夜景が広がる展望スペースで、宏樹は優花から受け取ったヘッドフォンの箱を、ゆっくりと開けた。
「せっかくだし、早速試させてもらうよ」
そう言って微笑む表情は疲れているのに、どこか少年のように嬉しそうだった。
ヘッドフォンを両手で持ち上げた宏樹は、その手つきからも大切に扱おうとしているのが伝わる。そして、耳にそっと装着し、スマートフォンで再生ボタンを押した。
──その瞬間。
優花は、まるで透明な膜が彼の周囲に張られたような、空気の変化を感じた。
展望スペースには、人々の話し声、足音、遠くから聞こえるクラクションなどが入り混じっている。
しかし、ノイズキャンセリングが作動した途端、宏樹の表情からすっと力が抜け、肩の緊張がゆるんだ。
「……すごい」
彼は優花だけに聞こえる声で吐息のように呟いた。
「本当に、周りの音が全部消える。
音楽と……シャッター音だけが残るんだ」
その小さな感動を目の当たりにした瞬間、優花の胸に温かなものが満ちた。
“確かに、彼が求めていたのはこれだ”と、深く理解できたからだ。
宏樹はすぐにカメラを構え、無駄のない動きで設定を調整し始めた。
周囲の雑音が届かない彼は、完全に「撮影する人の顔」になっている。
光の粒が揺れる窓辺で、
静寂の中に沈みながらシャッターを切るその姿は、先週よりもはるかに生き生きして見えた。
(これで……彼の“心の安らぎ”が守られる。)
優花は、彼の少し後ろに立ち、その背中を静かに見守った。
自分が選んだものが、彼の世界にぴたりとはまったことが嬉しかった。
スマホのカメラを向けると、
ガラスに映る東京駅の光が宏樹の黒いジャケットに反射し、
ヘッドフォンの曲線に沿って幻想的な輝きを落としていた。
夜景よりも美しく思えた。
──彼の後ろ姿を撮りたい。
その衝動は、もはや恋心ではなく、尊いものへの敬意だった。
しばらくして、宏樹はふっとヘッドフォンを外し、優花を振り返った。
「相沢。本当にありがとう。これ……最高だよ」
彼は、誇張ではなく心の底からそう言った表情をしていた。
「君にも、この静寂を体験してほしい」
そう言って、ヘッドフォンを優花へ差し出した。
指先から伝わる、微かな温もり。
ほんの数分前まで、彼の孤独な世界を守っていたもの。
優花はそっと耳に装着した。
世界が、音ごと溶けた。
雑踏も足音も風の音も消え、
残ったのは、自分の鼓動と──
すぐ近くから届く宏樹の低い声だけ。
「どう? 俺の“心の安らぎ”、体感できた?」
その一言が、静寂に染み渡るように胸に落ちた。
「……はい。すごく……落ち着きます」
声が震えそうになり、優花は思わず目を伏せた。
“彼が守られている世界を、今だけ自分も共有できている”──その幸福が胸を満たしたからだ。
この静寂の共有は、単なる試用ではなかった。
それは、宏樹が
「自分の世界に、相沢をそっと招き入れた」
という行為そのものだった。
そして優花は直感した。
今日の夜景は、ただの“二度目の撮影”ではない。
二人の心が確かに近づく──そんな大切な夜なのだと。
「せっかくだし、早速試させてもらうよ」
そう言って微笑む表情は疲れているのに、どこか少年のように嬉しそうだった。
ヘッドフォンを両手で持ち上げた宏樹は、その手つきからも大切に扱おうとしているのが伝わる。そして、耳にそっと装着し、スマートフォンで再生ボタンを押した。
──その瞬間。
優花は、まるで透明な膜が彼の周囲に張られたような、空気の変化を感じた。
展望スペースには、人々の話し声、足音、遠くから聞こえるクラクションなどが入り混じっている。
しかし、ノイズキャンセリングが作動した途端、宏樹の表情からすっと力が抜け、肩の緊張がゆるんだ。
「……すごい」
彼は優花だけに聞こえる声で吐息のように呟いた。
「本当に、周りの音が全部消える。
音楽と……シャッター音だけが残るんだ」
その小さな感動を目の当たりにした瞬間、優花の胸に温かなものが満ちた。
“確かに、彼が求めていたのはこれだ”と、深く理解できたからだ。
宏樹はすぐにカメラを構え、無駄のない動きで設定を調整し始めた。
周囲の雑音が届かない彼は、完全に「撮影する人の顔」になっている。
光の粒が揺れる窓辺で、
静寂の中に沈みながらシャッターを切るその姿は、先週よりもはるかに生き生きして見えた。
(これで……彼の“心の安らぎ”が守られる。)
優花は、彼の少し後ろに立ち、その背中を静かに見守った。
自分が選んだものが、彼の世界にぴたりとはまったことが嬉しかった。
スマホのカメラを向けると、
ガラスに映る東京駅の光が宏樹の黒いジャケットに反射し、
ヘッドフォンの曲線に沿って幻想的な輝きを落としていた。
夜景よりも美しく思えた。
──彼の後ろ姿を撮りたい。
その衝動は、もはや恋心ではなく、尊いものへの敬意だった。
しばらくして、宏樹はふっとヘッドフォンを外し、優花を振り返った。
「相沢。本当にありがとう。これ……最高だよ」
彼は、誇張ではなく心の底からそう言った表情をしていた。
「君にも、この静寂を体験してほしい」
そう言って、ヘッドフォンを優花へ差し出した。
指先から伝わる、微かな温もり。
ほんの数分前まで、彼の孤独な世界を守っていたもの。
優花はそっと耳に装着した。
世界が、音ごと溶けた。
雑踏も足音も風の音も消え、
残ったのは、自分の鼓動と──
すぐ近くから届く宏樹の低い声だけ。
「どう? 俺の“心の安らぎ”、体感できた?」
その一言が、静寂に染み渡るように胸に落ちた。
「……はい。すごく……落ち着きます」
声が震えそうになり、優花は思わず目を伏せた。
“彼が守られている世界を、今だけ自分も共有できている”──その幸福が胸を満たしたからだ。
この静寂の共有は、単なる試用ではなかった。
それは、宏樹が
「自分の世界に、相沢をそっと招き入れた」
という行為そのものだった。
そして優花は直感した。
今日の夜景は、ただの“二度目の撮影”ではない。
二人の心が確かに近づく──そんな大切な夜なのだと。

