泣けない私と、笑顔をくれる年下彼氏の溺愛処方箋(レシピ) ~体が若返っても、愛してくれますか?~



 僕は今、スミレの家の洗面所の化粧台を借りてメイクをしている。あ、別にそういう趣味があるとかじゃなくて、エミに頼まれたのだ。彼女は明日、この家を出て家族の元に帰る。今夜は最後の夜だ。スミレと一緒に、ささやかながらエミの送別会兼、中学入学祝いをすることになった。それで主賓のエミからリクエストがいくつかあったのだ。
 ケーキはもちろん、またケンタッキーフライドチキンを食べたい。どうやらこの間、僕がお土産に買って帰ったのが『初ケンタ』だったようで、随分とお気に召したらしい。
「あとね、ヨウのピエロの真似、もう一度見たいな……あれ、結構ウケた」
 ピエロの真似とは……クラウンと呼びなさいと言いたいところだが、まあ許してやろう

 四月二日の夕方。
 こうして僕は、ワガママなお姫様のために、アパートの部屋にあったクラウンの衣装と小道具をバッグに詰め込み、ケンタッキーに寄り、町田で評判のケーキ屋さんで可愛いケーキを三つ買い、ブーケを忘れていたので慌てて駅前のフラワーショップに戻った後、スミレの家のドアチャイムを鳴らした。
「ようこそ!」
 ドアを開けてくれたのは、エミだ。もともとショートヘアだったが、シャギーカット気味にさらに短くなっている。赤毛によく似合っている。
「またスミレにカットしてもらったの?」
「会って早々、女の子の髪型の変化にコメントするなんて、あんたなかなかデキるわね……でも違うよ」
「そうなのよ。せっかく小学校の卒業式の時、カットしてあげたのに。ちょっとムカつくわ」
 遅れて玄関先まで来たスミレが僕の荷物を受け取りつつ、少し頬を膨らませている。
 今日の午前中、エミはヘアサロン・アルレッキーノに予約して行ってきたとのこと。担当は大野店長。多分、随分とお世話になった大野さんに、彼女なりの恩返しのつもりだったのではないだろうか。
 着替えとメイクを終えてリビングに戻ると、ローテーブルの上には、ご馳走や飲み物がずらりと並んでいた。二人の女の子はソファに座ってニコニコしながら何かが始まるのを待っていたので、まだ心の準備が出来ていないが、パフォーマンスを始めるしかなかった。

