さよならの代わりに授かった宝物

穏やかな春の午後は、
一発の乾いた衝撃音によって、無惨に引き裂かれた。

萌香と蓮が公園から戻った直後。
マンションの廊下で待ち構えていたのは、
かつての汚職事件で勇気に壊滅させられた組織――その残党だった。

「久しぶりだな、高畑。
……いや、今は“記憶喪失ごっこ”の最中だったか?」

黒いジャケットの男が、歪んだ笑みを浮かべ、銃口を萌香へ向ける。

萌香は反射的に蓮を背後へ庇い、身を強張らせた。

「勇気さん……逃げて……!」

震える声。

けれど――
隣に立つ勇気の空気が、はっきりと変わった。

猫背だった肩が静かに上がり、
曖昧だった視線に、氷のような冷たさが宿る。

「……五ミリ右だ」

低く、確信に満ちた声。

記憶喪失の男のものではない。
かつて、すべてを制圧してきた警視の声だった。

「な……?」

次の瞬間。

勇気は一気に踏み込み、男の手首を捻り上げる。
銃を奪い、床に組み伏せ、無駄のない動きで制圧した。

「俺の家族に触れた」

静かな声。

「それだけで、十分すぎる罪だ」

男を気絶させると、勇気は銃を遠くへ投げ捨て、
ゆっくりと萌香へ振り返った。

そこにあったのは――
もう「何も知らない男」の仮面ではない。

後悔と、深い愛情と、どうしようもない独占欲を抱えた一人の男。

「……すまない、萌香」

彼は膝をつき、萌香の手を両手で包み込む。
その手は、わずかに震えていた。

「これ以上……嘘を続ける資格はない」

「……いつから?」

萌香の声は静かだった。

「いつから、思い出していたの?」

「一週間前だ」

勇気は目を伏せる。

「……君に触れた時、全部、戻った。
でも、言えなかった。
真実を話したら、君は俺を拒むと思った」

掌に、額を押し当てる。

「記憶がない俺なら……
君に、もう一度そばにいてもらえるかもしれない。
そう、甘えてしまった」

深い息。

「俺は、君の父親を追い詰め、
君の人生を壊した。
その上で、嘘をついて君の心まで繋ぎ止めようとした……
最低な男だ」

しばらくの沈黙。

「……でも」

勇気は顔を上げ、真っ直ぐに萌香を見る。

「これだけは、嘘じゃない。
記憶があっても、なくても……
君と蓮を、命より大切に思っている」

声が、かすかに揺れた。

「許されるとは思っていない。
……ただ、君が決めてほしい。
俺を、どうするか」

萌香の頬を、一筋の涙が伝う。

怒りよりも、
再び“修羅”に戻ってまで守ろうとした彼の孤独が、
胸を強く締めつけていた。

「……本当に、嘘つき」

小さく笑って、そう言う。

「どうしようもなく、最悪の男よ」

けれど、萌香は勇気の頭を抱きしめた。

「でも……
その嘘が、私と蓮を守るためのものだったなら」

一拍置いて、囁く。

「……もう一度だけ。
独占契約、延長してあげてもいい」

勇気の瞳から、初めて涙が溢れ落ちた。

血塗られた過去も、
重ねた嘘も、
すべてを抱えたまま。

二人はようやく、
偽りのない「真実の愛」に辿り着こうとしていた。