初恋は、終電の先に

 その日の夜、山田先輩と待ち合わせてカフェバーに行った。

 日中はカフェだけど、夜は料理がしっかりしたバーになる。コーヒーやお茶もおいしいから、今日はたらふく食べに来た。

 まあ、食べているのは私だけなのだけれど。

 私は薄暗い店内の片隅で大盛りのトマトソーススパゲッティを食べながら、向かいの席で先輩が突っ伏して唸っているのを眺めていた。


「疲れた……ほんっとうに疲れた……」

「お疲れ様です。ビール飲みます?」

「いらない。今酔ったら、秋谷にぐだぐだに絡む」

「絡んでくれていいですけど」

「……かっこ悪いから、やめとく」


 それは残念だ。本当に残念だ。逆に、私が飲んでぐだぐだに甘えればいいのかな。

 でも、そんなにお酒に弱くないのはばれているからなあ。


「先輩」

「んー」

「お酒飲んでぐだぐだ甘えていいですか?」

「……俺がダメだからダメ」

「ふふ、何ですかそれ」


 突っ伏したままの山田先輩をほったらかして、カウンターへ向かった。フライドポテトとソーセージの盛り合わせ、それからサラダを注文して席に戻った。

 椅子に座ると、先輩が顔を上げた。メガネが少しずれていて、かわいい。


「スパゲッティ、少しもらっていい?」

「どうぞ。今ポテトとソーセージとサラダも頼んできました」

「秋谷、結構食うよな」

「疲れ果てた先輩をおかずに、飲み食いしているんですよ」

「言い方が最悪」


 先輩はしおしおの顔で、やっとちょっと笑ってくれた。

 スパゲッティを小皿に取り分け、山田先輩に差し出した。

 先輩は受け取りながら、にやりと笑った。


「食べさせてほしかったな」

「それは失礼しました」


 皿を引っ込め、フォークでくるっと巻いて、先輩に差し出した。

 山田先輩は、なぜかむすっとした顔で私を見る。


「……秋谷は俺をどうしたいのさ」


 深くため息をついて、先輩は手を伸ばした。私の手を掴み、そのままスパゲッティを食べた。

 先輩の手は大きくて、私の手はすっぽりと包まれていた。じわりと汗が滲み、フォークが滑り落ちそうになる。


「もうちょっと食べます?」

「食べるけど、自分で食べるよ」


 先輩は私の手を離し、ずれたままだったメガネを直した。

 唾を飲んで、フォークとスパゲッティを取り分けたお皿を先輩に渡した。

 山田先輩がいつもより雑に、がつがつと食べているのを見ながらコーヒーを飲む。


「先輩が食べてるところ、動画に撮っていいですか?」

「だめ」

「一人でごはんを食べるときに流したいんです」

「そういう時は呼んでくれ」


 先輩に取り分けたスパゲッティはあっという間になくなってしまった。お代わりを盛ろうとしたら、店員が料理をたくさん運んできて、テーブルがいっぱいになった。


「先輩、他に食べたいものがあれば注文してきますよ」

「コーヒーがないから、自分で頼んでくるよ。秋谷、コーヒーお代わりする?」

「お願いします」


 戻ってきた先輩はなぜかピザも持っていた。


「注文間違いでピザを余分に焼いちゃったらしくてさ、もらってきた」

「なんですか、それ」


 テーブルに置かれたピザが、ほかほかと白い湯気を立てていた。

 すごくいい匂いだ。すごくいい匂いだ。先輩が切り分けて、私の皿に取り分けてくれた。ちょっと歪んでいるのもかわいいから、スマホで写真を撮っておいた。


「わあ、いただきます」


 おいしい。チーズがぺろっと伸びて、ソースはあつあつで、濃厚なのに酸味でさっぱりしている。

 ぺろっと一切れ食べ終えると、先輩はもう一切れ、私の皿に乗せて微笑んだ。


「食べたからには俺の愚痴を聞いてもらうよ」


 危うくピザを吹き出しそうになった。


「いただかなくても聞きますよ」

「そう? じゃあ、遠慮なく」


 山田先輩は深くため息をついた。


「本当にさあ。前任者と方針が違うとか言われても知らねえから。前任者だって炎上で飛んじゃって連絡つかねえし」


 私は二切れ目のピザをまたぺろっと食べて、通りすがりの店員にレモンサワーを大ジョッキで頼んだ。本当はコークビアがよかったけど、なかったから仕方ない。あ、自分で割って作ればいいか。

 ソーセージをかじり、ポテトをつまみ、サラダを軽く混ぜて取り分けた。


「工数工数言うけど、人件費だっつうの。人間にかける金をケチるから炎上するんだろうがふざけんな。前回と同じでっつったって、確認なしにはできねえし、そもそも同じ機種は販売終わってるって俺が何回言ったと思ってんだよ!」


 店員からレモンサワーを受け取って、一気に半分流し込んだ。なぜか一緒にボロネーゼも運ばれてきて、空いた皿と交換してもらった。


「あ、それ、さっき俺が頼んだ。秋谷も半分食っていいよ」


 そう言いながら、なぜか先輩は私の写真を撮った。

 そのままスマホをポケットに戻し、ボロネーゼを取り分けた。


「なんで今、私の写真撮ったんですか?」

「食ってるところがかわいかったから。そんでさあ、こっちが説明しても、でもでもだってだって言いやがって。日本語が理解できるやつ出せよ」

「私も先輩の写真撮りたいです」

「今かっこ悪いからダメ。しかも今使ってるシステムの設計書出してもらったら、実機と設定が違うし! 追加で要求したら逆ギレされて意味わかんねえ」


 山田先輩はボロネーゼを流し込むように食べ、私が差し出したポテトをもちゃもちゃとかじった。

 それから三十分ほど愚痴を言い続けて、やっと先輩は私を見た。


「あ、もう終電間際じゃん。悪いな、愚痴に付き合わせちゃって。帰ろうか」

「だ、だいじょぶです。帰りましょう……」


 あまりに素早い切り替えで、振り落とされそうになった。

 この間ジェラート代を出してもらったから、ここは出そうとしたけど、値段が全然違うからと止められてしまった。

 並んで駅まで歩き、ホームで終電を待った。


「先輩、明日お出かけしませんか? お茶をおごりますから」

「明日は無理」


 ばっさり断られた。

 先輩は私を見てふふっと笑う。


「そんな落ち込むなって。最近忙しくて部屋の片付けができなかったから、衣替えがてら掃除したいんだよ」

「そうでしたか。じゃあ私も衣替えしようかな」


 五月のあたたかい風が、私のスカートと先輩の髪を同じように揺らした。

 その揺れをもう少し見ていたかったけど、電車が来てしまって、その時間は終わってしまった。

***