次の日も小雨が降っていたので、見つからないようにサツマさんのカサを持ち出して学校へ登校した。
帰るころには雨もやんで、返しに行くにはちょうどよかった。
旦那さんがお仕事から帰ってこないうちに行った方がいいよね。
サツマさんみたいにやさしい人じゃないかもしれないから。
公園を通り抜けて、覚えた道を行く。
もうすっかり慣れた道だった。
友達のおうちで遊んだことのないわたしにとっては、それだけでもう楽しくなっていた。
交差点を曲がり、もうすぐそこがサツマさんのお宅だというところまでやってきた。
サツマさんちの前に自転車が停まっていた。
子供がいるにしても路上に停めておくことはないはずだ。
敷地内にいくらでも置いておける場所はある。
もう少し近づいてみれば、見たことのある自転車だった。
「これって……」
わたしが走り出したのと同時だった。門から飛び出してきた人がいて、自転車にぶつかり、派手にひっくり返った。
だけどすぐに立ち上がって自転車を起こす。
相当あわてたその人はお兄ちゃんだった。
「陽和……」
わたしに気づくとお兄ちゃんはうろたえたようにつぶやいた。
「お兄ちゃん……配達だったの?」
サツマさんがこういったデリバリーを取っているのは意外だった。
パイも焼くし、専業主婦だし、食卓には手料理が並ぶと思っていた。
「陽和こそなにしてるんだ」
「ええと……カサを借りて……」
手に持ってるし、正直に言うしかなかった。
うつむくと、ふとお兄ちゃんの足下にキラキラと光るカードが落ちていることに気づいた。
お菓子の家が描いてある。
ウエハースで出来た屋根に、マシュマロの壁、アメで出来た窓。ビスケットのドアが開け放たれて、女の子と少し背の高い男の子が手をつなぎ……逃げてる? そんなふうに見える絵だった。
やっぱりこれ、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』だ。
わたしはこれを以前に見たことがあった。
お兄ちゃんが布団で寝ているとき、お兄ちゃんのカバンからこのカードがあるのが見えて、触れてみたんだけど、お兄ちゃんが寝返りを打ったから、あわてて寝たふりをしてそのまま寝ちゃったんだよね。
拾ってあげようとして手を伸ばすとお兄ちゃんが怒鳴った。
「触るな!」
お兄ちゃんは素早く自分で拾ってポケットに入れた。
「いいから、早く後ろに乗れ」
「でも……カサを……」
「早くしろ!」
恐ろしい顔していうから、とてもじゃないがここに残るといえる空気にはなかった。
荷台にまたがるとお兄ちゃんは猛スピードでペダルをこいだ。
ずっと無言で必死に駆け抜け、公園を通り過ぎ、アパートまで帰ってくる。
お兄ちゃんは自宅の玄関前に自転車を停めてさっさと入っていった。バイトはもう終わりなのだろうか。
それよりカサはどうしよう。
とりあえず背中に隠してお兄ちゃんのあとをついていく。
ママがめずらしく「おかえり」と声をかけてきた。
お兄ちゃんに「どうだった?」とか話しかけているうちに、こっそりカサ立ての裏に隠す。
お兄ちゃんは背負っていた大きなリュックを下ろすとファスナーを開け、豪快にひっくり返した。雑すぎてびっくりする。
「ちょっと、慎重に扱ってよ」
ママがたしなめるが、ガチャガチャと派手な音をたてて、中身がなだれ落ちてきた。
あきらかに弁当とか食事のたぐいではない。
床の上にまき散らされたのは、指輪とか腕時計とかきらきらした宝飾品や、小振りのバッグやスカーフなど女性物の小物。
ママも似たような物を持っているが、ぜんぜん桁がちがうんだと思う。
いつもなら不機嫌になりそうなものだけど、ママはうっとりと宝飾品を両手ですくった。
こんな高そうな物を、いったいどこで……
お兄ちゃんがわたしたちの部屋へ戻っていくので、わたしもついていく。
そのとき、床の上にあるものが目に留まった。
