グラスの底が静かにテーブルへ置かれる音が、
優花の耳にやけに鮮明に響いた。

宏樹が、少しだけ身を寄せてくる。

ほんの数センチ。
だけど、そのわずかな距離の変化に、優花の体温が一気に上がる。

「相沢とこんなに笑ったの……いつぶりだろうな」

低く、少し掠れた声。
お酒のせいか、距離の近さのせいか、
その声はまるで耳元で囁かれたように感じられた。

優花は、胸の奥がじんと熱くなるのを押さえられず、
そっと微笑んだ。

「私もです。こんなふうに肩の力が抜けたの、久しぶり。
今日……本当に来てよかった」

話すのをやめると、自然な沈黙が落ちる。
けれど、その沈黙は不思議と心地よくて、
優花は音楽と笑い声が溶け合う賑やかな空間の中で、
ほんの小さな“静寂の泡”に二人だけが包まれているように感じた。

(こんなに……近いんだ)

宏樹の肩越しに流れるスポットライト。
彼のウィスキーに沈む氷が、カラン、と小さく鳴る。
その音すらも、優花にはやさしいリズムに聞こえた。

酔いがほんのり回っているはずなのに、
心だけは妙に澄んでいる。

――もっと、話したい。
――もっと、近くにいたい。

気づけば、そんな欲が胸の奥から静かに湧いていた。

宏樹が、笑ったまま優花を見る。
その視線がいつもより柔らかく、温度を帯びていた。

「相沢ってさ……
今日、すごく楽しそうに話すんだな。ちょっと意外だった」

「え? 私、そんなに変でした?」

優花が照れながら眉を寄せると、宏樹は首を横に振る。

「いや。むしろ……良い意味で。
なんていうか、学生の頃より大人になってるのに、
あの頃のままの相沢もちゃんといて……安心する」

安心。

それは、披露宴の時の「変わらないね」と同じ言葉の延長線だった。
けれど今の宏樹の声には、
優花“だからこそ”感じる安心が宿っているように思えた。

優花の胸が、きゅう、と甘く締めつけられる。

(嬉しい……こんなふうに、私を見てくれてるんだ)

酔いが回るほどに、感情の輪郭がはっきりしていく。

優花はゆっくりと呼吸を整え、
自分でも驚くほど素直な声で言葉を返した。

「宏樹と、こうして話せるのが……嬉しいんです。
昔も、今も」

宏樹の目が、わずかに揺れた。

それは驚きでも戸惑いでもなく、
胸の奥に直接触れられたときの、静かな反応だった。

そして――

「……そっか」

彼はそう小さく呟き、
優花との距離を、またひと呼吸ぶんだけ縮めた。

優花は、思わず視線を落とす。
カクテルの甘さとアルコールの熱が、
頬の内側をふわりと染めていくのを感じる。

言葉はもういらなかった。
二人の距離が語っている。

宏樹は、もう優花を
“ただの同級生”として見ていない。

少なくとも、
“特別に話しやすい相手”へと確実に変わりつつあった。

優花の心が、静かに、しかし確実に震える。

(このまま……もう一歩、踏み込めるかもしれない)

開放感も、お酒の力も、
すべてが優花にそっと味方していた。