あなたに悪魔のメルヘンカルタをお届けします~ヘンゼルとグレーテル編

 ファストフード店から5分くらい歩いたところにある公園で夜が来るのを待つ。
 水飲み場があってトイレもある。
 土管のような遊具の中では眠ることもできそうだけど、暗くて怖いからそれはまだやってみたことはない。

 もし、一晩そこで過ごしたら、ママは心配して探しに来てくれるかな。
 でも、それは別の意味で怖くて試せなかった。
 ママに捨てられるのはやっぱり怖い。

 ベンチに腰掛けて、ぼーっとハトをながめる。
 ああ、お腹すいた。
 わたしったら、いつもお腹がすいて。おかしいのかな。

 ポケットからポテトが入った袋を取り出した。
 中をのぞいたら、ふにゃふにゃになったポテトが底に押し込められていた。
 こんなにガッカリした気持ちになるならやめておけばよかった。

 袋を振りながら手のひらに出そうとしたら、あやまってポテトが地面にどさっと落ちてしまった。
 ええっ! ウソでしょ!
 あんまりのことに少しぼうぜんとしたが、ハッとして拾う。
 砂まみれで、はたいても食べられそうにない。
 でも、なんとかいけるかな……

「どうしたの」
 とつぜん声をかけられて、急にはずかしくなった。
 今わたし、口元に運ぼうとしていなかったよね?

 おそるおそる声がした方を見上げると、そこにいたのは見知らぬ女の人だった。
 ママよりもちょっと年上かな。
 だけどとても上品そうで、優しい眼差しをこちらに向けていた。

「本当はいけないんだけど、それはハトにあげちゃおうか」
 ないしょ話でもするようにいうと、持っていたエコバッグからポテトのスナック菓子を取り出した。
「これ、いっしょに食べない?」
 カップヌードルのような容器に入ったスナック菓子だった。
 コンビニで見かけたことがあるが、まだ食べたことはない。
 食べてみたい。でも……

「知らない人から物をもらったらいけないって……ママが……」
「そうだよね……」
 気を悪くしちゃったかな。わたしはあわててつけくわえた。
「でも、これはハトにあげる」
 落としたポテトを全部ハトの方へ放った。

 気づいたハトがむらがり、むさぼり食う。
 それさえもうらめしく思って、なんだか悲しくてベンチにへたり込んだ。
 女の人も「ちょっと休憩でもしようかな」なんてひとり言をいいながら、となりに腰掛けた。

「私の名前はさつまえり。この近くに住んでいて、スーパーで買い物をしてきた帰りなの。夫にないしょで食べるおやつを楽しみにしてる専業主婦なんだ」
 サツマさんは人なつこそうに笑い、お菓子の封を開けると一本取り出してかじった。
 カリって音がおいしそうに聞こえてきて、たまらない。

「お友達になれたらうれしいな」
 サツマさんはさりげなくお菓子の容器を差し出した。
 こんなにも気を遣われて、ことわることなんてできない。
 それよりも、食べたいってのが本音だけど……

「ありがとうございます」
 わたしは誘惑に負け、ひとつもらってかじった。
 スナック菓子の塩みってなんでこんなにもおいしいんだろう。
 わたしが知らないだけで、きっと塩味って100種類くらいあるんだよ。
 食感もなにもかもがおいしくて、永遠に食べていたかった。

 それからもわたしはサツマさんと交互で一本ずつもらって食べた。
 ママもこんなふうに半分こにして食べさせてくれたらいいのに。
 サツマさんは小気味よくお菓子をかじりながら広場を見ていた。

「今日は土曜日だから、人が多いね」
「そうですね……」
 公園だから親子連れも多い。
 そういえば、サツマさんもひとりだった。

「サツマさんの家族はどうしてるんですか」
「夫はテレビ見ながらゴロゴロしてるかな。ふたりきりだと気詰まりっていうか、なんもしない夫見てるとイライラしてたりね。そんなときはひとりで外へ出るのよ」

 そう言いつつ、サツマさんはちっとも不満そうじゃなく、ずっとほがらかだった。
 子供はいないのかな。
 でもこれって、子供が食べるお菓子じゃない? 大人の女性がないしょで食べるって高級なチョコレートとか洋菓子とか、そんなイメージだけど。

 まさか、子供を亡くしたとかじゃないよね。
 このお菓子、お供えするつもりで買ってきたとか……

 サツマさんはスッと容器を差し出した。
 ちょうど最後の一本はわたしだった。
 今さら持って帰ってとは言えない。遠慮なくもらってかじる。
 カリカリと深く味わったが、あっという間にのど元をすぎていった。