「お集まりのみなさん。今夜は、この春『奇跡的に』小学校を卒業し『奇跡的に』中学に入学することになった、桑子笑美さんの前途を祝しまして、ささやかながら宴とパフォーマンスをプレゼントいたします。どうぞごゆっくりとお楽しみください!」
 パチパチと小さな拍手とともに、小学校も中学校も義務教育なんだから当たり前じゃん、と怒りのヤジも飛んできたが、無視してパフォーマンスを始める。広いリビングとはいえ、クラブ(こん棒)を振り回したらミスって器物を損壊してしまう危険もあるので、まずはテーブルマジックから始める。
 エミにトランプの束から好きなカードを選ばせ、何のカードか確認してもらって、束に戻す。一枚一枚めくり、選んだカードを僕が言い当てる。しかし僕ははずしてしまった。悔しがって、そのカードを裏返してエミの手の上に載せ、指を鳴らし、ひっくり返すとハートのクィーンに変わっている。それは、エミが選んだカードだ。今度はエミが悔しがり、驚く。スミレはエミの表情を見て微笑む。
 次いではバルーンアートだ。これは最近ショッピングモールなんかでもよく子供達に披露しながら作ったものを配っているのでそんなに驚きはない。僕は赤い風船で子犬を作るとエミにプレゼントした。やはり反応が薄い。そこでバルーンを返してもらい、大きなハンカチで隠す。間をおいてハンカチをめくると、子犬は赤と白のツートンからに変身。
「あんた、やるわね」とワガママお姫様からお褒めの言葉をいただいた。
 パントマイムに移る。チャップリンの映画の名シーンをアレンジした。彼へのオマージュであって、決してパクリではない、と思いたい。
 黄金郷時代の『パンのダンス』。
 コッペパンをフォークに刺しダンスを披露したら、『これ、映画で見たヤツだ』とエミは反応してくれた。コッペパンに代えて、プチトマトやウィンナでもやってみたが、『ちょっとしつこい』と言われた。
 パントマイムの定番ネタのアレンジを二つ。
 『壁』。
 トイレに行きたそうな仕草をする。慌ててトイレの方に走ろうとすると、見えない壁にぶつかる。なんとか壁と突破しようとするが、ぶつかり跳ね返される。諦めた僕は、テーブルのコップを持って反対側に走り去る。ちょっと下品だが、エミには大受けだ。こういうのが好きらしい。
 ラストは、『動かないカバン』。
 床に置いてあるトランクを持ち上げようとしても、びくともしない。全身の力を込めて持ち上げると、今度は空中に浮いたまま、何かで固定されたように動かない。押しても引っ張ってもだめ。困って片手をアゴにあてて考えていたら、ストンと落下して、僕の足に直撃。大げさに痛がったら、エミはケラケラ笑っている。本当に痛かった……
 何とかカバンを横に寝かせ、開けてみると、小さな花束が入っていた
 それをソファ席のエミにプレゼントする。手渡す寸前に、ブーケはまたもや空中に固定されてしまう、というオチも入れた。
「あー面白かった!」
 花束を受け取ると、エミはそう言ってハイタッチしてくれた。
「お疲れ様」
 スミレにも楽しんでもらえたたようだ。僕は安心して洗面所に向かう。
「ちょっと! どこ行くのよ。 トイレ?」
 エミが引き止める。
「いや、アレは演出上のネタで、メイクを落とそうと」
「ダメ。あんたその顔の方が面白いから、そのままでいなさい」
「え!」
「どうせ誰もいないんだから、いいじゃない」
 い、いや、エミはともかく、スミレがいるんですけど。僕は今日の主役の命令で、クラウンの姿のまま送別会兼入学祝いに継続参加することになってしまった。
 ホラー映画(僕は苦手だ)を観ながら、スミレが作ってくれたサラダや前菜を食べ、さらにケンタのチキンを食べてお腹がいっぱいになったが、女の子達は、『ケーキは別腹』と言って、僕が買ってきたケーキから好きな物を選び、残りの一つを小皿に載せて僕に渡した。
 この二人は顔つきも髪の色も全然違うが、こういうやりとりを見ていると、実の姉妹なのではないかとも思ってしまう。渋谷でエミを拾ってきたのは、ほんの最近のこと。短時間でよくもこんな関係になれるものだ。
 もう夜の九時を回った。子供はそろそろお風呂に入って寝る時間だろう。いい加減メイクを落として、後片づけして帰ろうと思った矢先。
「さて、と」
 エミは立ち上がり、フレームに納められた多数のクラゲの写真が架かっている壁に近づく。スミレは食器を片づけ始めた。
「あのさ、ヨウ。手伝ってくれる?」
「何だい?」
「大野店長がね、クラゲの写真、持って帰っていいって。だからね。全部壁から外して、スミレの家族の写真を壁にかけ直すの」
 スミレが心配そうな顔をして、キッチンから戻ってくる。
「エミ、それは後で私がやるからいいっていったでしょ」
 エミがスミレの両親の写真を見るのは、かなり辛いだろう。スミレはそれを気遣っているのだ。
「いいの。これは、アタシがやらなくちゃいけないとこだから。さあ、ヨウ、手伝ってくれる?」
 僕は頷き、クラゲの写真入りのフレームを外し始める。彼女なりのけじめであり、覚悟だ。
 エミは廊下に面した納戸から大きいトートバッグに入ったスミレの家族のフォトフレームを持ってきた。彼女は写真を自分で壁に取り付け、背が届かない所に架けるのは僕が手伝った。
 スミレの家の壁には、元通りにスミレと両親の写真が飾られた。テレビモニター横の大きな写真には、スミレを真ん中にお父さんとお母さんが微笑んで写っている。去年の夏、彼女の誕生日に那須高原で撮られたものだ。
 エミはその写真に近づき、しばらくぼーっと眺めていたが、いきなりひざまづいた。そのまま床に手をつき、写真を見上げる。

