下北沢駅で小田急線に乗り換える。各駅停車に乗ると、ドア側から三つ席が空いていたので、買い物袋を全部網棚にあげ、ドア横に『エミ』と名乗る家出少女、真ん中に僕、その隣りにスミレが座った。何で僕が真ん中?
「ねえ、あんたとこのスミレって子とはどういう関係?」
井の頭線に乗った時から家出少女は何度も同じことを聞いてくる。横を向いてスミレの表情をうかがうが、彼女は僕と視線を合わせることなくスマホとにらめっこしている。さっきからしきりにLINEで誰かにメッセージを送っている。
『ブーブブッ』……僕のスマホがLINEのメッセ着信を知らせるバイブ音で震えた。画面を覗く。スミレからだ。
>『恋人でしょ。』
いや、多分そうだけど……スミレにそう思ってもらえるのは感謝感激なんだけど。
大学生が、セーラー服の女子中生のことを『この子は僕の恋人です』って言うわけにもいかない。タイホされるかも。
僕は恐る恐るもう一度スミレの方に顔を向ける。やはり視線を合わせてくれない。
『ブーブブッ』……スマホがまた震える
>『違うの?』
『ブーブブッ』……スマホがまたまた震える
>『誤魔化していると、後々面倒になるよ。』
誰と誰との間でどんな面倒事がおきるのか、よくわからなかったが僕は観念する。
僕のスマホを何とか覗き込もうとしている家出少女エミに見えないようにスマホを覆い隠し、言った。
「わかったわかった。僕はね、スミレの彼氏だよ」
横目でチラリとスミレを見ると、頬が赤くなってうつむくのが見えた。
「えー、恋人!まじ! ヤバくない?」
その声に反応し、車両のこっち側半分位の人々の視線が集まる。その視線は主に僕に向けられ、悪意ようなものが混じっている気もする。スミレは、相変わらず黙々とスマホをいじっている。
僕とスミレの関係を聞き出せて満足したのか、家出少女エミは自分のことを少し話してくれた。彼女は、今一二歳で、小学校を卒業したばかり。
「ほら、アタシも今度入学する中学の制服持ってるよ。見たい?」
返事するまでもなく、彼女は膝に抱えたボストンバックのファスナーを開け、ギュウギュウに押し込まれた衣服の中から制服を引っ張りだし、無理矢理僕に見せた。僕を制服フェチか何かと勘違いしているのだろうか?
……それはいいとして、この子、家出先から中学校に通うつもりだったのだろうか。彼女の住む家も中学校も目黒区にあるそうで、これから向かう町田からは随分離れている。
『ブーブブッ』……スマホが震え、画面を覗き込む。
「え!」
僕はスマホの画面を見ながら、そのまま固まる。
>『この画面、絶対エミに見せないでね。』
>『その子は、父と母が落雷から助けた子。』
僕の反応に気づき、エミは僕のスマホ画面を必死に覗きこもうとする。必死に防御する。スミレに聞きたいことがいっぱいあるが、隣りに張本人の子がいると聞くこともできない。
スミレはどうしてこの子を連れて帰る気になったのか?この子は、スミレのことを覚えているのか、いないのか?この子を本当にしばらく預かるつもりなのか?
『ブーブブッ』
>その子、本当に家出する覚悟みたいだから、放っておけなかった。
『ブーブブッ』
>事故の時の背格好のままだったら私が誰か気がついたのかもだけど、随分違うので気づいていないみたい。でも、そのうち気づくでしょうね。
『ブーブブッ』
>預かった方がいいと思う。誰がどこで預かるかは、いくつか選択肢があるよ。
以心伝心? 阿吽の呼吸? 読心術?こういうのを何と言うのが正解なのかわからないが、スミレは僕の心の中の疑問にすべて答えてくれた。家出少女はボストンバックを抱えたまま寝てしまった。やっぱり疲れていたのだろう。
「ただいまが言えたら、いいのに……」
その子はボストンバックの上に少し涎を垂らしながら、寝言をつぶやいた。
僕もうつらうつらとしかけたところ、スミレに肩をポンポンと叩かれた。ちょうど今、町田駅のホームに各駅停車が滑り込んだところだ。僕は慌てて網棚の荷物を降ろす。
「ほら、起きなさい」
スミレは家出少女、エミの肩を激しく揺らす。
「んあ?」
寝ぼけマナコをこすりながらようやく起きたエミは、ここはどこ?と周囲を見まわす。
僕はたくさんの買い物袋とボストンバックを抱え、この子をおんぶするのを覚悟していたが、エミは自分が置かれている状況を思い出したのか、キッと立ち上がり、スミレの後について行く。
駅を出てからは、僕がエミのボストンバックと買い物袋をいくつか持ち、残りの買い物袋をスミレが持って歩いた。
「さあ、入って」
家の鍵を開け、家出少女を招き入れる。
エミはお邪魔しまーすと言って、遠慮する様子もなく靴を脱いでズカズカと家の中に入っていく。スミレがリビングに案内する。