シルバーリングにピンクの文字盤。この腕時計には見覚えがあった。
やっぱり……
あのとき、お兄ちゃんがあわててサツマさんちから飛び出してきた理由がわかった。
そうと認めたくはなかったけど、それしかない。
お兄ちゃんはサツマさんちから宝飾類を盗んできたのだ。
しかも、ママはそれを知っていて待ち構えていた。
こういうこと、以前からやってるのかな……手慣れている気がして怖くなる。
いっしょに暮らしているのに、お兄ちゃんのこと全部知ってるわけじゃないんだなって、さみしかったし、ママだって……ママだってなにをして収入を得ているのか、全然知らない。
お兄ちゃんは知らん顔でスマホをポチポチといじり、ママは品物を身につけたりしながら自分の物のように扱っている。わたしが見ていることもおかまいなしだ。
わたしが警察に行ったらどうなるんだろう……
ううん。ダメだよ。
言いつけるなんて絶対にできない。
そんなことするくらいなら、ママからこっそり奪って返しに行く。ママがどこかへ売りさばかないうちに……
もんもんとしていたら、ドンドンドンと玄関のドアをたたく音がした。
「陽和さん!」
外から自分を呼ぶ声がして驚く。
お兄ちゃんとママが同時にこちらを見る。
男の人の声だった。担任の先生でもないし、誰が呼んでいるのかまったく思い当たらない。
「誰なの」
いぶかしげにママが聞いてくるが、見当もつかずに頭を横に振るばかりだった。
するとドアが開く音がして、血相を変えたママが立ち上がった。
「ちょっと、勝手に入ってこないでよ」
部屋から玄関の方をのぞき見ると、警察官の格好をした男の人がふたり、玄関口に上がり込んでいた。
なんで警察の人がここに!
ママは突き飛ばして追い出そうとしているが、警察官はものともせず、なにかを確認するようにキョロキョロしている。
ひとりが玄関に置いてあるカサ立てを探ってサツマさんの黒いカサを取り出した。
「これは?」
「知らないわよ」
ママがぶっきらぼうに答える。
でも、警察官はわたしの方を見ていた。
「サツマさんのカサですよね?」
「でも、でも! それは貸してくれたんです!」
盗んだわけじゃないとわかってほしくて必死に訴えた。
それが通じたのか警察官はわかっているとばかりにうなずいた。
「それも聞きました。サツマさんはカサをよくなくすらしくて、これを……」
そういって、マカロンのチャームに触れた。
「GPSでどこにあるか追跡できるようになってるそうです。盗みに入った少年がカサを貸した女の子を後ろに乗せて自転車で逃走したと通報があったので、ここがわかりました」
ママが大きく息をのんでこちらを見ていた。
けど、すぐに舌打ちが聞こえてきそうなほど苦々しい顔してにらんできた。
後ずさったら、後ろに立っていたお兄ちゃんとぶつかった。
「オレです……」
お兄ちゃんが低い声でつぶやいた。
わたしのせいで言い逃れができない。お兄ちゃんを追い詰めてしまった。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
ママが急にハッとして、しゃべりだした。
「返しに行くよう説得していたところなんです。息子ですから、警察に突き出すことなんてできないこと、わかりますでしょ?」
「そういうことも、署でうかがいますから、ご一緒に」
「なんで私が?」
警察官にいわれ、ママは心底驚いたように声を上げた。
「保護者でしょ、着いてくるのが普通じゃありませんか」
「この子が勝手にやったことなのに、なんで私が巻き込まれるの」
ママがブツブツ文句を言ってるのを聞きながら、わたしはお兄ちゃんの腕にすがりついてた。
「お兄ちゃん……」
「心配するな。陽和は聞かれたことに正直に答えればいい」
「でも……」
知らず知らずのうちに涙があふれていた。
「必ず戻ってくる。心配するな」
涙で視界がにじみ、お兄ちゃんがどんな顔しているのかもわからない。