「……ゴメン、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。……アタシが調子に乗って木に登っちゃったから……アタシがグズグズしてたから……アタシに勇気がなかったから……ほんとうに……ごめん……ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……アタシなんかほっといてくれてよかったのに……なんで助けにきたの?……ねえ……ほんと、あたしのことなんかどうでもよかったのに……スミレと三人で仲よく暮らしたかったでしょ……こうなっちゃいけなかったんだよ……ほんと、ごめん……許して……やっぱ許さないで……許して……やっぱ許さないで……ずっとずっとアタシのこと恨んで……ねえ……お願い……私なんていなくなっていいから……ここに戻ってきて……お願い!……スミレから大事なものを奪っちゃった……取り返しのつかないことしちゃった……許してなんて言えない……アタシが天国にいったら、どんなひどいこと言ってもいい、どんなひどいことされてもいい……でも天国になんかアタシ行けない、地獄にしか行けない、ほんとごめんなさい、ごめんなさい……許してなんて言えない、言わない……せめて、スミレを見守って……スミレを元に戻してあげて……スミレのお父さんなら、スミレのお母さんならできるでしょう?……ねえ、お願い……それだけはお願い……」
 
涙をぼろぼろ流し、顔をくしゃくしゃにして叫ぶように泣くエミ。
 スミレは部屋の入り口で立ったまま、唇を震わせてその姿を眺めていた。しかし、猛然とエミに走り寄り、エミの肩を掴んで上体を起こすと、小さな手で思い切り、エミの頬をパチンと張った。エミは驚いた顔をして、動きも泣き声も止まった。

「なんてこと言うの? 前にも言ったでしょう?……一番言っちゃ行けない言葉……アタシなんていなくていいから、なんて。……許さないで、なんて……恨んで、なんて……アタシなんて助けなければよかったなんて……一番言っちゃいけないよ!私のお父さんとお母さんが一番傷つくことば……悲しむ言葉……前にも言ったでしょ……あなたのせいじゃないって……あなたは悪くないって……ねえ、これ以上、私のお父さんとお母さんを悲しませないで……お願い。お願いだから……もう、わかってるんだから……どんなことしたって、お父さんとお母さんには会えないんだから……わたしがどんなに後悔してたって……もう伝えられないんだから……でも伝えたい……会いたい……でも、もうどうしようもできない……エミにも私にもどうにもできないんだよ……だから……エミ……そんなこと言わないで……お願い……私にはどうにもできない……なんにもできない……くやしいけど……ほんとくやしいけど……だから……だから……お願い。」

 スミレは、親からはぐれた迷子のように。怖い夢を見て飛び起きた子供のように、泣いた。泣きじゃくりながら、泣いているエミを抱きしめた。エミは最初それを拒んだが、やがてスミレを抱きしめた。ひきつけのように泣きじゃくっている二人だが、少しずつそれが収まり、同時に顔を上げる。
 小さな声でスミレがささやく。
「……ねえ、お願いがあるの」
「なあに?」
「那須高原で起きたこと、それからここで暮らしたこと、全部忘れて」
「スミレ……何でそんなこと言うの?」
「そうしないと、あなたは一生辛い気持ちを抱えたまま、生きることになるのだから。全部きれいに忘れて。私のことも」
「い、いや。それはできない。できっこない……そんなこと言わないで」
「じゃあ……全部忘れないで。全部、覚えていて。母のことも、父のことも、そして私のことも」
「……いいよ。もちろんよ……そうする。ここで暮らしたことはアタシにとっては大事な時間。忘れることなんてできない。スミレもスミレの家族もずっと覚えている……ここを離れても」
 二人は再び涙を流し始め、そのまま泣き続けた。
 前にスミレに聞いた。ご両親のお葬式の時にも泣けなかったって。泣くこと、悲しむことを忘れてしまっていた二人。それを二人で取り戻した。
 結局僕には、何もできなかった。二人の泣く姿にもらい泣きするくらいしか。自分の無力さを思い知らされて悔し泣きするくらいしか。つくづく、情けない男だ。

「ねえ、ヨウ」
「?」
「あんた今、面白い顔してるよ」
 泣き疲れたのか、エミは顔を上げて僕を見ている。
「え?」
 スミレも顔を上げた。
「ほ、ほんとね」
「ぷっ!」
「クスクス」
「イヒヒッ」
「あははは」
「ギャハハハハハ!」
 いったい何事だ?エミが僕を指さし大笑いしている。釣られてスミレも吹き出し、笑っている。彼女のこんな大笑い、見たことがない。僕は慌てて洗面所に駆け込む。
 ……鏡を見ると、大変なことになっていた。
エミお姫様に落とすことを禁じられていたメイクが、もらい泣きしたことでグシャグシャに崩れているのだ。元々、目の下に涙を描いていたのだが、それが超大粒の涙に成長しており、口の輪郭がこれ以上ないくらい情けなくなっている。僕は慌ててメイクを落とす。リビングの方からは笑い声がまだ響いていた。
 結局僕は、シャワーを借り、バスタオルとパジャマを借り、リビングのソファを借りて泊まらせてもらった。
 女の子二人は片づけを済ませると、お風呂と寝支度をして、二階に上がっていった。
 普段の僕は、こんなこと絶対しない。……でも二人の様子が気になり、二階に上がってスミレの部屋をノックし、反応をうかがった。しばらくしても何の応答も無いので、そっとドアを開け、中をうかがう。
 間接照明に照らされ、ベッドの中で二人が仲よく抱き合って寝ている姿が認められた。
 もう大丈夫だろう。


