その日は、
いつもと変わらない放課後だった。
体育館に向かう途中、
俺は少し遅れて校舎を出た。
理由は単純で、
先生に呼び止められただけだ。
――すぐ追いつくだろ。
そう思って、
廊下を急ぐ。
体育館の前まで来たとき、
聞き覚えのある声がした。
「菜々」
立ち止まる。
声の主は、
女子バスケ部の先輩だった。
二人は、
体育館の横の自販機の前に立っている。
距離は、
思ったより近い。
「最近さ」
先輩が言う。
「春輝と仲いいよね」
胸が、
わずかにざわついた。
「うん」
菜々は、
少し困ったように笑った。
「でも、友達だよ」
その言葉が、
はっきり耳に届いた。
――友達。
わかっていた。
最初から。
それなのに、
胸の奥がきしむ。
「春輝、いいやつだよね」
先輩が続ける。
「真面目だし、優しいし」
「うん」
菜々は頷く。
「だから、
今のままでいたいなって思う」
今のままで。
それは、
俺が選んでいた答えと、
同じはずだった。
なのに――
どうしてこんなに、苦しい。
俺は、
その場から離れた。
見なかったことにすればよかった。
聞かなかったことにすればよかった。
でも、
耳に残った言葉は、
簡単には消えてくれなかった。
練習中。
いつもより、
ミスが多かった。
「春輝、集中!」
先輩の声に、
「すみません」と返す。
でも、
頭の中は別のことでいっぱいだった。
――友達。
――今のまま。
それ以上、
進めないという宣告みたいだった。
隣のコートでは、
女子バスケ部が練習している。
菜々は、
いつも通り走っている。
何も知らない顔で。
そのことが、
少しだけ、
悔しかった。
練習後。
更衣室から出ると、
孝太が待っていた。
「顔、ひどいぞ」
「……そう?」
「何かあっただろ」
少し迷ってから、
俺は言った。
「聞いちゃった」
「何を」
「菜々の気持ち」
孝太は、
一瞬だけ目を伏せた。
「……そうか」
「俺さ」
言葉が、
喉につかえる。
「期待してたんだな」
自分で言って、
情けなくなった。
孝太は、
すぐには何も言わなかった。
「でもさ」
しばらくしてから、
静かに言う。
「それ、全部じゃない」
「え?」
「菜々の言葉」
孝太は続ける。
「“今のままでいたい”って、
“何もない”って意味じゃない」
その言葉に、
胸が少しだけ揺れる。
「でも」
俺は首を振る。
「俺が踏み込んだら、
全部壊れる気がする」
孝太は、
真っ直ぐ俺を見る。
「壊れない恋なんて、
最初から存在しない」
その言葉は、
正しかった。
でも、
正しいからこそ、
選べなかった。
その日の夜。
スマホが震える。
菜々からだった。
「今日、元気なかったけど大丈夫?」
画面を見つめる。
返事を、
すぐに打てなかった。
心配してくれているのに、
それに応える資格があるのか、
わからなかった。
少し時間を置いて、
短く返す。
「大丈夫。ちょっと疲れてただけ」
それだけ。
すぐに既読がついた。
「そっか。無理しないでね」
その優しさが、
胸に刺さる。
――友達だから。
そう言い聞かせながら、
スマホを伏せた。
俺は、
知らなくていいことを知ってしまった。
そして、
知らないふりを続けるには、
少しだけ大人になりすぎていた。
この春は、
まだ続いている。
でも、
同じ場所には、
もう戻れない気がしていた。
いつもと変わらない放課後だった。
体育館に向かう途中、
俺は少し遅れて校舎を出た。
理由は単純で、
先生に呼び止められただけだ。
――すぐ追いつくだろ。
そう思って、
廊下を急ぐ。
体育館の前まで来たとき、
聞き覚えのある声がした。
「菜々」
立ち止まる。
声の主は、
女子バスケ部の先輩だった。
二人は、
体育館の横の自販機の前に立っている。
距離は、
思ったより近い。
「最近さ」
先輩が言う。
「春輝と仲いいよね」
胸が、
わずかにざわついた。
「うん」
菜々は、
少し困ったように笑った。
「でも、友達だよ」
その言葉が、
はっきり耳に届いた。
――友達。
わかっていた。
最初から。
それなのに、
胸の奥がきしむ。
「春輝、いいやつだよね」
先輩が続ける。
「真面目だし、優しいし」
「うん」
菜々は頷く。
「だから、
今のままでいたいなって思う」
今のままで。
それは、
俺が選んでいた答えと、
同じはずだった。
なのに――
どうしてこんなに、苦しい。
俺は、
その場から離れた。
見なかったことにすればよかった。
聞かなかったことにすればよかった。
でも、
耳に残った言葉は、
簡単には消えてくれなかった。
練習中。
いつもより、
ミスが多かった。
「春輝、集中!」
先輩の声に、
「すみません」と返す。
でも、
頭の中は別のことでいっぱいだった。
――友達。
――今のまま。
それ以上、
進めないという宣告みたいだった。
隣のコートでは、
女子バスケ部が練習している。
菜々は、
いつも通り走っている。
何も知らない顔で。
そのことが、
少しだけ、
悔しかった。
練習後。
更衣室から出ると、
孝太が待っていた。
「顔、ひどいぞ」
「……そう?」
「何かあっただろ」
少し迷ってから、
俺は言った。
「聞いちゃった」
「何を」
「菜々の気持ち」
孝太は、
一瞬だけ目を伏せた。
「……そうか」
「俺さ」
言葉が、
喉につかえる。
「期待してたんだな」
自分で言って、
情けなくなった。
孝太は、
すぐには何も言わなかった。
「でもさ」
しばらくしてから、
静かに言う。
「それ、全部じゃない」
「え?」
「菜々の言葉」
孝太は続ける。
「“今のままでいたい”って、
“何もない”って意味じゃない」
その言葉に、
胸が少しだけ揺れる。
「でも」
俺は首を振る。
「俺が踏み込んだら、
全部壊れる気がする」
孝太は、
真っ直ぐ俺を見る。
「壊れない恋なんて、
最初から存在しない」
その言葉は、
正しかった。
でも、
正しいからこそ、
選べなかった。
その日の夜。
スマホが震える。
菜々からだった。
「今日、元気なかったけど大丈夫?」
画面を見つめる。
返事を、
すぐに打てなかった。
心配してくれているのに、
それに応える資格があるのか、
わからなかった。
少し時間を置いて、
短く返す。
「大丈夫。ちょっと疲れてただけ」
それだけ。
すぐに既読がついた。
「そっか。無理しないでね」
その優しさが、
胸に刺さる。
――友達だから。
そう言い聞かせながら、
スマホを伏せた。
俺は、
知らなくていいことを知ってしまった。
そして、
知らないふりを続けるには、
少しだけ大人になりすぎていた。
この春は、
まだ続いている。
でも、
同じ場所には、
もう戻れない気がしていた。


