ヘッドフォンの静寂を体験した後、優花は穏やかな気持ちでそれを宏樹に返した。
宏樹は嬉しそうに受け取り、再び首元にかけると、二人は並んで撮影を再開した。

しばらくして──
宏樹はシャッターを切る手をふと止め、ヘッドフォンを外して首にかけた。

「相沢、ちょっと見てくれる?」

彼がカメラの液晶画面をこちらへ向ける。
そこに映っていたのは、夜景の光景──だけではなかった。

「この一枚、すごく気に入ってるんだ」

優花が画面を覗き込んだ瞬間、息が止まった。

写っていたのは、夜景を撮るためにスマホを構え、画面の光だけを受けて浮かび上がる自分の横顔だった。
真剣そのものの眼差し。
背景には、柔らかくぼけた東京駅の光の粒。

「え……私、ですか?」

驚きと照れが入り混じった声が漏れる。

「うん。相沢が夢中で画面を見てるとき、すごく集中してるのが分かった。
その表情が……綺麗だと思った」

あまりにも率直すぎるその言葉に、優花の胸が熱くなる。
彼はただの記録として撮ったのではない。
“見つめたい”という気持ちが、確かにその写真に宿っていた。

優花は、少し迷った後、自分のスマートフォンを取り出した。

「実は……私も、宏樹さんを撮らせてもらいました」

そう言って見せたのは、ヘッドフォンをつけて夜景へ没頭する宏樹の後ろ姿だった。
周囲の喧騒を完全に遮断し、
光に包まれながら、ひたすら自分の世界に潜り込んでいる。

宏樹は、小さく息を呑む。

「……これ、すごくいいね。
俺の“静かになりたい瞬間”が、そのまま写ってる。
相沢は、本当に……俺が求めているものを理解してくれてるんだな」

優花は、写真を撮った理由を静かに伝えた。

「仕事で苦しそうだった宏樹さんが、撮影になると一気に表情が変わって……
その姿が、とても素敵に見えたんです。
だから、本来の宏樹さんを忘れないように、残しておきたかった」

お互いを撮った写真には、夜景以上に大切なものが写っていた。

それは──
相手の心の状態を、深く理解し、尊重しようとする二人の視線。

宏樹は、優花の瞳をまっすぐに見つめた。

「相沢が撮ってくれたこの写真……
俺にとって、未来の道しるべになるかもしれない」

「道しるべ……?」

「うん。もし仕事で挫けそうになったら、
この写真を見て、今日のことを、君の言葉を思い出せば……
また立ち直れる気がする」

彼は、優花との時間を“癒し”ではなく、
人生を支える力になるものとして受け止めていた。

その瞬間──
優花の中で、五年間続いた片思いの形が静かに溶けていくのを感じた。

もう、遠くから見つめていた頃の自分ではない。
今は、隣で彼の未来を照らす“光”でいられている。

二人の関係は、確かに次の段階へ踏み出したのだ。