優花と宏樹は、お互いの写真を見せ合い、次の撮影場所の話で盛り上がっているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。
そろそろ帰ろうと、二人はエレベーターで一階へ降り、ビルの自動ドアをくぐった。

外に出た瞬間──
優花の頬に、ひやりとした粒が触れた。

「あ、雨だ」

宏樹も空を見上げ、柔らかい雨粒が落ちはじめた夜空を確認する。

「……ごめん、相沢。傘、俺の分しか持ってきてない」

「大丈夫ですよ。駅まで少し走れば──」

言い終わる前に、宏樹がそっと優花の手を取り、自分の傘の中へと引き寄せた。

一瞬で縮まる距離。
肩と腕が触れそうで触れない絶妙な近さ。
優花の鼓動が、静かな雨音に混じって跳ね上がる。

「走らなくていい。……ほら、これを見よう」

宏樹が優花の視線を促した先──
東京駅前の大通り一面に、雨で濡れたアスファルトが光の海を作っていた。

無数の水たまりが、ネオンや車のヘッドライトを反射し、揺れながらきらめく。
ビルのガラスに跳ね返る光も雨に溶け込み、景色全体がゆっくりと脈打っているようだった。

「すごい……」

優花は、自然に息を呑んだ。
整然とした展望フロアの夜景とはまったく違う、雨が織りなす幻想的な光の世界。

その横で、宏樹が小さく囁く。

「これだよ、相沢。俺たちが話してた、“雨の日の路面の光”。
次に一緒に夜景を撮るときは、絶対これを見せたかった」

耳元に落ちた声は、雨音を吸い込むように静かで、温かかった。

──彼は覚えていた。

二人が初めて夜景を語り合った夜に交わした、小さな言葉まで。

「本当に綺麗……宏樹さんが教えてくれなかったら、こんな景色に気づけなかったです」

そう言うと、宏樹は優花の方へそっと傘を傾け、優しく微笑んだ。

「俺も、君と一緒に見るから、もっと綺麗に感じるんだと思う」

雨を弾く傘の音が二人の声を包み込み、外界とは違う小さな世界を作り出す。
その世界の中心には、優花と宏樹しかいなかった。

優花は、胸の奥で確信する。

──これは偶然の雨なんかじゃない。
宏樹が“二人の関係が進んでいる”と示してくれた、静かなメッセージだ。

雨脚が少し強まり、路面の光が揺れながら濃くなっていく。
二人は言葉を交わさず、ただその光の絨毯を見つめ続けた。

その沈黙は、気まずさではなく、
互いの心がぴたりと重なる、幸福な沈黙だった。