 サツマさんはそれを見計らったように、ちらりと手首を見た。
 シルバーのリングでブレスレットのように見えたけど、文字盤が薄いピンクの腕時計だった

「そろそろ帰ろうかな。あなたも早くおうちに戻った方がいいよ」
 うなずき返したけど、わたしはまだ家に帰れなかった。
 サツマさんは今日一番のほほえみをたたえ、エコバッグを重そうにさげて帰って行った。

 優しい人だったな……わたしのこと、あえてなにも聞かないでいてくれたんだな……

 サツマさんのことが気になって仕方なかった。
 どんなおうちに住んでいるんだろう。
 料理も上手そうだし、部屋も片付いていそう。
 だんなさんは働き者かな。ちゃんと稼いでくるからケンカはしないんだろうな。

 サツマさんは公園を出て行って、生け垣のすきまから右方向に歩いているのが見えた。
 今ならまだ追える。
 わたしはかけだしていた。
 たんなる興味だった。どうせヒマだし。
 見つかったら自分の家もこっちだといってごまかせばいい。

 公園の内側から生け垣に隠れて追ったが、サツマさんはそのうち公園を離れて角を曲がっていった。
 見失わないように木の間をかきわけて外に出る。
 歩いている人がほとんどいなくて、ヒヤヒヤしたけど、サツマさんは一度も振り返らなくてバレなかった。

 そうして一軒のお宅に入っていった。
 周辺のおうちと比べてもかなり大きい。
 ひょっとすると、うちのアパートよりも大きいかもしれない。
 どこまで続いているのかなって塀にそって歩いてみても、庭が広くて中の様子がよくわからない。

 どうやったらこんなおうちに住めるんだろうって、サツマさんの生活が想像できなかった。
 もしもサツマさんちの子供として生まれてきたらと考えるより、サツマさんの荷物持ちをしたらお小遣いがもらえたのかなって、そっちのほうがわたしにとってはリアルだった。

 今度公園で見かけたら、こっちから声をかけてみようかな。
 きびすを返し、公園に戻ろうとしたら、どっちへ向かえばいいのかわからなくなっていた。
 公園から5分くらいしか歩いてないのに……
 ずっとサツマさんしか見てなくて、どこを曲がってきたのか全然覚えていない。
 整然とした住宅街なのに、森の中に迷い込んでしまったようだった。

 とにかく帰らないと。
 記憶を頼りに歩き続けたら、見覚えのある場所に出てきた。
 しげしげと見ていたから覚えている。サツマさんちだ。戻ってきてしまったのだった。

 どうしよう。疲れたし、おなかすいたし、泣きそうになってきた。
 もう動きたくなくてうつむいたままでいると、「おい」って聞き覚えのある声がした。
 顔を上げたらすぐ隣でブレーキ音がして、自転車が止まった。

「お兄ちゃん!」
 大きなリュックを背負ったお兄ちゃんがいた。
 そういえばデリバリーのバイトをしてるっていってた。配達で偶然通りかかったのかも。
 それなら道もわかるはず。助かったって、胸をなで下ろしていたら……

「なにしてんの」
 お兄ちゃんは静かに怒りをにじませているようにみえた。
「ごめんなさい……道に迷っちゃって」

 ついクセであやまってしまう。
 ママにはもう効かないけど、お兄ちゃんには嫌われたくない。
 知らない人についていったなんて、勝手な行動を知られたらお兄ちゃんに愛想を尽かされる。
 しかも、おやつに釣られてやってきたんだよ、わたし……
 うまい理由も思いつかなくてもじもじしていたら、お兄ちゃんは自転車を降りてわたしの目をジッと見つめてきた。

「家出するつもりだったとかじゃないよな?」
「え――」
「あともう少しがんばろう……あと、もうちょっとな」

 なにをがんばるのかピンとこなかったけど、うなずいた。
 お兄ちゃんはわたしを後ろの荷台に乗せて公園まで送ってくれた。
 ――オレもどこか遠くへ行ってしまいたくなったこともあるんだよって、いいながら。

 いつものベンチに腰掛けて、ぼーっとする。
 お兄ちゃんの弱音ははじめて聞いた。
 あと少しっていってたな。
 お兄ちゃんが高校を卒業するまであと半年以上ある。
 その先がどうなるのかわからない。
 でも、お兄ちゃんはわたしのことも考えてくれているのかな。

 なにもすることもなく、暗くなるまで待って、慣れた道を帰っていった。