さよならの代わりに授かった宝物

降りしきる雪は、まるで世界そのものが拒絶しているかのように、激しさを増していた。

萌香は勇気に言われた通り、蓮の小さな手を強く握りしめ、
足を取られながら裏手の林を必死に駆け抜けていた。

「はぁ……はぁ……っ。
ママ……パパは……?」

不安に揺れる声。

萌香は振り返らず、必死に微笑もうとする。

「大丈夫よ、蓮。
パパは……すぐに来るから。だから、前だけ見て……ね?」

自分自身に言い聞かせるような言葉だった。

その直後――
背後で、重苦しい銃声が連続して轟いた。

乾いた音が、凍りついた空気を引き裂くたび、
萌香の心臓は、ぎゅっと握り潰されるような痛みに襲われる。

(行かないで……
私を、また一人にしないで……勇気さん……)

胸の奥で、何度も名前を呼ぶ。

握りしめた拳の中で、SDカードが冷たく存在を主張していた。

(これさえ……
これさえなければ、あなたは今も、私の隣で笑っていたの……?)

やがて、村の境界にある小さなバス停が見えてくる。

その瞬間――
約束の時間ぴったりに、一台の黒いセダンが雪を蹴散らしながら滑り込んできた。

運転席から降りてきたのは、険しい表情の佐倉だった。

「萌香さん、こっち! 早く!」

「佐倉さん……!」

駆け寄りながら、声が震える。

「勇気さんが……
まだ、あの中に……っ」

佐倉は一瞬、唇を噛み締め、それから低く言った。

「分かってるわ。
応援は手配した……けど」

視線を伏せ、続ける。

「今のあいつは、完全に孤立無援よ。
わざと本部との回線を切ったの」

萌香の呼吸が、止まる。

「……あなたたちを逃がすために、
自分を“消す”つもりなのよ」

その言葉に、世界の音が遠のいた。

消す――
公安警察としての身分も、
高畑勇気という存在そのものも。

すべてを、あの場所で終わらせる覚悟。

「そんなの……許さない……!」

萌香は声を絞り出す。

「勝手にいなくなるなんて……
二度も、許さない……!」

蓮を佐倉に預けようとした、その瞬間。

佐倉が萌香の肩を、強く掴んだ。

「ダメよ。戻っちゃ……!」

必死な声。

「今のあそこは地獄よ。
……生きなさい、萌香さん」

彼女は、SDカードを指で示す。

「それが、あいつが命を懸けて作った“隙”なの。
あなたが生きることが、あいつの望みよ」

その時――

遠く、隠れ家の方角から、
夜空を赤く染め上げるほどの爆発音が轟いた。

一瞬、夜が昼のように明るくなる。

萌香の瞳に、紅蓮の炎が焼き付いた。

「勇気さぁぁぁぁん……!!」

叫びは、雪原に吸い込まれていく。

爆風の衝撃で、古い古民家が崩れ落ちていくのが、遠目にも分かった。

――勇気が、いた場所。

佐倉は唇を噛み締め、
半ば無理やり萌香と蓮を車へ押し込んだ。

「……行きなさい」

震える声で。

「あいつの覚悟を、無駄にしないで」

車が走り出す。

窓の外、遠ざかっていく炎を見つめながら、
萌香は声を殺して嗚咽を漏らした。

手の中には、カードの冷たい感触。

そして――
最後に交わした、あの温かなキスの記憶だけが、
今も胸の奥で、確かに息づいている。

数時間後。

現場からは、複数の賊の遺体が発見されたが、
高畑勇気警視の姿は、どこにも見当たらなかった。

ただ、雪の上に点々と残された血痕だけが、
誰のものとも知れぬまま、
無慈悲な風に、静かに消されていった。