「へー、お洒落な部屋ね」
そう言いながら僕がソファの横に置いたボストンバックのファスナーを開けようとした。彼女は壁に架かっている、大きな写真に目をとめた。そして顔色が変わる。さっと音を立てて血の気が引いた。
「……う、うそでしょ?」
エミは写真に近づきながらも、動きが硬直していくのが手に取るようにわかった。
麦茶の入ったグラスをトレーに載せて戻ってきたスミレに気づいた少女は、弱々しい声で尋ねる。体がブルブル震えている。
「あなた、この写真の人たちの娘?この真ん中のお姉さんの……妹?」
スミレはトレーをローテーブルに置き、エミの肩に手を置き、写真の中の人物を指さしながら、冷静に答える。
「そう。この夫婦の娘よ。でも私はこの女の人の妹ではないわ」
「いや!」
鋭く叫ぶと少女はスミレの手を振り払い、赤いボストンバックに駆け寄った。
「こ、こんなことになるなんて!……何でここに連れてきたの!? ……アタシ、帰る!」
「待って!」
スミレは、咄嗟にエミに近づくと後ろから抱きついた。僅かに体格で勝るスミレに取り押さえられ、少女は必死にもがくが、身動きがとれなかった。
僕は口をあんぐりと開けて、事の成り行きを見守るしかなかった。
エミをがっちりとホールドしたまま、スミレが聞く。
「帰るって……あなた本当にお家に帰るの? それならいいけど」
「い、いやっ!お家には絶対帰らない」
「ほら、そうでしょう? じゃあ、ここに居なさい」
エミの体の震えは収まらない。体の震えに合わせ、声にならないうめき声が漏れる。
スミレは腕の力を緩め、少女をやさしく抱いたまま、二人でソファまで移動し、座った。そしてぽつりと言った。
「ごめん。あなたを怖がらせようとしてここに連れてきた訳じゃないの。あなた、109にいたとき、泊めてくれる人がいたら本当に誰でもいいと思っていたでしょう? もっと自分を大事にして欲しいの」
「いらないお節介よ。そこのお兄さんだったら人畜無害そうだし、問題なかったでしょ?」
え!僕?
僕は自分を指さしたまま固まった。
「そういう問題じゃないでしょ?」
スミレはゲンコツで軽く少女の頭を小突く。
家出少女は体の震えが止まっている。だいぶ落ち着いてきたようだ。僕は何もできないし、何をしていいかわからなかったけど、トレーの上に載ったグラスを二人に手渡した。
少女は一口麦茶を飲むとグラスをテーブルに置く。スミレもその動作を真似して麦茶を飲んだ後、再び少女の体に手を回す。
「あなたは、一体誰?」
「私はね、あの女の人の妹じゃないよ」
「さっき聞いた……じゃあ、いったい?」
「私は、あの人『本人』」
「うそ!それ絶対信じない」
「信じても、信じなくても、どっちでもいいよ」
「……もし、本当なら、なんで中学生の恰好してんの?なんで中学生になってんの?」
「さあ、自分でもわからないわ。最近なぜか、どんどん小さくなっちゃって」
「……それも信じられない……まさか、あの事故のせい?」
少女の声が再び震える。
「うーん、関係ないんじゃないかな」
スミレは女の子の赤毛の髪を撫でる。
「私、ずっと思ってたの」
スミレがぽそっとつぶやく。
「私たち家族が助けた女の子って、ずっと責任を感じて辛い思いをしてたんじゃないかなって」
それを聞いて、少女が顔を上げる。
「それ、ちょっと違う」
「?」
「あの事故の後、入院していて」
「そうね、確か私達、同じ病院に入院してたんだよね」
「事故の直後から退院するまでのこと、覚えてなかったの」
「……そうなんだ」
「草むらに放り投げられて助かった事は覚えているんだけど……その後の記憶が無いことを知ったアタシのお父さんとお母さんは、あの後どうなったか、ずっと教えてくれなかったんだ。……でもアタシを助けてくれた人たちの顔は、はっきり覚えてる」
「その後のこと、最近知ったの?」
「そう。小学校を卒業しちゃうからって何となく六年間の思い出を振り返ってた時に、去年の夏休みに雷から助けてもらって、その人たちにお礼が言えてないって思い出した。ぜひお礼が言いたいってお父さんとお母さんにお願いしたの」
「ご両親はなんて言ったの?」
「エミも中学生になるし、あの時あったことを話してもいいだろうって……今ごろになって本当のことを話してくれたわ……それが先週のことよ」
「そうだったんだ」
「アタシ、それでお父さんとお母さんが信じられなくなった。どうして隠してたの?どうして本当のことを教えてくれなかったの?って」
少女は唇を噛んだ。
「それで、もう、あんな所にいられないって、家出してきちゃった」
僕は電車の中で聞いた彼女の寝言を思い出した。帰りたくないっていうのは本心じゃない。僕が何か言いたそうにしていたら、スミレが目でそれを制した。わかってるよって。スミレが口を開く。