ただ、久々に、大きな手のひらで頭をなでてくれた。
帰るころには雨もやんで、返しに行くにはちょうどよかった。
旦那さんがお仕事から帰ってこないうちに行った方がいいよね。
サツマさんみたいにやさしい人じゃないかもしれないから。
公園を通り抜けて、覚えた道を行く。
もうすっかり慣れた道だった。
友達のおうちで遊んだことのないわたしにとっては、それだけでもう楽しくなっていた。
交差点を曲がり、もうすぐそこがサツマさんのお宅だというところまでやってきた。
サツマさんちの前に自転車が停まっていた。
子供がいるにしても路上に停めておくことはないはずだ。
敷地内にいくらでも置いておける場所はある。
もう少し近づいてみれば、見たことのある自転車だった。
「これって……」
わたしが走り出したのと同時だった。門から飛び出してきた人がいて、自転車にぶつかり、派手にひっくり返った。
だけどすぐに立ち上がって自転車を起こす。
相当あわてたその人はお兄ちゃんだった。
「陽和……」
わたしに気づくとお兄ちゃんはうろたえたようにつぶやいた。
「お兄ちゃん……配達だったの?」
サツマさんがこういったデリバリーを取っているのは意外だった。
パイも焼くし、専業主婦だし、食卓には手料理が並ぶと思っていた。
「陽和こそなにしてるんだ」
「ええと……カサを借りて……」
手に持ってるし、正直に言うしかなかった。
うつむくと、ふとお兄ちゃんの足下にキラキラと光るカードが落ちていることに気づいた。
お菓子の家が描いてある。
ウエハースで出来た屋根に、マシュマロの壁、アメで出来た窓。ビスケットのドアが開け放たれて、女の子と少し背の高い男の子が手をつなぎ……逃げてる? そんなふうに見える絵だった。
やっぱりこれ、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』だ。
わたしはこれを以前に見たことがあった。
お兄ちゃんが布団で寝ているとき、お兄ちゃんのカバンからこのカードがあるのが見えて、触れてみたんだけど、お兄ちゃんが寝返りを打ったから、あわてて寝たふりをしてそのまま寝ちゃったんだよね。
拾ってあげようとして手を伸ばすとお兄ちゃんが怒鳴った。
「触るな!」
お兄ちゃんは素早く自分で拾ってポケットに入れた。
「いいから、早く後ろに乗れ」
「でも……カサを……」
「早くしろ!」
恐ろしい顔していうから、とてもじゃないがここに残るといえる空気にはなかった。
荷台にまたがるとお兄ちゃんは猛スピードでペダルをこいだ。
ずっと無言で必死に駆け抜け、公園を通り過ぎ、アパートまで帰ってくる。
お兄ちゃんは自宅の玄関前に自転車を停めてさっさと入っていった。バイトはもう終わりなのだろうか。
それよりカサはどうしよう。
とりあえず背中に隠してお兄ちゃんのあとをついていく。
ママがめずらしく「おかえり」と声をかけてきた。
お兄ちゃんに「どうだった?」とか話しかけているうちに、こっそりカサ立ての裏に隠す。
お兄ちゃんは背負っていた大きなリュックを下ろすとファスナーを開け、豪快にひっくり返した。雑すぎてびっくりする。
「ちょっと、慎重に扱ってよ」
ママがたしなめるが、ガチャガチャと派手な音をたてて、中身がなだれ落ちてきた。
あきらかに弁当とか食事のたぐいではない。
床の上にまき散らされたのは、指輪とか腕時計とかきらきらした宝飾品や、小振りのバッグやスカーフなど女性物の小物。
ママも似たような物を持っているが、ぜんぜん桁がちがうんだと思う。
いつもなら不機嫌になりそうなものだけど、ママはうっとりと宝飾品を両手ですくった。
こんな高そうな物を、いったいどこで……
お兄ちゃんがわたしたちの部屋へ戻っていくので、わたしもついていく。
そのとき、床の上にあるものが目に留まった。
シルバーリングにピンクの文字盤。この腕時計には見覚えがあった。
やっぱり……
