男性のマンションはスーパーから徒歩1分。
 本当に隣のマンションだった。

「あがって」
「お邪魔します……?」
 名前も知らない男性の部屋にこんな簡単に入っていいのだろうかと思ったが、足がもう限界な綾香はとにかく靴が脱ぎたかった。
 10センチのハイヒールを脱いだ瞬間、身長が急に低くなり、足の裏がじんわりと染みる。
 
 あぁ、楽になった。
 綾香は呪縛から解放されたかのように、身体の力を抜いた。
 
「急いで帰らないといけない用事はあるか?」
 男性は買い物袋から食材を取り出し、テーブルへ。
 
「まだ仕事が残っていて。あ、広告代理店に勤めています。佐藤綾香です」
 今さらだが綾香は名乗りながらペコリと頭を下げる。

「俺は渡邊悠斗。システムエンジニアだ」
 悠斗は冷蔵庫から卵やキュウリを取り出しながら、特殊なソフトがいらないならそのパソコンを使っていいぞと、顔を部屋の片隅に向けた。

 室内は無駄な装飾がない、機能的な部屋だった。
 デスクトップパソコンに大きなモニタが2個。縦向きと横向きに置かれ、高そうなキーボードとこだわりがありそうなマウス。
 さすがシステムエンジニアというべきだろうか。
 ノートパソコンで仕事をしている自分とは全然環境が違った。

「飯、食っていけ。まだ足痛いだろ? 休憩してから帰ればいい」
「でも」
「俺は料理が趣味なんだ。SNSにUPしているけれど、いつもひとりで食べきれなくて困っている」
 だから食べるのを手伝ってくれと言われた綾香は、悠斗の優しさが嬉しかった。

 誰かにこんなに親切にされたのいつぶりだろう。
 綾香は鞄を置くと、コートとジャケットを脱ぐ。
 ボウタイブラウスの袖をまくった綾香は、悠斗がいるキッチンで手を洗った。