初恋は、終電の先に

 金曜日は、そりゃもう必死で仕事を終わらせた。朝と昼はコンビニでささっと済ませて、夕方にはお手洗いに立ったついでにメイクもきちんと直した。

 山田先輩を待たせないように、昨日伝えた時間より三十分以上早く終わらせた。


「っし、終わった! お疲れ様です、お先失礼します!」

「おつかれー」


 磯山先輩は相変わらずひらひらと手を振ってくれるけど、忙しいのか顔はずっとパソコンに向いたままだ。こっちを見るときはだいたい私に仕事を振るときだから、そのままでいいです。

 カバンを持ってお手洗いに行って、メイクと髪を直していたら、営業事務の後輩の早川さんがやってきた。

 ギャル系だけどやたら器用な後輩で、自作らしいネイルアートが今日も指先で華やかに光っていた。あの長さでパソコンを打つの、邪魔じゃないのかなと思うけど、本人いわく慣れれば気にならないらしい。


「あれー、秋谷先輩デートですか?」

「なんで?」

「帰るだけなのに、秋谷先輩がメイク直しするわけないじゃないですか」

「失敬な……そのとおりだけどさ」


 よく見てる後輩だ。私の普段の化粧っ気がなさすぎるだけな気もするけど。


「じゃあ、このいい匂いのするヘアオイルつけてあげます」

「ちょっとでいいよ。ごはん行くから」

「あー、じゃあこっちかな。あんまりこってりしない方がいいっすね」


 早川さんが差し出してくれたオイルはさわやかでさっぱりした柑橘系の香りだ。
 これくらいならアリかな。


「へいお待ち。いかがですか?」

「よいです。ありがとう!」

「がんばってくださいねー。上手くいったらコイバナ聞かせてくださいよ」

「任せといて」


 お手洗いを出て、山田先輩に連絡した。小走りで駅に向かって、つやピカにしてもらった髪を指で整えながら先輩を待った。

 金曜日の夜で、駅前は仕事終わりの人たちでいっぱいだ。

 私と同じように待ち合わせしている人も多くて、相手が来ると、みんな一様にぱっと顔をほころばせてそっちに向かっていた。

 きっと、先輩が来たら私も同じように顔が緩む。

 二本目の電車で、山田先輩がやってきた。


「先輩!」


 改札から出てきた先輩に駆け寄ると、山田先輩は眼鏡の奥の切れ長の瞳をふっと細めた。


「お疲れ様、秋谷。こっち?」

「はい、こっちです。歩いて十分かからないと思います」


 先輩と並んで、駅前の通りから一本裏へ入った。

 ちょっと薄暗いけど、おいしい居酒屋や焼き鳥屋、バーが並ぶ通りだ。


「……秋谷、ここってよく通る?」


 山田先輩がきょろきょろと辺りを見回しながら言った。


「そんなには来ないですけど、部署の飲み会とか、終電を逃したときに少し食べて帰るくらいですね」

「秋谷」

「はい?」


 先輩が口をへの字にしてジロッと私を見た。

 なんでしょうか……なにか、怒っていらっしゃる?


「こんな薄暗い通りを、女の子一人で出歩くもんじゃないよ。しかも夜中に」

「す、すみません……」


 でも、女の子って年でもないんですけど。

 そう言い返せる雰囲気じゃなくて、黙って頷いておいた。


「今度から、終電逃したら連絡してくれ。迎えに行くから」

「えっでも、それはさすがに」


 申し訳ないです……そう言いかけたところで、先輩がむすっとしたまま続けた。


「彼氏がいるならそっちに任せるけど」

「いません!」

「じゃあ、俺に連絡してくれ」

「……わかりました」


 なんだか言わされた気がするけど、まあいいか。ていうか、先輩ってこんなに過保護だったっけ。高校の、それも委員会のときしかまともに話してなかったし、知らなかっただけかも。

 やがて、目的のお店に着いた。


「今更だけど、予約なしでいける?」

「昼のうちに予約しておきましたよ」

「さすが」

「先輩に褒めてもらいたくて」

「秋谷は偉いねえ、しっかりしてる」

「えへ」


 お店はこじんまりとした和風の内装で、落ち着いた静かな雰囲気だ。

 カウンターに通されて、とりあえずビールで乾杯した。


「秋谷がお酒飲んでるの、なんか感慨深いな。あの女の子がねえ」

「それは私もそうですよ。山田先輩がお酒飲んでる!って、ちょっとびっくりしてます」

「そんなに強くないんだけどね。あともう一杯くらい飲んだら、お茶にしようかな」

「あ、ここお茶も種類豊富なんですよ。ジャスミンティーとラベンダーティーがおすすめです」


 カウンターで先輩と並んで、のんびり注文用のタブレットを一緒に覗き込んだ。肩がちょっと触れて、顔も近くて、すごい勢いでお酒が回ってる。


「秋谷、顔赤いけど大丈夫?」

「だ、だいじょうぶです。えっと、緊張してて」

「そう? まあ明日は休みだし、多少飲み過ぎてもいいんだけどさ」

「あんまり甘やかさないでください。緊張のあまり、何をやらかすかわからないので」


 そう言うと、先輩はふふっと肩を揺らして笑った。

 やばいな。

 山田先輩がお酒に強くないのは本当らしい。色白の頬がほんのり赤く染まっていて、店の明かりを受けた瞳もわずかに潤んでいる。

 そんな顔で微笑まれたら、色気で国が傾いちゃう……!


「あ、先輩、お魚食べましょう。焼き魚とお刺身とどっちがいいですか?」

「んー、悩む。どっちも好きなんだよ」

「じゃあお刺身の盛り合わせと、季節の焼き魚を頼んでおきますね。あと焼き鳥とサラダも頼んでいいですか?」

「任せるよ。悪いね、なんか気をつかわせちゃって」

「や、そういうのじゃないので、気にしないでください」


 違うんです、本当は、先輩の色気に心臓が持たないから、気を紛らわせているだけなんです!

 とは言えないので、メニューをめくったり、お通しを食べたりしてごまかす。