あのとき、お兄ちゃんがあわててサツマさんちから飛び出してきた理由がわかった。
そうと認めたくはなかったけど、それしかない。
お兄ちゃんはサツマさんちから宝飾類を盗んできたのだ。
しかも、ママはそれを知っていて待ち構えていた。
こういうこと、以前からやってるのかな……手慣れている気がして怖くなる。
いっしょに暮らしているのに、お兄ちゃんのこと全部知ってるわけじゃないんだなって、さみしかったし、ママだって……ママだってなにをして収入を得ているのか、全然知らない。
お兄ちゃんは知らん顔でスマホをポチポチといじり、ママは品物を身につけたりしながら自分の物のように扱っている。わたしが見ていることもおかまいなしだ。
わたしが警察に行ったらどうなるんだろう……
ううん。ダメだよ。
言いつけるなんて絶対にできない。
そんなことするくらいなら、ママからこっそり奪って返しに行く。ママがどこかへ売りさばかないうちに……
もんもんとしていたら、ドンドンドンと玄関のドアをたたく音がした。
「陽和さん!」
外から自分を呼ぶ声がして驚く。
お兄ちゃんとママが同時にこちらを見る。
男の人の声だった。担任の先生でもないし、誰が呼んでいるのかまったく思い当たらない。
「誰なの」
いぶかしげにママが聞いてくるが、見当もつかずに頭を横に振るばかりだった。
するとドアが開く音がして、血相を変えたママが立ち上がった。
「ちょっと、勝手に入ってこないでよ」
部屋から玄関の方をのぞき見ると、警察官の格好をした男の人がふたり、玄関口に上がり込んでいた。
なんで警察の人がここに!
ママは突き飛ばして追い出そうとしているが、警察官はものともせず、なにかを確認するようにキョロキョロしている。
ひとりが玄関に置いてあるカサ立てを探ってサツマさんの黒いカサを取り出した。
「これは?」
「知らないわよ」
ママがぶっきらぼうに答える。
でも、警察官はわたしの方を見ていた。
「サツマさんのカサですよね?」
「でも、でも! それは貸してくれたんです!」
盗んだわけじゃないとわかってほしくて必死に訴えた。
それが通じたのか警察官はわかっているとばかりにうなずいた。
「それも聞きました。サツマさんはカサをよくなくすらしくて、これを……」
そういって、マカロンのチャームに触れた。
「GPSでどこにあるか追跡できるようになってるそうです。盗みに入った少年がカサを貸した女の子を後ろに乗せて自転車で逃走したと通報があったので、ここがわかりました」
ママが大きく息をのんでこちらを見ていた。
けど、すぐに舌打ちが聞こえてきそうなほど苦々しい顔してにらんできた。
後ずさったら、後ろに立っていたお兄ちゃんとぶつかった。
「オレです……」
お兄ちゃんが低い声でつぶやいた。
わたしのせいで言い逃れができない。お兄ちゃんを追い詰めてしまった。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
ママが急にハッとして、しゃべりだした。
「返しに行くよう説得していたところなんです。息子ですから、警察に突き出すことなんてできないこと、わかりますでしょ?」
「そういうことも、署でうかがいますから、ご一緒に」
「なんで私が?」
警察官にいわれ、ママは心底驚いたように声を上げた。
「保護者でしょ、着いてくるのが普通じゃありませんか」
「この子が勝手にやったことなのに、なんで私が巻き込まれるの」
ママがブツブツ文句を言ってるのを聞きながら、わたしはお兄ちゃんの腕にすがりついてた。
「お兄ちゃん……」
「心配するな。陽和は聞かれたことに正直に答えればいい」
「でも……」
知らず知らずのうちに涙があふれていた。
「必ず戻ってくる。心配するな」
涙で視界がにじみ、お兄ちゃんがどんな顔しているのかもわからない。
ただ、久々に、大きな手のひらで頭をなでてくれた。



