかなかった」


 その女性は可愛い声で先輩に話しかけていた。

 いや、私に謝れって言いたいけど、先輩の前でそういうことを言うのも大人げないし、先輩が私を支えるためか、ぐっと抱き寄せてくれていて、私は先輩の腕と胸に埋もれたままで声を上げづらい。


 ……まあ、いいか。

 そのまま便乗して、シャツを掴んでいた手を離し、先輩の背中に伸ばした。


「あ、ごめん秋谷。苦しくなかった?」


 先輩はそう言いつつ、抱き寄せる腕を解く気配はないままだ。


「一生このままで大丈夫です」

「プロポーズかよ。じゃあぶつかったりよろけたりしないように、そこにいて」

「えへ」


 先輩が甘ったるい声で言うから、お言葉に甘えさせてもらった。


「山田くん、えっと、そちらは……?」


 ここぞとばかりに深呼吸していると、女性が困惑した声を、こちらに向けてきた。

 先輩は「んー」と、考え込むように唸った。


「なんだろうな。高校のときの後輩なんだけど……」

「そうなんだ。そうだよね、彼女って感じじゃないなって思ったんだ」


 お?

 喧嘩なら買うが?

 顔を上げようとしたら、先輩の手が私の頭を押さえた。なぜ。けっこう苦しいです先輩。

 先輩のシャツ、めっちゃいい匂いだし、しっとり汗ばんでて最高なんだけど、息が苦しいです……!


「ちょ、先輩、苦しいですって」


 顔を上げたけど、微妙に逆光で先輩の表情がよく見えない。


「ごめん、つい」

「なにがついなんですか、もー。ところで先輩、こちらの方は……」


 女性のほうに首を向けようとしたら、また先輩の手で遮られた。

 なんなんですかね。


「秋谷、たしか降りるのって次だろ?」

「え? えっと、そうです」

「じゃあ、花沢さん。また会社で。お疲れさまでした」

「う、うん。あ、山田くん。明日のランチ、よさそうなところ見つけたから楽しみにしててね」


 車内アナウンスと重なって、先輩がなんて答えたのか聞き取れなかった。


 ていうか、なんだあのわかりやすいマウント。

 電車が揺れて、駅に着いた。

 先輩の手が離れたから顔を上げると、不満そうにジトッと私を見ていた。


「先輩?」

「……なんでもない。行こうか」


 歩き出した先輩の背中を追って、改札へと向かった。

***