初恋は、終電の先に

 ゴールデンウイーク最終日だからか、本屋はとても混んでいた。

 参考書を選ぶ学生カップル、絵本を選ぶ親子、二冊の雑誌で迷うお姉さんたち。

 私はと言えば、山田先輩が資格試験用の参考書を探すというので、のんびり後をついて行っていた。

 背表紙を見ても私にはさっぱり分からないけど、先輩が真剣な顔で棚を見上げる横顔が最高だから、まったく問題ない。


「悪いね、付きあわせちゃって」

「いえ、あと三時間くらい大丈夫です」

「……なにが?」

「写真撮っていいですか?」


 そう聞くと、先輩はふっと息を吐いて笑った。


「聞いたらダメって言われるんだから、勝手に撮ればいいのに」

「えっ、いいんですか?」

「ダメだよ」


 先輩はしれっと言って、また視線を本棚に戻してしまった。

 結局いいのかダメなのか、わかんなかった……。


 少しして先輩が買う参考書を決めたというので、また店内をうろうろする。

 旅行のガイドブックの本棚で先輩が足を止めた。


「秋谷、旅行好き?」

「好きですよ。最近行けてませんけど、友達と年に一度は出かけてます。前回は金沢に行きました。美術館が良かったです」

「ふうん」


 山田先輩は頷いて金沢のガイドブックを手に取った。


「先輩は旅行します?」

「全然。忙しいし、機会もないし」

「……私が誘ったら、一緒に行ってくれます?」


 ついそう言うと、先輩はガイドブックをめくっていた手を止めて、私を見て何度か瞬きした。

 手元のガイドブックを本棚に戻して、眉間にしわを寄せる。


「悪い、言わせた」

「ふふ、いいじゃないですか。言わせてくださいよ」


 つい噴き出したら、先輩はますます眉間のしわを深くした。


「先輩とお出かけするの、今日で二回目ですけどすごく楽しいから、もっとたくさんご一緒したいです」

「……俺もだよ」


 そっぽを向いて、ささやくような声で先輩が言った。

 私は手を伸ばして金沢の隣に並ぶ富山のガイドブックを手に取った。


「私の”人生で一度は行きたい場所”ランキング第三位に黒部ダムが入ってるんですけど、先輩、行ったことありますか?」

「いや、ない。でもたしかに一度くらい見てみたいかも」


 先輩が私の手にあったガイドブックを、さっき選んだ参考書の上に重ねた。

 次の棚に移動しようと並んで踵を返した途端、どたどたと足音がして、後ろから思いっきり突き飛ばされた。


「ひゃわっ」

「秋谷!」


 先輩が焦った顔で手を伸ばして、抱きとめてくれた。

 ぶつかってきたおじさんが


「本屋はいちゃつく場所じゃねえぞ!」


 と怒鳴って走り去る。


「せ、せんぱい」

「ごめん、秋谷。気づくのが遅れて……怪我は?」


 先輩が眉を下げて、私を覗き込んだ。

 眼鏡の向こうの切れ長の瞳が細められていて、口はへの字で、肩が強く抱き寄せられていた。


「全然、大丈夫です……」

「そう? ったく、なんなんだよ……」


 先輩は顔をしかめて、おじさんが走り去った方を睨んだ。

 私はと言えば、ぽかんとしたまま先輩を見上げることしかできない。


「秋谷?」

「……先輩、かっこいいですねえ」

「は? 何言ってんだよ」


 先輩は眉を下げたまま笑って、肩を掴んでいた手を離した。

 そのまま床に散らばった参考書とガイドブックを拾う。拾った後も、なぜか山田先輩は立ち上がらなかった。


「先輩?」


 かがもうとしたら、先輩が低い声を出した。


「秋谷のサンダル、かわいいんだけどさ。でも、こういうの履いてるんなら教えて」

「え?」

「俺、こういうの気づいてあげられないからさ。ゆっくり歩いたり、よろけないように支えたりするの、教えてもらわないとできないんだ」


 低い声で言って、先輩がゆっくりと顔を上げた。

 眉が下がっていて、何かを堪えるように私を見つめていた。

 周りにはたくさん人がいるはずなのに、喧騒がやけに遠くに聞こえる。

 私は腰を落として先輩と視線を揃えた。


「ありがとうございます、先輩。じゃあ、転ばないように、一緒にゆっくり歩いてもらえますか?」

「……うん。ごめん、また言わせた」


 先輩は泣き出しそうに唇を噛んだ。

 私が体を起こすと、先輩も立ち上がった。


「先輩、駅地下のレストラン街に行きましょうよ」

「うん」

「富山のガイドブック、一緒に見たいです」

「秋谷」

「はい」

「俺、秋谷とだったらどこでもいいよ」


 弱々しい笑みを浮かべた先輩に、私はできるだけ明るく答えた。


「私も、山田先輩とならどこでもいいです」

***