「あの事故のこと、エミは責任を感じていると思うけど、本当に誰のせいでもないんだから。もう、自分のこと責めないで」
「それはできない。私なんか助けに来なければよかったのに」
スミレはその言葉に鋭く反応した。少女の両ほほを両手で包み、真っ正面から、真剣な表情で見つめた。
「そんなこと、絶対言わないで!もし私の父と母がそれ聞いたら、絶対、すごく悲しむ。それに、もしもあの時、あなたを助けていなかったら、父と母は後悔を一生背負っていくことになったわ……だから、二度とそんなこと言わないで」
少女はすすり泣く。スミレが再び彼女の体を抱く。
「……でもねえ。あなたを怖がらせようなんて思ってないけど、ちょっと意地悪したかったかも」
「どうして?」
エミが顔を上げる。
「だってあなた、109で『私の彼氏』にナンパしてたじゃない……だからヤキモチ焼いてたかも」
二人は僕に視線を向ける。え!僕は再び自分を指さしたまま固まった。
その時、ドアのチャイムが鳴った。ほぼ同時に鍵をガチャガチャ開ける音がして、ドアが開いてバタンと閉まった。そしてリビングの入り口に登場したのは、ヘアサロンの大野店長だ。大きなトートバックをぶら下げている。
「はいはーい、お取り込み中だと思ったので、スミちゃんから預かってる合鍵で入らせてもらいました!」
大野さんはそう言ってリビングを見まわす。スミレに抱きかかえられた少女に、にっこりと微笑む。僕を見つけると、ウィンクした。
「千沙店長、来てくれてありがとう」
スミレが礼を言う。
「どういたしまして」
どうやら、電車の中で懸命にLINEでメッセージを送っていた相手は大野店長らしい。大野さんはバッグを床に降ろすと、パンと手を叩いた。
「さあ、これから偽装工作の始まりよ。高野君、どうせ今まで出る幕なしだったろうから、これから頑張ってね!」
見透かされてしまっているが、本当のことだから反論の余地はない。でも、偽装工作って何だ?
「はい、今から説明します……今日からこのお家は形式上、私が家主になります。ということで高野君、これ玄関に貼ってきて。それが終わったら、リビングの写真全部外して、代わりにこの写真を架けてといてね」
大野さんから手渡された物は、『大野千沙』と書かれた表札だ。いつの間に作ったのだろう?トートバックに入れて持ってきたものは、フレームに入れられた写真。取り出して見ると、海の生き物……クラゲの写真ばかりだ。名前はわからないが、形状や色が異なる写真が十点ほど入っている。
「大野さん、これは……」
「ああ、特に意味はないよ。完全に私の趣味!」
そう言うと、ヘアサロンの店長はニッと笑った。今いち、状況がわからない。『家出少女エミ』もきょとんとしている。共謀者らしきスミレは涼しい顔だ。
「親心がわからない高野少年のために、サービス解説よ……まず、これから私がエミちゃんのお宅に電話します。 エミちゃん、電話番号教えてね。そして、事情を説明します。で、しばらくウチで預からせてください、って言います。でも、どこの親御さんだって『はいそうですか、ではお願いします』なんて言いっこありあません。慌てて住所を聞いて飛んできます。スミちゃんは、当時エミちゃんのご両親から、何度もお詫びに伺いたいと住所を聞かれていたようだけど『あなたたちの責任ではありませんので』と頑なに断ってきたので、幸いここの住所は割れていません。グッジョブです!……で、ご両親にここに来てもらい、エミちゃんの元気な姿を見せ、私が必死に説得します。ここは私の交渉術の見せドコロね」
僕は圧倒され、つくづくこの人はすごい人だと思った。大野さんは、家出少女に近づき、一言やさしくつけ加えた。
「でもね、ご両親にあんまり心配かけすぎるのはよくないわ。ここにいるの三月いっぱい。ここから、あなたが入学する中学校になんか通えっこないんだから。四月から、元気に学校に通う姿をご両親に見せるのよ、そうしないと、この後あなたはずっと後悔するよ」
「は、はい……わかったわ」
エミは納得した、というより大野さんの迫力に気圧され、そう返事するしかなかった。
「はい!そしたら、高野君は作業開始。終わったらスミちゃんと夜多くまで、どこかにシケ込んでいてね。ここにいちゃ話がややこしくなるからね。話がついたらLINEするよ……あ、スミちゃんはセーラー服から普通の服に着替えた方がいいよ。こんな時間だし。今日買い物デートしてきたんでしょう?」
大野さんがニヤつき、スミレは子供っぽく頬を膨らます。こうして、大野さん仕切りの偽装工作と説得話法が功を奏し、名目大野家、実質霧島家で家出少女、桑子笑美を預かることになった。



