雨は止み、夜の街には濡れた アスファルト の匂いが残っていた。
車窓に流れる街灯が、滲む光の帯となって後方へ消えていく。
後部座席に身を預けながら、蓮は静かに目を閉じた。
さきほど、公園の前で見た光景が脳裏に焼きついて離れない。
——同じ傘の下で、並んで歩く二人の背中。
肩が触れるほど近くはない。
それでも、そこには自分の入り込めない温度があった。
(選んだのは、俺だ)
胸の奥で硬く噛みしめる。
守るために沈黙を選び、
その代償として、彼女の隣の“空席”を手放した。
それは正しかった。
——正しいはずだった。
運転席の男が、ミラー越しに小さく口を開く。
「専務……お戻りになりますか」
「ああ。——本社へ」
短く告げると、車は静かに方向を変えた。
雨上がりの夜風が、どこか遠くから吹き抜けていく。
ビルの屋上フロア。
外気にさらされた空間に、夜景と風の音だけが広がっていた。
蓮は柵に手を添え、街を見下ろす。
いくつもの灯りがまたたき、無数の人生がその下で動き続けている。
そこに、彼女の歩む明日も含まれている。
「……九条さん」
背後から声がした。
振り返ると、黒瀬が静かな表情で立っていた。
彼は躊躇なく本題へ入る。
「城崎悠斗——人物調査の報告です。
誠実で、仕事に対し一貫した責任感を持つ男。
……そして、人に寄り添う力がある」
わずかに言葉を切り、黒瀬は続けた。
「篠宮本部長にとって、安全な存在です」
その言葉は、胸の奥で鈍く響いた。
「……そうか」
それだけを返す。
黒瀬は一歩踏み出し、静かに問う。
「——それでも、見守り続けるおつもりですか」
夜風が二人の間を通り抜ける。
「あなたは、沈黙のまま彼女を守ろうとしている。
しかし結果として、“傷つけたまま放している”ことにもなります」
蓮の指先が、柵を強く握りしめた。
「分かっている。
だが……俺は、彼女の前に立つ資格を失った」
「資格は、選ぶものです。
——諦める理由に使うものではない」
黒瀬の声は静かだが、わずかな熱を帯びていた。
沈黙。
夜景の奥で、どこかのビルの灯りがひとつ消えた。
(俺が黙っている限り、
彼女は“何も知らないまま”前へ進ぐしかない)
それは守ることではない。
——逃げているだけだ。
(もし、このまま彼女が誰かの隣に立つとしても……)
胸の奥を鋭い痛みが走る。
(少なくとも、その前に“真実”だけは——)
選ぶのは彼女だ。
しかし、真実を奪ったまま背を向けることだけは許されない。
蓮は柵から手を離し、深く息を吸った。
「黒瀬。
……準備を進める」
「承知しました。どの段階まで、開示を?」
「すべてだ」
迷いは、もはやなかった。
「俺が沈黙で傷つけたものは、
俺の言葉でしか取り戻せない」
黒瀬は静かに頷く。
「では、篠宮本部長へお伝えしますか」
「いい。
——会いに行く」
それは再会の約束ではない。
贖罪でも、未練でもない。
(彼女が前を向けるようにするのは、
“俺の想い”ではなく、“真実”だ)
夜空を仰ぐ。
遠く、薄い雲の切れ間から星がひとつだけ瞬いた。
「莉子」
名を呼ぶ声は、もう空へ逃げなかった。
(もう一度、向き合う——
たとえ、その先で“終わり”を突きつけられても)
――それでも、彼は歩き出す覚悟を選んだ。
車窓に流れる街灯が、滲む光の帯となって後方へ消えていく。
後部座席に身を預けながら、蓮は静かに目を閉じた。
さきほど、公園の前で見た光景が脳裏に焼きついて離れない。
——同じ傘の下で、並んで歩く二人の背中。
肩が触れるほど近くはない。
それでも、そこには自分の入り込めない温度があった。
(選んだのは、俺だ)
胸の奥で硬く噛みしめる。
守るために沈黙を選び、
その代償として、彼女の隣の“空席”を手放した。
それは正しかった。
——正しいはずだった。
運転席の男が、ミラー越しに小さく口を開く。
「専務……お戻りになりますか」
「ああ。——本社へ」
短く告げると、車は静かに方向を変えた。
雨上がりの夜風が、どこか遠くから吹き抜けていく。
ビルの屋上フロア。
外気にさらされた空間に、夜景と風の音だけが広がっていた。
蓮は柵に手を添え、街を見下ろす。
いくつもの灯りがまたたき、無数の人生がその下で動き続けている。
そこに、彼女の歩む明日も含まれている。
「……九条さん」
背後から声がした。
振り返ると、黒瀬が静かな表情で立っていた。
彼は躊躇なく本題へ入る。
「城崎悠斗——人物調査の報告です。
誠実で、仕事に対し一貫した責任感を持つ男。
……そして、人に寄り添う力がある」
わずかに言葉を切り、黒瀬は続けた。
「篠宮本部長にとって、安全な存在です」
その言葉は、胸の奥で鈍く響いた。
「……そうか」
それだけを返す。
黒瀬は一歩踏み出し、静かに問う。
「——それでも、見守り続けるおつもりですか」
夜風が二人の間を通り抜ける。
「あなたは、沈黙のまま彼女を守ろうとしている。
しかし結果として、“傷つけたまま放している”ことにもなります」
蓮の指先が、柵を強く握りしめた。
「分かっている。
だが……俺は、彼女の前に立つ資格を失った」
「資格は、選ぶものです。
——諦める理由に使うものではない」
黒瀬の声は静かだが、わずかな熱を帯びていた。
沈黙。
夜景の奥で、どこかのビルの灯りがひとつ消えた。
(俺が黙っている限り、
彼女は“何も知らないまま”前へ進ぐしかない)
それは守ることではない。
——逃げているだけだ。
(もし、このまま彼女が誰かの隣に立つとしても……)
胸の奥を鋭い痛みが走る。
(少なくとも、その前に“真実”だけは——)
選ぶのは彼女だ。
しかし、真実を奪ったまま背を向けることだけは許されない。
蓮は柵から手を離し、深く息を吸った。
「黒瀬。
……準備を進める」
「承知しました。どの段階まで、開示を?」
「すべてだ」
迷いは、もはやなかった。
「俺が沈黙で傷つけたものは、
俺の言葉でしか取り戻せない」
黒瀬は静かに頷く。
「では、篠宮本部長へお伝えしますか」
「いい。
——会いに行く」
それは再会の約束ではない。
贖罪でも、未練でもない。
(彼女が前を向けるようにするのは、
“俺の想い”ではなく、“真実”だ)
夜空を仰ぐ。
遠く、薄い雲の切れ間から星がひとつだけ瞬いた。
「莉子」
名を呼ぶ声は、もう空へ逃げなかった。
(もう一度、向き合う——
たとえ、その先で“終わり”を突きつけられても)
――それでも、彼は歩き出す覚悟を選んだ。

