シンデレラは午後8時にヒールを折る

 パソコン周りとは対照的に、キッチンには使い込まれた調理器具や、様々なハーブの瓶が並ぶ。
 それだけで悠斗が本当に料理が好きだとわかる。
 
「料理はまったくできないの。だからこのカニもお願いしていいかしら」
「できないのに買おうと思ったのか?」
 悠斗が驚くのはもっともだ。
 なにより、自分が一番驚いているのだから。

「いつもプロテインバーとかで食事をすませているから、おいしそうに見えたのよ」
 でもいざ買うときになったら、どうしたらよいのかわからなかったと綾香は目を伏せた。
 本当に今日の自分の行動は非効率的で自分らしくない。
 コンビニではなくスーパーに行ってしまったことも、総菜ではなく鮮魚コーナーに行ってしまったことも。

「広告代理店ってやっぱり忙しいんだな」
 イメージ通りだと言いながら、悠斗は慣れた手つきでマグロの短冊を切り始める。
 お店のような厚さの刺身に変わっていくマグロを綾香はまじまじと見つめてしまった。

 マグロは銀色の箔が散りばめられた藍色の皿に少しずつずらして乗せられ、まるで高級旅館で出てくる刺身のようだ。
 
「きれいね」
「いい皿だろ」
「えっ、お皿?」
 マグロを褒めたつもりが、皿の話になった綾香は焦る。
 食いしん坊な綾香を笑いながら、悠斗はボウルにオリーブオイルやレモン汁を入れた。

「バジルは平気か?」
「大丈夫……」
 バジル? マグロに?
 何ができるのかわからない綾香はジッと悠斗の料理を見つめる。
 マグロを並べた皿の上に、水気を切った玉ねぎや葉物野菜、ミニトマトが彩りよく散らされ、ボウルのソースがかけられた。

「マグロのカルパッチョだ」
 最後に乾燥したバジルをパラッとおしゃれにかけ、皿に飛んだソースをふきんで拭き取る。
 想像以上におしゃれな料理の登場に綾香は目を見開いた。