 リビングのカーテンが開けられ、キッチンから何やら料理している音が響き、僕は目を覚ました。
 スミレとエミが協力しあって朝食を作っている。
「おーい、ヨウ、朝メシできたぞ」
 エミは、狸寝入りしている僕をタオルケット上からこぶしでグリグリして起こす。
「わかったわかった、起きる起きる」
 浴室に行って着替え、キッチンに入ると、二人は席に着いて待っていた。
「もうすぐ大野店長がエミを迎えに来るからね。さっさと食べちゃおう」
 スミレがエミと僕に朝食を勧める。いったい夕べの大泣き、そして大笑いは何だったんだ、という気もするが、二人の少女のすっきりした表情を見ていると、あれでよかったんだ……いや、あれがよかったんだという風に思えてきた。
 九時ぴったりにドアチャイムが鳴った。時間通りに大野さんが迎えに来てくれたのだ。
 エミのはち切れそうなボストンバッグと、クラゲの写真が入ったトートバッグを玄関まで持っていくと、店長さんがニヤついていた。
「おお、高野青年。少女二人の家に大胆にお泊まりか!二人に襲われなかったかい?」
「大野さん、悪い冗談はやめてくださいよ」
「ハハハ」
「……でも、何で大野さんが迎えに来たんですか?」
「当たり前じゃない!私が『責任を持ってエミちゃんを預かります』ってことになってたんだから、責任を持ってお返しにあがらないと」
 確かに、それもそうだ。しかし、この一連の騒動、大野さんがいなかったら、いったいどうなっていたんだろう。
 準備ができたエミは靴を履き、ボストンバッグを自分で担いだ。トートバックは大野さんに持ってもらった。
「じゃあ、またね。いつでも遊びに来ていいから」
 スミレがうつむき気味に別れの挨拶をする。
「うん、ありがとう。また来る」
「あっ、でも、家出はだめだぞ」
「ははは、わかってる」
「……中学校、楽しく過ごせるといいね」
「うん、そうなるよう、がんばる」
 手を軽く振ると、スミレは前を向いて大野さんと歩き始めたが、すぐに戻ってきた。
 再びスミレと向き合う。
「少ししたらね、スミレに会えたこと、ここであったこと、全部パパとママに話そうと思うんだ。あ、安心して。勝手にスミレの所に行ったりしないよう、強く、きつく言っとくから。……やっぱり、ここでスミレ達と暮らしたことは、無かったことにできない。アタシの宝物のような時間、だからね!」
 そしてスミレをハグする。自分の妹をいたわるように。そのあと、エミは僕の方を見て手を広げようとしたが、なぜか思い直し、それをやめてぽそっと言った。
「スミレのこと、あんたがしっかり守るんだぞ」
「ああ、わかってる」
 それからは振り返ることなく、エミと店長はスミレの家を離れていった。二人の後ろ姿に手を振っていたスミレだが、姿が見えなくなると手を振るのをやめ、『いっちゃった』とつぶやいた。
僕はスミレの後ろに立ち、両肩に手を置いた。スミレが振り返る。そして、恥ずかしそうに頬を染める。
「ゆうべはすごいとこ見せちゃったね」
「ははは、確かに」
 少女はうつむく。
 
「でも、僕は思うんだ」
「?」
「スミレにはそれが必要だったんだって」
「それって何?」
「いっぱい泣くこと、悲しむこと」
「?」
「いっぱい泣いたから、本当に笑うことができた」
「……確かに、そうかもね」
「すみれがどんどん若返っていったのも、それに関係あるのかも知れない」
「?」
「小さい子供になって、いっぱい、思いっきり泣きなさいって」
「誰がそう言ったの?」
「さあ、誰だろうね」
 何の根拠もないが、きっとこれからうまくいく、僕はそう確信した。