無機質なオフィスに、カツカツカツと綾香の10センチヒールの音が響き渡った。

「コンセプトが弱いですって?」
 綾香はガラス張りの会議室から自席に戻りながら、悔しそうに唇を噛んだ。
 たった今、クライアントへの最終提案資料を提出直前で「コンセプトが弱い」と上司が全否定。
 昨日の徹夜作業が一瞬でなかったことになった綾香は資料をバンッとデスクに叩きつけた。

 広告クリック率を0.5%向上させるために、競合調査のデータに基づいてターゲット層が最も効率よく閲覧する時間帯を把握し、広告の効果が最も高まる地域や時間帯に絞って配信を強化。
 メリットや強みをできるだけ短文で追記し、さらにユーザーが求める情報へ最短で辿り着けるルートを提供し、離脱を防いだのに。
 
「『分析は完璧だが、君の企画には温かさがない』ってどういうことよ!」
 綾香は椅子に座ると、デスクの引き出しからサプリメントを取り出し、ポンと口に放り込んだ。

 広告代理店で働く綾香の日常は、常にKPI(重要業績評価指標)と納期(デッドライン)に支配されている。
 スマートフォンやPCの画面には、常に数多くのタスクとスケジュール表が表示され、色分けされたタスクリストに常に脅迫されているようだった。

「佐藤さん、明日の朝イチで修正した提案書お願いね」
「わかりました」
 上司の声に、綾香は顔を上げずに言葉だけで返す。
 上司もこちらを見ていないからお互い様だ。
 
 手首に巻かれた高級腕時計の秒針がカチカチと冷たく時を刻む。
 キーボードの乾燥した打鍵音、マウスの神経質なクリック音。メールの絶え間ない通知音が綾香をさらに苛立たせる。
 綾香はディスプレイに映るタスクリストを見ながら溜息をついた。

 引き出しに常備されているはずのプロテインバーは今日に限ってひとつもない。
 栄養補給ゼリーも今日の昼が最後だった。

「買いに行くしかないか」
 綾香は今日ダメ出しされた提案資料と新規企画の案の資料を鞄にツッコむと、パソコンの電源をOFFにし、分厚いコートを羽織ってオフィスをあとにした。