夜景撮影が始まって一時間ほど経った頃。
三脚の角度を変えながら新しい構図を探す宏樹の横で、
優花は教わった通りにスマートフォンで試し撮りを続けていた。
宏樹は液晶画面を操作しながら技術的な説明を終えると、
ふとカメラから手を離し、夜景の方へ視線を向けて大きく息を吐いた。
「……いやあ、久しぶりにこんなに集中したな。
仕事のこと、完全に忘れられたよ」
その声には確かに喜びがあったが、
同時に、消しきれない深い疲労の影が滲んでいた。
優花は、今こそ彼の心の奥へそっと触れられると感じた。
「そう言っていただけて本当に嬉しいです。
宏樹さん……やっぱり、お仕事、すごく大変なんですね?」
彼女が静かにそう水を向けると、
宏樹は夜景からゆっくりと顔を戻した。
街の光に照らされたその横顔は半分影になっているのに、
瞳だけが妙に真っ直ぐで、逃げ場がないほど真剣だった。
「ああ。正直、最近は本当にしんどいよ。
新規事業って、失敗ひとつ許されないんだ。
上層部からの期待も大きいし、
毎日、自分の判断が正しいのかどうか……自信が持てない」
彼の声は、優花にしか届かないほど低かった。
「それに──俺の部署のリーダーが完璧主義者でね。
ミスがあると個室に呼び出されて、
資料を床に叩きつけられるんだ。
全力でやってるつもりでも……人格そのものを否定されている気がしてさ」
その言葉に、優花の胸がぎゅっと痛んだ。
学生時代、誰よりも明るく、真っ直ぐだった宏樹。
今の彼は、その影で必死に耐えていたのだと気づく。
「そんな……辛すぎます」
優花は思わず一歩近づいていた。
「宏樹さんは、誰よりも真面目で、責任感のある人なのに。
そんな扱い、ひどすぎます」
ただ同情するだけではなく、
彼が“理解されたい苦しみ”に触れられるよう
優花は自分の経験を重ねるように口を開いた。
「私の会社にも、似たような上司がいます。
理不尽な要求に向き合うって……本当に体力が要りますよね。
でも──カメラを構えている宏樹さんの姿を見て思ったんです」
少しだけ息を吸う。
「こんなに真摯に趣味に向き合える人は、
仕事でも絶対に逃げずに立ち向かえる。
私にはそう思えました」
宏樹の瞳が、わずかに揺れた。
「……相沢。ありがとう」
彼は、安堵の色をにじませながら続けた。
「健太たちに話しても、きっと“愚痴”って受け取られるだけだと思ってた。
でも君は……俺の苦しみを、ちゃんと“理不尽な要求”として見てくれるんだな」
再び深く息を吐き出す宏樹。
けれど、その表情は先ほどより確かに軽かった。
「君と話しているとさ、
悩みがただの感情じゃなくて……
整理できる“課題”になる気がするんだ」
そして、ゆっくりと優花の目を見た。
「やっぱり、相沢は……俺の心の安らぎだ」
夜景の光が二人を静かに照らす。
その言葉は、告白ではない。
けれど、告白以上に誤魔化しのきかない“本心”だった。
優花の体は熱くなり、
呼吸が少しだけ浅くなる。
自分がずっと欲しかった言葉。
でも一度も期待してこなかった言葉。
そして今、彼の口から確かに届いた言葉。
――宏樹の安らぎになれている。
それだけで、
五年分の片思いが報われたような気がした。
展望台には、遠くの車の走行音と、
二人のかすかな吐息だけが満ちていた。
三脚の角度を変えながら新しい構図を探す宏樹の横で、
優花は教わった通りにスマートフォンで試し撮りを続けていた。
宏樹は液晶画面を操作しながら技術的な説明を終えると、
ふとカメラから手を離し、夜景の方へ視線を向けて大きく息を吐いた。
「……いやあ、久しぶりにこんなに集中したな。
仕事のこと、完全に忘れられたよ」
その声には確かに喜びがあったが、
同時に、消しきれない深い疲労の影が滲んでいた。
優花は、今こそ彼の心の奥へそっと触れられると感じた。
「そう言っていただけて本当に嬉しいです。
宏樹さん……やっぱり、お仕事、すごく大変なんですね?」
彼女が静かにそう水を向けると、
宏樹は夜景からゆっくりと顔を戻した。
街の光に照らされたその横顔は半分影になっているのに、
瞳だけが妙に真っ直ぐで、逃げ場がないほど真剣だった。
「ああ。正直、最近は本当にしんどいよ。
新規事業って、失敗ひとつ許されないんだ。
上層部からの期待も大きいし、
毎日、自分の判断が正しいのかどうか……自信が持てない」
彼の声は、優花にしか届かないほど低かった。
「それに──俺の部署のリーダーが完璧主義者でね。
ミスがあると個室に呼び出されて、
資料を床に叩きつけられるんだ。
全力でやってるつもりでも……人格そのものを否定されている気がしてさ」
その言葉に、優花の胸がぎゅっと痛んだ。
学生時代、誰よりも明るく、真っ直ぐだった宏樹。
今の彼は、その影で必死に耐えていたのだと気づく。
「そんな……辛すぎます」
優花は思わず一歩近づいていた。
「宏樹さんは、誰よりも真面目で、責任感のある人なのに。
そんな扱い、ひどすぎます」
ただ同情するだけではなく、
彼が“理解されたい苦しみ”に触れられるよう
優花は自分の経験を重ねるように口を開いた。
「私の会社にも、似たような上司がいます。
理不尽な要求に向き合うって……本当に体力が要りますよね。
でも──カメラを構えている宏樹さんの姿を見て思ったんです」
少しだけ息を吸う。
「こんなに真摯に趣味に向き合える人は、
仕事でも絶対に逃げずに立ち向かえる。
私にはそう思えました」
宏樹の瞳が、わずかに揺れた。
「……相沢。ありがとう」
彼は、安堵の色をにじませながら続けた。
「健太たちに話しても、きっと“愚痴”って受け取られるだけだと思ってた。
でも君は……俺の苦しみを、ちゃんと“理不尽な要求”として見てくれるんだな」
再び深く息を吐き出す宏樹。
けれど、その表情は先ほどより確かに軽かった。
「君と話しているとさ、
悩みがただの感情じゃなくて……
整理できる“課題”になる気がするんだ」
そして、ゆっくりと優花の目を見た。
「やっぱり、相沢は……俺の心の安らぎだ」
夜景の光が二人を静かに照らす。
その言葉は、告白ではない。
けれど、告白以上に誤魔化しのきかない“本心”だった。
優花の体は熱くなり、
呼吸が少しだけ浅くなる。
自分がずっと欲しかった言葉。
でも一度も期待してこなかった言葉。
そして今、彼の口から確かに届いた言葉。
――宏樹の安らぎになれている。
それだけで、
五年分の片思いが報われたような気がした。
展望台には、遠くの車の走行音と、
二人のかすかな吐息だけが満ちていた。

