初恋は、終電の先に

 その後、先輩とは週に一、二回ごはんに行くようになった。

 お互い忙しいから、終電前に時間が合った日だけ、どちらかの会社か家の最寄り駅前で、カフェやごはんメインの居酒屋に入って、三十分くらいさっと食べる程度だけど。

 それでも、誰かと待ち合わせてごはんを食べるのは久しぶりで、相手が先輩なら、残業も頑張れちゃう。


 季節は春から初夏へゆっくり移っていて、先輩がスーツのジャケットを手に持っている日が増えてきた。


「先輩はスーツで出社なんですね」


 ある日、駅前の定食屋で納豆に生卵を混ぜながら聞くと、先輩は「んー」と少し困ったように声を漏らした。

 山田先輩はIT系のエンジニアだと聞いていたから、そういう会社は服装にうるさくなさそうっていう、ただの私の偏見なんだけど。

 私は客先に行くことも多くて、きれいめのオフィスカジュアルが中心だ。

 背が高くないから、ヒール高めのパンプスで背筋を伸ばして歩くのが好き。


「特に決まってないけど、俺、あんまりセンスなくてさ。だから無難な格好してるだけ。急にお客さんに呼ばれることもあるし」

「そうなんですね。私、スーツ好きですよ。かっこいいですし」

「そう? 堅苦しくない?」

「何言ってるんですか!」


 つい声を大きくしたら、先輩が噴き出した。


「ウケる」

「男の人がカチッとした格好をしてるの好きなんですよ。先輩、ネクタイして袖を肘下までまくってもらっていいですか?」

「今日はネクタイ持ってきてないよ」

「持ってきてください」

「なんだよ、その火力は……」


 先輩は呆れ顔で手元の鮭をほぐしている。湯気の立つ白いごはんの上に、ほぐした身をのせる手つきがやけに慣れている。焼き魚、好きなんだな……今度、魚がおいしい店を探しておこう。


「カチッとした格好で、袖まくってたり、ネクタイ緩めたり、そういうしぐさがいいんですよ。お手すきのときでいいので、お願いします」

「俺にはわかんないけど、覚えてたらね」

「じゃあ、先輩は『女の子のこういうしぐさが好き』っていうの、ないんですか?」

「そうだなあ」


 鮭の皮をごはんと一緒に食べてから、先輩は箸を止めて、私をじっと見た。


「あの、私からひねり出してもらわなくて大丈夫です」

「そういうんじゃないけど。秋谷は謙虚っていうか鈍いからなあ」


 なんかディスられた気がする。

 謙虚な女は、十年ぶりに会った先輩にネクタイを強要したりしないはずだ。

 鈍いかどうかなんて、自分じゃわかんない。


「例えばだけど、女の子が『こういうのが好きだから、やって』って言ってるのはかわいいよな。好意が駄々漏れになってるところとか」

「やけに具体的な例えですね?」


 なんだか身に覚えのある話だ。

 まあ、私は先輩への好意を隠したことなんてない。……明言できていないだけ。それが一番ダメなんだけど!


「俺なりにストレートにお伝えしたつもりなんだけども」

「もしかして、私にかわいいって言いました?」

「言いました」


 先輩はまっすぐに私を見ていた。いつもと変わらない柔らかな笑顔なのに、背中がムズムズする。

 いつの間にか山田先輩の皿は空で、白い皿の上には鮭の骨だけが残っていた。


「過剰供給なんでちょっと待ってもらっていいですか?」

「待つよ」


 にっこり微笑んで、先輩はお茶を飲んだ。

 私は急いで残りの納豆卵かけごはんを流し込んだ。今さらだけど、夜中に好きな人と食べるメニューじゃなかった。


「もうすぐ終電だし、出ようか」

「は、はい!」


 山田先輩の背中を追って店を出た。